救援、反転
刃が振るわれるのが見えた。
見るからにわかる名刀―――かつて華樂様が言っていた。赤松の国の最も優れた兵に与えられるという、文字通りの伝家の宝刀―――かつて天狗の子である刀鍛冶が打ったという名刀”鬼狩り藤吉”だろう。
「………それはまだ、姫様に必要な侍です」
私の声が聞こえた訳ではないだろう。しいて言えば殺気だろうか?その刃は、涙助の頭部を裂く寸前に、その軌道を変えた。
或いは、私が手に持つ大刀が同じ刀鍛冶が打った作品であるからだろうか?刀身がやや赤みかかっていることから名がつけられた、この深緋櫻もまた、彼の刀鍛冶の打ったものであり、そして傑作と呼ばれる業物であった。
―――逃げろ、逃げろ!!天狗が来るぞ!!
足元で喚くそんな声を踏み潰す。下駄の人蹴りでその首は千切れ、物言わぬ屍となった。
死体は、否。人間の身体は意外と硬いものだ。特に骨は私の脚力で踏みつけても、一度程度なら耐えてくれる。屍を蹴り飛ばし、宙を飛ぶように走る。
右腕に刃を構え、私を迎撃しようと振るわれた刀と打ち合った。
一瞬だけ音が消える。余りにも高音だったが故に、その音は人間の聴覚では捉えられないのだろう。一拍遅れて漸く金属が軋む音がするが、しかし………双方の刃は刃こぼれも無かった。
「………天狗、女ッ!!」
しかし、その刃を持つ者の腕は、差が顕著に表れる。
剛力を持って名刀を携える青年を吹き飛ばす私の手には一切の反動もなく。そして吹き飛んだ彼は、痺れた手を労わるように握ると開くを繰り返していた。
それでも、私の一刀を耐えた。成程、彼の実力は正面門にて私を抑えていた彼らよりも強いと見て言いだろう。
「夕影、なぜここに。正面門は大丈夫なのか?」
「一騎当千たちは再起不能にしておきました。お前が起こした混乱のおかげでしょう、兵たちも思ったよりも多く脱出できました。偶然ですが、箒達を背後から追う赤松の軍勢を、挟み撃ちする形となった以上、赤松は当初見込んでいた程の戦果を上げることは出来ないでしょうね」
赤松彰吾の判断は正しかった。この一戦において彼は確かに霧墨の思考を上回ったのだ。
………それは、指し手としての経験だろうか。彼はまだ若く、そしてそれは私も同じである。もっと言えば、目の前にいる青年もまた、同じであった。
読み間違えたのだ、背後の達人の力量を。涙助という男は戦好きでいつまでも一兵卒でいようとする変人の類だが、その実力は確かなものである。
更に言えば、私がこの変人をわざわざ姫様の馬廻衆として選んだのは―――彼が、守りの戦いを、殿として生き残り、時間を稼ぐ術を熟知しているからである。
涙助という男の生存能力は、六櫻という国全体を見回しても最高峰と言えるほどのものなのだ。
そして、戦の経験の豊富な彼は、どこでどのような指示を出し、そして自分の命を捨てるかの判断がしっかりと出来る。なまじ強く在るが故に根本の理解できない私よりも遥かに、涙助の指揮能力は高い。
私が戦術規模、小隊への指示しか出せないのは、結局それが原因だが、涙助は一般の兵、人々の思考がきちんとわかる。それは、戦場においてとても大きな意味を持つ。
「動けますね?では、さっさと戦場へと戻りなさい。赤松の背後を叩いている兵たちは手負いです、お前が居なければ瓦解する可能性が高い」
「………ふうむ、御意に。して、夕影は?」
「あれは追い返したら戻ります」
顎をしゃくってやれば、額に青筋を浮かべた青年が引き攣った笑いを浮かべていた。
「はは、簡単に言ってくれるね、天狗女」
「簡単ですから」
言い捨てればその表情が固まり、黙った。
「さあ、行きなさい」
「うむ」
手頃な死体から槍を奪うと、涙助は正面門へ向けて駆けていく。恵まれた体格があるが故に、彼の足は長い。すぐにこの戦場を抜けるだろう。
そして、達人の領域にある彼が本気で逃げたのならば、目の前の青年以外にそれを咎められる存在はいない。
「………正面門でアンタを抑えてたおっさんたちは?」
「生きてはいますよ。当分戦うことは出来ないでしょうが」
「ったく、困るんだよなぁ。お前たち六櫻のせいで、赤松の戦力がどんどん削られていっちまう………よ!」
―――左下。
移動の軌跡を目で追い、剣戟を当たり前のように弾く。
最低限の鎧のみで行われる戦闘技術、軽足の歩み。人の視線の認知の視覚の隙間を穿つ、速さの剣術。
右下、飛んで上、背後に回り一撃。目まぐるしく回る剣術は一騎打ちでは必殺である筈だった。だが、まだ若く、未熟な剣術は私には決して届かない。その場動かずに、全ての剣を受けると、信じられないといった表情を浮かべながら青年が後ずさる。
「おいおい、嘘だろ………?!」
特徴的な足音を刻ませて、地面の上を青年が駆ける。
更に広く場所を使い、速度を増そうというのだろうが、そろそろ私は姫様の元に戻らなくてはならない。
彼に付き合っている時間は、無かった。
「殺すのはまた次の機会にしましょう」
挑発をするつもりなんて一切なく、今は暇ではないから。ただ、それだけの事だった。
けれどその言葉は彼の自尊心を大きく傷つけたらしい。大きく舌打ちをすると、声音から見て取れる怒りのまま、彼は私へと幾度の斬撃を繰り返した。
「あんまり………舐め腐ってんじゃ、ねぇッ!!」
助走を付ければ、速度は上がる。そして彼の歩方はその速度を味方につけ、人を殺めることを得意としている。
地面を、死体を、城下街の建屋の壁を蹴り、地面だけではなく空までをも利用した軌道を以て、私を傷つけようとする、その一刀に。
私は当たり前のように大刀を合わせ、そのまま打合いにすら持ち込ませず吹き飛ばした。
「が、はぁ?!」
蟻の膂力で狼に勝てるものか―――ただ、それだけの事である。
どれだけ速度を増しても、まだ年若い彼の力では私の刃を正面からは受けられない。赤松のあの三人ですら、刀や槍で私の大刀を正面から受けることを嫌っていたのだから。
案の定というべきか、彼もまた経験が不足している………しかし、才能はあるのだろう。あれだけの勢いで吹き飛ばされていても、彼は意識があり、立ち上がろうとしていた。
とどめを刺しに行っても反応するだろう。それは時間がかかる。
やはり、最初の考え通り殺さずに走り去ることが賢明だと判断し、私は下駄を鳴らして大地を蹴った。
「ま、て、この糞女ぁぁぁ!!!」
声はすぐに遥か後方に取り残され、聞こえなくなる。
抜き身の大刀で目に映る敵兵の背を裂きながら、私は姫様の元へと戻った。




