櫻松戦争 間章
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「ふぅむ、我々が突入後に後から追ってくるはずの者共が誰一人も来ないとは、さてさて」
怒号と悲鳴が鳴り響くのは、螺鈿城の城下街、東門のすぐ傍であった。
涙助が率いる先遣隊が突入後、その扉は閉められ、脱出口を失った彼らを追い詰めるかのように複数の赤松の兵が急襲を繰り返していた。
「既に半数近くが脱落と見て良いか―――おっと」
雄たけびを上げながら、先遣隊の中で最も目立つ長身の涙助を狙い、斬りかかる兵士の足を槍の石突で薙ぎ払い、転倒したところを的確に急所に突き刺す。
大柄であるが故の攻撃力の高さ、視野の広さ。
涙助という男は間違いなく、強者であると言えるだろう。そして、彼は決して戦うだけしか脳の無い馬鹿ではなく、ただ戦いが好きなだけで、巧い戦い方が出来る人間であった。
ふう、と息を深く吸い込むと、その呼吸量に見合うだけの大声が彼の口から発せられる。
「者共、聴けェェェェェェェ!!!!!!」
味方どころが敵ですらびくりと肩を震わせ、視線が涙助の方へと向く。
その視線を背に受けながら、彼は槍の穂先を螺鈿城下街、その正面門へと向けた。
「捨てがまるとしようではないか。ここより先、退路は前方にあり!!!!」
言葉と同時に、彼は走り出す。
「我に続け!!!退いても死するのみ!!!生きたくば、前へ進め!!!!地獄の先にこそ極楽浄土への道はあるぞ!!!!」
踏みしめたその足の膂力で、固められたはずの城下街の地面が削れる。
身体を捻らせ、槍を振り回すと涙助の歩みを止めようとした侍たちが纏めて吹き飛ばされた。
………侍が纏う甲冑は恐ろしいほど頑丈だ。要はあれは見に盾を纏っているようなものであり、矢だけではなく刀や槍の突きですら防いで見せる。
甲冑を纏う者同士の戦いでは決着をつけるのが難しいとまで言われるが、その範疇に収まらないものが一騎当千であり、そしてその領域には届いておらずとも、卓越した技量を持つ達人と呼ばれるものであった。
涙助は、夕影の様な一騎当千の兵ではない。けれど、間違いなく才ある人材が集まるとされる六櫻の中で、達人と呼ばれるに足る技量を持つ人間であった。
そしてその技量を更に補う、恵まれた体格、膂力。その力によって吹き飛ばされた敵兵は、甲冑ごとその首を強かに打ち付けて、頚椎を損傷し、絶命した。
「―――進めェェェェェェェ!!!!」
尚且つ、涙助は良くも悪くも一般の強者に収まる範疇の人間であった。
夕影のように卓越し、人外とまで呼ばれる存在は、兵を率いるのには適していない。彼女と同じ動き、戦果は上げられず、どうしたってその動きを遠巻きに見るだけになってしまう。
これは夕影のせいでも、他の兵のせいでもなく、最早次元の違う存在同士の、埋まらない溝であった。
それに対して、涙助は兵の動きを統率できる人間だった。動き、考えをきちんと理解して指示を出すことのできる彼は、まさに将向きの才能を持っていると言えるだろう。
奇襲と謀略によって最底辺にまで下がった士気をそれでも持ち直し、涙助に率いられた兵たちは螺鈿城をまさかの横断という暴挙に出る。
目指す先は、夕影と三人の一騎当千があつまる、螺鈿城正面門―――。
「死にたくねぇ………!」
「糞が、進むしかないのか!!」
「………止めろ、あの異常者どもを!!」
「こいつら、俺達に向かって突っ込んで抜けるつもりか?!」
士気も策略も、より大きな混乱で敵も味方も巻き込んでしまえば意味をなさない。
それを直観的に理解していた涙助は、敵兵に突っ込みながらその後方へと逃げ抜ける大規模な混戦を生み出し、少しでも多くの兵を戦場に戻そうと画策する。
間違いなく、小隊の戦術規模では最も赤松の国がやってほしくない、最適解であった。
………だからこそ、赤松彰吾という人間は、その最適解を咎めるための手を打っている。
「げぇ、お館様の考えどうなってんの?本当に正面門に抜けようとしてるじゃん………」
戦場において呑気ともいえる声が響く。
それは少年の声だ。甲冑も纏わずに肩衣だけの姿で、刀を腰に佩いている。
「そういう思考をする六櫻も六櫻だよ。命、惜しくないの?」
そう言いながら、彼は腰から刀を引き抜く。夕影の様な大刀ではなく、普通の侍が持つような刀だ。
刃紋はうっすらと曇りがかり、名の知れた刀である事だけが、涙助には理解が出来た。
「はてはて、命とは戦場で散らすものですからな」
射掛けられた矢を槍で吹き飛ばしながら、警戒の視線を向ける涙助。
その背中には、今まで無いほどの緊張が奔っていた。
………夕影ほどではない。だが、間違いなく、一騎当千だ。驚くべきことに、あの若さで、
にやりと、笑みがこぼれる。
「それこそが華というものでしょうぞ」
「僕にはわかんないなぁ。あ。ごほん………私には」
「はは、見た所農民から引き上げられたと思われる。丁寧な言い回しには、まだ慣れませんかな?」
「まあね。あんたも同じ口?」
「うむ、うむ。まさに」
軽口を交わしながら、双方静かに構えを取る。涙助は中段に構え、少年の方は左車と呼ばれる脇構えを図をとった。
「名は?」
「涙助と。貴君は?」
「囃子。その内お館様から姓名を貰う予定」
「成程。それは僥倖ですな」
正面門へと向かおうとする六櫻の兵の動きが緩やかになる。止まる事こそないが、しかしその行軍速度は明らかに低下した。
それに視線を向けた涙助は、自身の命とこの数の兵が抜け出ること、どちらの得が多いかを即座に判断した。
………一騎当千なれぬ身であれば、ここは兵の数こそ大事であろう。
捨てがまりの石になる事を、決意した瞬間であった。
「では」
「いざ」
「「尋常に」」
一騎当千と達人の戦いが始まる。
***
―――その動きは、もはや獣とすら呼べるだろうか。
砂塵を巻き上げながら大刀が振るわれる。例え一騎当千と呼ばれる天狗女であっても、同じく他国から一騎当千と呼ばれる益荒男が三人で掛かれば抑えられると判断した。その筈であった。
「怪物め………ッ!!!!」
ただ刃が振るわれるだけで轟音が響く。大気が軋み、それを受けるだけで一騎当千と呼ばれる男たちが額に汗を掻く。
受けて吹き飛ばされ、その隙を埋めるために別の男が夕影の動きを抑えにかかるが、その間に赤松の他の足軽が、侍が、その首を、腕を落としていく。
「正面から立ち向かうな………!!いなせ、隙を作れ!!」
老兵が叫ぶ。槍を持つ一騎当千、大槻が突き出した槍を、怪物はその柄の部分を狙い、素手で弾くと己の得物を宙に放り、無手で掌底を放つ―――それも、胴と首に同時に、だ。
首はまずいと判断し、即座に槍から手を放して首の一撃を小手で防ぐ。細腕を掴むことは失策であることは、既に身をもって理解していた。
見た目では手弱女でありながら、その肉体から繰り出される破壊力は人など簡単に葬り去れる膂力を持つ。天狗とは、その娘とはこれ程迄の怪物なのかと、戦慄だけが三人に奔る。
甲冑の上から響く胴への一撃を気合で受けつつ、大槻の方も甲冑組手で相対しようとするが、掌底を終えた即座でありながら、宙に投げた大刀に手を伸ばし、掴んだ夕影が、既にその死の刃をまさに振りかぶっている所だった。
―――彼女の蒼い瞳がぐるりと左を向く。
老兵、赤松清房が隙を逃さぬとばかりに刀を夕影の脇に差し込もうとするが、彼女の視線を見ることのできていた大槻は、それが非常に大きな失敗であるという事を理解していた。
「いかん、清房殿!!狙いはあなただ!!」
「ぬッ?!」
踏み込み、狙いを付け、振りかぶった状態の刃が、その向きどころか構えをすら一瞬にして変える。人体には凡そ不可能な凄まじい方向転換を身に余る剛力で可能とした夕影の一撃が、狙うのは老兵の首―――ではなく、その腕だった。
研ぎ澄まされた大刀の突きが、有り得ざることに、老兵の腕を縦に引き裂いたのだ。
刀を握る人差し指と中指の間から入り、肩に至るまで、骨ごとの両断。尋常ならざる剛力が齎した、致命的な攻撃であった。
「清房殿ッ?!」
「邪魔」
「が、はっ!?!」
冷酷に呟かれ、下駄で先程掌底を打ち付けられた胴の同じ箇所を蹴りつけられる。その鎧の、いや、皮膚の下で、響いてはいけない破裂音が聞こえた。
大刀の血を払った夕影の視線が、地に伏した二人の一騎当千を何の感情もなく見遣った。まるで、まさに、有象無象の塵を見るような視線であった。
「お、のれェ………!!」
怪物の白い呼気が漏れ出る。その表情が少しだけ笑っている様に見えて、怖気が奔った。
―――螺鈿城の正面門から怒号が響く。混乱の波がすぐにこの場を覆う事を、まだ一騎当千たちは知らない。




