赤松攻め 岩槻城
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数度の休息を挟み、十数日をかけて六櫻の国は赤松の第一の支城、岩槻城へと浸透を始めていた。
霧墨が既に指示した通り、八千余りの兵のうち、三千をさらに二つに分け、二国の山林の内に潜ませている。
本隊はあくまでも正道を進む五千の兵だ。箒や涙助、そして夕影を始めとした粒だった戦力はこの本隊に組み込まれている。
時刻は早朝、私は欠伸を噛み殺しつつ、すぐ近くに見える岩槻城へと視線を向けた。
「突入の準備は済んだな?よし、行け」
干飯を口に含みながら、霧墨がそう指示を出す。
ここでは銅鑼の様な伝わりやすい指揮は使わず、旗によるものが大まかであるらしい。
旗が振られて、今までの行軍とは別種の速度で兵士たちが生き物のように動き出す。これこそが、軍隊の戦い方であると言わんばかりに。
すぐに本隊の突入に合わせて、岩槻城の左右に配置された伏兵によって火が放たれる。ある程度は城には防火能力が備わっているといっても、潤沢な資源による火攻めを完全に対処することは不可能だ。
基本的に木製の建造物である城は、当然ながら炎には弱い。この戦いでは、その事実を改めて認識することとなった。
「首尾は上々といったところでしょうかね」
「当たり前だろ。こんなところで苦戦してたまるかよ」
不機嫌そうに吐き捨てる霧墨のその手元を見る。
彼が握っているのは兵糧―――行軍の際に持ち運ぶ俗に言う兵糧だ。
飯がなければどれほど強い軍隊も成立できないのは知っての通り。だからこそ、私たちはこの冬明けの攻勢に備えて領内の経済をまわし、国庫を空にする勢いで金を動かして物資を得た。
だが、そもそもとして戦国時代における兵糧のクオリティは決して高いものでは無いのだ。
例えば今霧墨が噛んでいる干飯とは焚いた米を乾燥させたものである。水で戻せば元の米に近いものとなる。その他だと、味噌や醤油、梅干しに漬物などを持ち運ぶのだが―――これらは総じて、保存期間が短い。
天唯という国家は大陸国家であり、島国であった日本のそれよりも行軍する期間が長くなりやすい。また、雨なども地域によっては多く、持ち運んだ糧食などが腐り落ちることも多いそうだ。
腐り落ち、食べれなくなるならまだいい方で、飢餓に喘いで無理やりにそれを食い、腹を下してそこから病が広がることも多々あるという。
「東の魔王ですら、病には勝てない」
高いレベルでの戦術や、恐らくは貿易によって得たであろう全身金属の甲冑技術、武器などがあっても、長期に渡る遠征では糧食の不足によって攻め切れないという事もあるのだそうだ。
この天唯に於いて間違いなく英傑と呼べる存在ですら、そのような事例が発生する。
今回の赤松攻めは六櫻にとっては初となる長期の遠征であるが、計算では糧食が腐り落ちる前に戦闘を終わらせられると判断している。だが、この先は?
天唯という巨大な国家を駆けまわるのであれば、今のままの糧食では絶対に限界が訪れるだろう。天唯三方を支配する国々が、しかし完全なる征服までこぎつけていないのは、恐らくはその問題があるためである。
六櫻も、すぐに直面する問題だ。
「やはり、新しい糧食の発明は急務ですね。それから、やはり時計も欲しい」
あれも欲しい、これも欲しいと思ってしまうが戦い続けるのであれば必要な物は多い。
この赤松攻めで改めてそう感じた。
攻める時間を時計によって判別するというのは、戦においてもメリットが多く、また領地に導入すれば民の活動をより効率化できる。
ふと、頭に猫の様なあの商人の顔が浮かんだ。赤松攻めが終わったら、あれに多少の無理をさせるとしよう。
―――金が増えるのであれば、きっとあれは嫌がりながらも内心では笑っているだろうから。
「あ?何か言った?」
「いいえ。あなたには関係のないことです」
「あっそ」
視界に収まる岩槻城のその城門が燃え始めているのが、私の視力の下がった隻眼でも捕らえられた。
背後の古森が目を細めつつ、観測情報を話していく。
「涙助が焼け落ちた城門から侵入し、内部をかく乱してる。夕影と箒も後に続いたみたいだ。無理やりに内門を破って、六櫻の兵たちが完全に岩槻城の中へと入っていった」
「脱走者は?」
「脇の伏兵が打ち取ってるみたいだ。けど、全員かは分からない」
「ま、多少は逃げるだろうな。ま、逃げられたところでって話だが。どうせどうしようもねえよ」
歯を出して笑う霧墨の表情は、悪戯が上手く行った時の悪餓鬼のそれによく似ていた。
まあ、悪餓鬼というにはその手のひらの上であまりにも多くの人間が死んでいるのだが、恐らくは彼がその奪い取った命に何かを想うことは無いのだろう。
そもそもこの時代の戦いに従事する者にとっては、殺して当たり前なのだ。平時ならばともかく、戦となれば首を落とすことは武功の表れであり、軍師が少ない損耗で多くの敵を殺すことは賛美されるべき偉業である。
露骨に悪意や非難されるような悪行があるのならば別だが、今回の作戦はただその作戦が敵の防御を上回ったというだけなのだから。
「あ、夕影が多分敵の大将を切り刻んだ。全部首だけにして回収を命じてるみたい。華燐、終わりみたいだぞ」
「………あれは、本当に」
一騎当千。その名にふさわしい怪物というべきか。
時計がないため正確な時刻は分からないが、まだ太陽が中天に登るその前に、あっけなく岩槻城は落城した。
城は全てではないものの、城門のような重要な場所は燃え落ちて、今は白と黒の煙を上げている。
敵兵を殺した後は燃え広がり、火事になってしまわないように城内の井戸から水をくみ上げてかけているようだ。最後には土をかぶせて完全に消化するらしい
水は貴重品である。あまり使いたがらないのは仕方がないだろう。
「よし。城内の井戸や物資を接収できるならそうして行軍再開だ。調査部隊を先遣させるが、気を付けろよ?残党がいるかもしれないし、悪あがきで井戸に毒を投げ込んでいるかもしれない」
「はっ!気を付けます、霧墨様」
「よし、行け」
護衛の精鋭とは別に手元に抱えていた兵を落としたばかりの岩槻城へと送り出すと、霧墨が地図を取り出し、睨み付ける。
「ま、ここは簡単に落とせるだろうな。次の城も問題ない」
「同じ手が通用するのですか?」
「あの伏兵はずっと透明なままだ。僕たちが本隊を順調に進めている限りはな。というか、別に存在に気が付いたところで赤松が同行することは出来ねぇよ」
「………。それは、何故に?」
「別の国に喧嘩を売ることになるからだ。山を浚うために赤松の軍隊を進行させてみろ、宮辺と隅野も僕たちの仲間入りだ。赤松の国はずっと天唯南部で利権を握り続けていたから恨みも買ってるしな」
「………成程。そういう点で言えば私たちも大して変わりはしなさそうですが」
「あ?なんでだよ」
「いえ。華樂という天才は、妬み嫉みを向けられるに値するでしょう、と」
「………なるほど?ま、一理あるかもね。でも今の国主は無能のお前だ、問題ないだろうな」
「そうであれば良いのですが」
軍略、戦術に私が口を出せることは限られている。私の本分、国主としての仕事は戦になる前の戦略的な構想であるのは、ずっと変わらない。
霧墨との会話が終わったタイミングで、早馬に乗っていた先程送り出した兵が戻ってくるのが見えた。
「井戸等問題なく利用出来そうです。ただし、兵糧については、もとよりそこまで常備されてはいなかったようで。この規模の軍を満たせるかと言われると………」
「あー、まあ想定内だ。水だけ補給して行軍再開するぞ、休息はしっかりと取っとけ」
「はっ!」
結局彼らは私のことなど見ずにさっさと戻っていった。
愛想を振りまけば少しは彼らも私に構うのかもしれないが、そんなことをする理由もないだろう。誰かに好かれたいと思ってこの地位に居る訳ではない。
しかし、士気が上がらないのも事実であろうとは思った。人の感情は時として爆発的な力を生み出す。これは実に厄介な事である。
全てが機械的に、それこそ時計のように動いてくれればいいのに、と。そんな風に私は思った。




