櫻松戦争 序
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まだ日の登りきらぬ時間に、兵士たちが駆けていく。
六櫻側の動きは、本隊五千を徐々に螺鈿城の城下へと進軍させていく動きが主であった。五千の兵を一気に動かすことは実際には不可能なので、三つほどの軍に分けて進軍が行われる。
霧墨の作戦とそれを観測する古森の視界によれば、今はその最初の軍が螺鈿城へと最接近しているようだ。
最初の軍は先遣隊であり、火の手が上がり混乱した螺鈿城の右翼側に、隠しておいた翼と共に攻め入り、その後の部隊が正面から城下街に攻め入るための足掛かりを作り役割を持つという。
それと同時に左翼にも火の手をあげるが、そちらは翼単体による陽動であるという。
「右で火の手が上がった。どうする、霧墨?」
「どうするもねぇよ、作戦通りだ」
相変わらず遠目の利く古森によって、前方での戦況が知らされた。
彼女のその手にも弓が握られ、全軍が臨戦態勢に入っていることが嫌でも理解できた。
私の周囲に存在しているのは夕影たちから馬廻衆としての役割を引き継いだ白鬼衆と、古森。その他には霧墨と言った軍隊の頭脳のみだ。
伝令は行ったり来たりしているが、基本的には夕影と箒、涙助を始めとした彼らは前線に出張っている。
直前までは夕影は私の傍に控えていたが、いよいよ戦が始まるとなればここに留めておくわけには行かない。一騎当千に働いてもらわねば、六櫻に勝利はない。
「………兵站線が欲しいな」
現在の六櫻には持ち込んだ兵糧はあっても、継続的に本拠から送られる兵站という概念は薄い。天唯という巨大な大陸国家を縦断する戦いであるため、大国にはそう言った意識もあるが、元は小国である六櫻や隼波木、須璃にはそのような概念はないのだ。
そもそも、まだ生産能力が追い付いていない。何とか搔き集めた資源でこの有様なのだから、近代戦を構成できるだけの力は無いのだ。
しかし。それもまた、赤松を落とせば大きく変わる。
「負けるなよ」
神には祈らない。ただつまらなさそうに、私はそう呟いた。
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ところ変わって六櫻軍の前線。
螺鈿城へ取りついた先遣隊は、合図である螺鈿城右翼の火の手を見て一気に攻め込んでいた。
火攻めというのは恐ろしいもので、どのような兵士であってもその恐怖からは逃げられない。燃えれば人は死ぬ、そうでなくとも人を分断し、建物を焼き落とす。
その中で、長槍を担いだ大柄な甲冑の男が顎に手を当てたまま呟いた。
「ふぅむ。少しばかり早すぎる気がするな。きな臭いとはまさにこういうことでしょうな」
本来は華燐の馬廻衆である涙助は現在、六櫻軍の先遣隊、その右翼を率いる将として使われていた。
元来戦うことに快楽を覚える質である彼はその一番槍とでもいうべき役割を嬉々として拝領した訳であるが、さりとてそれは彼が死にたがりであるという事実にはつながらない。
「大将、攻め込まないのですか?」
「………」
士気は上々、そして何よりここで先遣隊である涙助の軍勢が動かなければ、他の戦況も停滞する。
基本的に今の六櫻には攻め続けるということしか出来ない。内に籠って助けを待つという選択肢はないのだ。資源も兵士も、そのような状況を許さない。
華樂様の代に比べ、華燐様の時代では随分と変化が大きかった。戦をあまり好まなかった華樂様に比べれば、こうして戦いに身を置ける華燐様の時代は、決して嫌いではない。
六櫻の古い侍たちは皆、あの新しい国主を嫌っている。涙助としては、ただの戦士を自称する身として国主への好き嫌いなど存在しなかったが、国が内部の重要な部分で二つに割れているのは薄々と気が付いていた。
「はてさて、夕影も霧墨も人心には疎い。さて、この国はどうなるのか―――まあ、しかし。まずは戦うことでしか道は切り開けんでしょうな」
傑出した才能を持つ六櫻きっての才人たちも、まだまだ若い。あの姫の道は本当に険しい。
そんな事を想いながら、槍を前に掲げる。
「準備は良いな?全軍、突撃!!!」
―――背筋を襲うのは脅威の気配。戦場で感じる怖気だ。
このまま進めばよくない気配がする。しかし、それを覆してこそ、武士という者だろう。どちらにせよ、攻める以外に取れる選択肢はないのだから。
先遣隊は最早後ろに下がることは出来ない。霧墨に報告し、判断を仰ぐ時間もない。罠であろうと、突っ込むことしか出来ない。
そう考えて、涙助は槍を手に駆けていく。合図であった火の手は、既に治まりかけていた。
***
涙助たち右翼の先遣隊が駆けだした頃、先遣隊の後方に位置する中央の部隊を率いる夕影の前で、螺鈿城の城下街の橋が降ろされ、赤松の軍勢がその姿を現しつつあった。
………城が攻めるときに抱える問題点は霧墨が提示した通りだが、この天唯という国家においては必ずしも大量の軍勢で睨んでいれば兵が出れないという訳でもない。
それはなぜが。答えは簡単だ、一騎で数千の兵を骸に変えられる一騎当千という怪物がいるからだ。
当然、その手段を取れば絶対ということは無い。一人で戦局を左右することのできる力を持つ兵であっても、人間であることに変わりはない。
一瞬の油断や策を講じることによって打ち取られてしまえば、それだけの力を持つ兵が無駄死にしてしまうという事になりかねないためだ。故に、螺鈿城から出る兵を、一騎当千の兵で護衛するという考えは、霧墨が真っ先に切り捨てた本来ならば有り得ない代物であった。
「………」
夕影は手にしていた刀を小姓に預けると、別の刀―――大刀をその腰に佩く。
「夕影様?」
「中央軍、進軍を止めなさい。これは、霧墨の想定外でしょうか」
銅鑼が叩かれ、中央以降の兵の進軍が止まる。
その理由はまさに、目の前にある………降ろされた橋から現れた、様々な年齢の三人の男。壮年の男と中年、そして老兵。彼らは、まごう事なき一騎当千であったからだ。
三人の一騎当千に守られ、赤松の軍勢はその陣を展開していく。木製の盾などを使い、こちらからの矢の斉射にも対応している様子。それを見て、夕影は少しばかり眉を顰めていた。
………六櫻側は速度を重視し、鹿垣といった防備の策を講じていない。陣というには、余りにも心許なさすぎる。
攻めるには、と一瞬だけ考えて、夕影は現在、もっとも考えるべき優先事項を思い出す。
「まずは、姫様でしょう」
懐に手を伸ばすと、全力で空へと投げる。天狗の子と呼ばれるその膂力で投げられたのは穴の開いた石で、甲高い音を立ててそれは戦場の異常を知らせる。
これでいい。後方の部隊を率いる箒はこの音の意味を理解するはずだ。
「夕影様、赤松が軍を展開しているのは、不味いのでは………?」
「ええ。しかし、今の六櫻ではどうしようもありません」
一騎当千は決して一般の兵で打ち取れないわけではない。あくまでも人間である以上、必ず限界がある。
しかし、軟弱な兵では殺しきることは出来ず、悪戯に被害を増やすだけだろう。
彼らが三人で以て赤松の軍が城から出る一助をするのであれば、私はこの身をもってそれを咎める。それでまあ、釣り合うかと言ったところだろう。そう考えて、指示を飛ばした。
「後方の大将、箒の指示に従いなさい。私はあれを止めます」
「い、一体何が?」
「さあ―――おや」
左翼の方で火の手が上がる。本来ならば右翼と同時の筈だが、やや右翼の方が早く火が放たれたらしい。
しかし、感じるのは違和感であった。
何だろうと考えて、答えに至る………赤松の兵の顔だ。彼らは、螺鈿城の城下街に火の手が放たれたというのに、一切焦りや混乱がなかった。
予め、それを知っていなければそのようなことは有り得ない。では、彼ら赤松はこちらの作戦を予期していた?それも、違うだろう。
此処までの戦いで他国の領内に紛れ込ませた両翼が透明ではなくなったとしても、螺鈿城の中からそれを見つけ、更には追い立てることは不可能に近い。では、裏切り者が出た?
それも無いと思われる。ここまでで、六櫻側の兵の士気は高く、裏切りを唆すような相手との接触も無かった。そもそも両翼に置いたのは六櫻古参の兵だ、いくら姫様に対して嫌悪を抱いていたとしても、六櫻の害になる行動をすることはあり得ないだろう。
大刀を抜き放ち、深く呼吸をした。身体中に力が漲っていく。
やることは変わらない。さっさと片付けて姫様の元へ。
「やはり、離れるべきではなかった」
須璃の時のように、あの小さな国主に刃が迫る。その感覚が、胸中を支配する。
それが堪らなく不快で、機嫌が悪くなる。何故かは分からないが―――あの程度の相手にただの刀ではなく、本来の得物である大刀を持ち出したという時点で、この不快感は非常に大きなものなのであろう。
指示がようやく行き渡り、六櫻中央軍が抗体を始めた段階で、敵側にも動きがあった。
甲冑に刀や槍という基礎的な装備を身に纏った一騎当千全員が、そうはさせまいと言わんばかりに六櫻へと攻撃を始めたのだ。
その動きを見た夕影の脳裏には知ったのは、野性的な直観。
「やはり、狙いは姫様一択か―――ッ」
本隊の最後方に位置する華燐の方へと援軍を向かわせないために、一騎当千という兵をすべてここに集めた。
更にはここで駄目押しとして、霧墨が嫌った大軍による踏み潰しを行うためにその一騎当千の兵の戦いに合わせて布陣を敷く。
成程、赤松彰吾という男は噂に違わぬ抜かりの無さという訳だ。
そうはさせるものか。下駄で地面を踏みしめると、加速する。
「全力で後方に下がりなさい!!殿は私が!!」
そう言い残すと、大刀を手に向かうのは中年の年頃の一騎当千の気配を持つ男。
「………六櫻の天狗女!!」
大上段から切り落とした大刀の一撃をいなす男。彼の歯軋りが、こちらまで聞こえた。
「夕影。我が主華樂様より頂いた名です」
「ならばこちらも名乗らせて頂こう。稲葉政次!!赤松家譜代家臣が一人!!」
譜代家臣という事は、古参も古参の一族ということだ。
そして、その名に聞き覚えもあった。赤松の国は中央からの侵略を何度も押し返している国家である。その中で、稲葉という男の勇猛は天唯南部にまで届いていた。
つまり元は天唯中央を睨むための一騎当千。それを、赤松彰吾は持ち出している。
「戦姫の名を持つ貴様の首、我ら赤松三人衆が貰い受ける」
刀が跳ねる。それは夕影の首を狙って斬り上げられた。
大刀でそれを逸らし、稲葉政次の内側へ。右に持っていた刀を左の手に渡すと、右腕に力を込めて、その肘を甲冑の上から男の鳩尾へと叩きつけた。
「ぐ、っ!!」
「受けましたか―――ッ!!」
身体を捻り、直前で甲冑に覆われた二の腕で止められた。それでも距離を開けることは出来たが、その直後、壮年の男の槍が夕影の足を狙う。
カランと下駄の音をならすと、その槍の上に乗る。それを踏みつけ、身体を捻らせて槍の主へと大刀を叩きつけるが、更にもう一人、刀を持った老兵が大刀をしっかりと受け止める。
沼に拳を叩きつけたような感触だと感じた。それは力による受けではなく技術による対応だ。
その隙に踏まれた槍を回転させ、拘束から逃れた槍が男の手元に引き寄せられた。
「………。ふぅ」
夕影を囲むのは、三人の一騎当千。
その背後では、赤松の軍勢が後退を始めた六櫻の軍を追い立てるようにして、進軍を始めていた。
「大槻孝景」
槍を持った壮年の男がそう名乗る。
「赤松清房―――この螺鈿城の城代だ」
老兵もまた、名乗った。
「赤松?………庶家ですか」
「然り。赤松南部全域の守護を代々任されている。随分とやってくれたのう、六櫻の小童どもが」
そう言って、刀を頭の横に立てて持つと、その視線は夕影を真っ直ぐに睨んだ。
「生かしては返さぬ。特に、六櫻の姫はな。安定していた天唯南部に騒乱を巻き起こすとは、万死に値する。その罪状を噛み締めさせた後に、その首を撥ねてやろう」
「こちらにも、こちらの都合があるのです、ご老体」
夕影の細い眼が開かれる。内から、青い瞳が覗いた。
「時間がありません。どうか、ご覚悟を」
嵐の様な、一騎当千たちの戦いが始まった。




