櫻松戦争 破(2)
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六櫻軍は速やかに戦線を下げる。
その最中、決して少ないとは言えない犠牲はあったものの、それでも完全な奇襲を受けたといっても過言ではない状況から見ればそれはよくやった方と言えるだろう。
ここまで六櫻軍は両翼に展開していた千五百ずつ、計三千の兵を失い、その上で中央の本隊五千の内三割程度が機能不全に陥った。それでも、後方の奉津城へと撤退を行えるだけの指揮能力は維持され、徐々にではあるが混乱が収まりつつある。
古森に支えられ、馬に乗りながら隣の霧墨が呟いた。
「赤松の国はこの瞬間のみ、宮辺の国と隅野の国と同盟を結んだ。両国とも赤松からすれば気にもかけない小国だが………いや、違うな。だからこそ、利用したんだろう」
まさに赤松という巨大な金魚に糞が二つ、という訳である。
「恐らくは攻め滅ぼした六櫻の領土を割譲することが報酬か?赤松としては有象無象の戦力が天唯南部でどれだけ暗躍しようが歯牙にもかけないが、小国たちはそうはいかない。少しの領土でも増やせれば、田畑を増やし、鉄を掘り出せるからな」
逆に赤松は六櫻が試験的に導入をしている貨幣という文化、制度を取り込み、益々巨大な国家として成長できるわけだ。
そして一時の同盟とはいえ、一度同盟を結んだからにはある程度の繋がりも出来る。六櫻攻めに対して恩がある以上宮辺と隅野は赤松を裏切ることは難しくなり、それはそのまま赤松が他の国に攻められる際の防波堤としての役割を果たすことにもなる、と。
幾つもの仕掛けと先を見た戦略。まさに一国一城の主とはこういう者かという、綺麗な手の打ち方であった。
実際にはこの六櫻と赤松の戦いに於いて宮辺隅野の両国に恩があるのは赤松の方だが―――悲しいかな、弱小国はそんな事実を事実としては扱えないのだ。だからこその霧墨の金魚の糞という発言である。
「早馬を走らせて赤松彰吾は二つの国に取引を持ち掛けた。理由は何でもいい。それこそ僕たち六櫻がそれぞれの国に侵略行為を働いている、とかな」
「ある意味では事実ですね」
「略奪も田畑の損害もしていないのに侵略に当たるかよ。ましてや国境なんて概念自体、あの二つの国には育ってねぇ。此処までの行軍で、両国とも国境近くに砦があったか?無かったのが答えだ」
ふむ、と目を伏せる。
六櫻を漁夫の利によって取り込もうとしている二つの国にとって、この辺りの国境、勢力図は混沌としたものなのだろう。更にはそれを把握するだけの努力も出来ない。
それを赤松は国境が侵犯されている!と明確にしたうえで同盟の提案を行った。それによって赤松軍は兵の損耗を抑えた上で、六櫻の展開された翼を秘密裏に奇襲し、その鎧や情報を奪っての更なる奇襲攻撃が可能になったと。
監視役も含めて赤松の兵が小隊規模でそれぞれの国に派遣されてはいるのだろう。私を襲ったあの侍たちの腕は、決して悪いものでは無かった。
死者こそいないながらも、ある程度戦い慣れしている白鬼衆が負傷した。その時点で実力が窺い知れようものだ。
「涙助と夕影は?」
「夕影に関しては放っておいても戻ってくるだろう。時間はかかるだろうけど。あの一番槍に関しては何とも言えないな」
「冷たいのですね。旧知の仲なのでは?」
「………戦ってのはそういうもんだろ?兵も将も、そして僕もただの駒だ。死ぬべき時に死ぬ。今回は、僕が打ち損じた。無駄に駒を無くした可能性が高い。だから次は、もっと巧く指す」
霧墨はぺろりと自身の唇を舐める。
「僕が死んでも悲しむ必要はないし、仮にお前や夕影が死んでも僕は悲しまない。それよりもこの天唯という盤上で繰り広げられる大局をどうやって指していくか、どうすれば勝てるかを考える。その方が面白いからな」
「随分な笑みを浮かべるものですね。その内背後から刺されそうです」
「は、ただ兵を無駄に殺す、勝てなくなった軍師ならそうされて当然だ。だが、最適解を打ち続け、仕方ない犠牲だけを積み重ねるなら、そうはならない。それに涙助が死んだかなんてもんも分からねぇしな。あいつはしぶといし―――駒の性能、価値は僕ですら完全には測りきれないんだ」
僕が、お前を読み間違えたように。
「いつもの不機嫌そうな面で待ってろよ、大将。僕がお前を勝たせてやる」
箒の代わりに馬上で私を支えている古森がやれやれと言わんばかりに溜息を吐いた。
少しばかり早足で、私たちはどんどんと後退を続けていくのだった。
***
螺鈿城城内、御殿にて。
年齢不詳の美丈夫、赤松彰吾の前に、二人の男が胡坐をかいて座っていた。
一応彼らの横には刀があるものの、赤松彰吾という男を、否。赤松の国を前では、有事の際であってもそれを抜くだけの度胸はないだろう。
「宮辺の国、澤野殿。それから隅野の国、由布殿。此度の御協力、感謝します」
「………最近何かと小うるさい六櫻を黙らせるいい機会でした。ましてやその領土を頂けるとあれば、参戦するほかありますまい」
「まさにですな。華樂が死んでより随分と暴れるものです。無能姫でしたかな?そんなのに踊らされる六櫻の兵も兵です。家臣や家老は何をしているのやら」
口々に六櫻を悪し様に言う二人の男に対して、表情の読めない笑みを深める赤松彰吾。
金魚の糞。奇しくも霧墨が称した二つの国の表現と同じことを、この男も思っていた。
ちょびっと伸びた口ひげが特徴的な小男が、宮辺の国の国主である澤野。大柄ながらも姿勢悪く背中を丸めた、目つきの悪い男が隅野の国の国主である由布であった。澤野は武威を、由布はその血筋が中央に連なる名家から来たものだと誇示し、自身の統治の正当性を叫んでいるようだが、国主としての実力は下の下だと赤松彰吾自身は思っていた。
―――どんな評価であれ、国を動かし、長い間誰も身動きを取らなかった天唯南部の辺境を征服した六櫻の姫の方が遥かに優れている。
けれど、この有象無象を使った方がより確実に奇襲を行えると、長年の経験から判断してのものだった。
「と、ところでですな………我が宮辺の侍たちが六櫻の兵を奇襲した際に、かなりの損害を受けてしまいまして。その補填などは………」
「おや澤野殿、最初の取り決めで戦を始めた際に負った損害は自国でどうにかするというものだった筈です」
「しかしですな、我が国の兵力は全て合わせても三千、いや四千。その内の千近くを今回の奇襲で失ってしまっては、この先に六櫻の領地を頂いたとしても、管理が」
「我が赤松の兵を貸せ、と?」
「い、いや!そういう訳では!しかし、そうですな………武器を始めとした物資などは、どうにか」
奇襲を掛けておきながら反撃によって大打撃を受けたのは自業自得だろうに。
どこまで戦下手なのだろうか。自身の力で戦うことを知らない小国はこの程度なのか。隼波木もそうであったが、牙を抜かれた国家というのは本当に脆く、浅ましいという他ない。
まあその油断が、旧隼波木、今の六櫻を警戒しなかった理由なのだから、見下しても侮ってはいけないということは学ばされたわけだが。
「それでしたら、どうか隅野にも。我ら貴国の要望に応じた訳ですからな、報酬があっても良いものだとは確かに思うのです」
「ふむ。一考しておきましょう。ところで、明確に物資のやり取りがあるという事はあなた方の事を長きに渡る同盟の友と考えてもよろしいという事でしょうか。そう、例えば中央に攻め込む際には、戦力や兵糧の貸与を行ってくれると判断して良いのですね?」
「………いや、それは………」
「むぅ………」
嫌でしょうね。所詮は漁夫の利を狙う金魚の糞ですから。
領土の割譲という報酬を獲得しておきながら、更に報酬を水増ししようという考え。ましてや戦力の低下を理由に六櫻との最終決戦を全て赤松に押し付けようとしているにもかかわらずのその思考。
六櫻との戦いがひと段落したらこの有象無象を絞っておくべきか。一瞬だけそのような思考が浮かび、赤松に何の利もないことで即座に思考が掻き消える。
そもそもまだ六櫻との戦いが終わったわけではないのだ。油断や慢心で足元を掬われては元も子もない。
「まあ、そのような些事は、この戦が終わってからにしましょう。それでよろしいかな、お二人とも」
「あ、ああ」
「そうですな………」
その辺りで襖が開かれ、早めのすり足で武士が私の方へと連絡事項を伝えてくる。
「………六櫻が奉津城へ?」
指示を出し、わざと焼いた奉津城。仮にこの戦線から撤退されても籠城させないようにするための策だったのだが、そんな奉津城の跡地とでもいうべきところに陣を改めて敷くというのは、どうにも不思議な話であった。
仕切り直すなら急隼波木まで退くべきだ。しかし、敢えての反転攻勢。
霧墨は一体何を考えているのか、その真意を探ろうと思考をまわす。その途中、澤野から疑問が飛んできた。
「ところで、いつも連れている小姓はどうされたので?」
「ん、ああ。彼ですか?」
うっすらと、そう。酷薄ともいえるほどの笑みを浮かべると、彼は、赤松彰吾は言葉を続けた。
「少々、雉をね。騒がしい雉を仕留めに行ったのです」
………場面は移り変わる。
静寂を保つ御殿の中とは打って変わって戦の気配が濃厚な、螺鈿城東門へ。
血と怒号が飛び交う、戦場へ―――。




