赤松攻め 序
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六櫻の勢力は冬の明けと共に赤松の国へと進軍を開始した。
その時点での勢力の総数は八千を超える規模となっており、天唯南部の小国が寄り集まったものとは思えないほどの人数であることは間違いがなかった。
その勢力の内訳は前述した通り、五千程が正規軍の扱いであり、残りの三千が傭兵から成る戦力である。
傭兵は雑多な勢力の集まりであり、それそのものに指揮権は与えておらず、新旧を問わず六櫻という国家から排出された侍大将によって率いられている。これは華燐と霧墨、そして夕影全員の判断によるものである。
即ち、傭兵に自治的な指揮を任せては作戦が立ち行かない、という考えを全員が持っていたという事だ。
三千の兵を率いるのは六人の侍大将であり、それぞれが五百の兵を抱えている。
正規軍である五千の兵に関しては、軍の指揮を執る華燐及び霧墨の護衛として精鋭が百人、そこに白鬼衆が加わる形となる。それ以外の兵は傭兵達と同じように侍大将に率いられることとなるが、こちらに関しては千人単位での統率となっていた。
「層が薄いと言わざるを得ませんね」
「お前が六櫻の侍を重用しないからだろうが」
「とても信用できませんので。あれらは私を守らないでしょう?その結果がこの身体なのですから」
馬に揺られながら、隣の霧墨とそんな言葉を交わす。
こうして馬に乗るのも流石に慣れてきた。乗っていても舌を噛むことももうあまり無くなってきたのは、良いことと言えるのだろうか。
「本来の六櫻の侍の半数は本国の守りに置いてるわけだが………あいつらを連れてくればもっと簡単に事が済む筈だったんだが?」
「あれらの力が優れているのは事実ですが、あれらだけに頼ることは出来ません。層が薄いのだから、厚みを持たせるために経験を積ませる必要があるのです。もう華樂はいないのですから」
「才能ある奴らが集まることは無いってか?お前の人望の無さが大本の原因だろうが」
「………」
霧墨から視線を外す。私の背後で私を抱えながら一緒に馬に乗る箒はこの会話の最中、ずっと無口を貫いていた。
箒は本来私の馬廻衆に属するが、今回の赤松攻めに関しては案の定というべきか兵を率いる侍大将の一人として数えられることとなっている。涙助も同じであるが、古森に関しては戦場を見通すための視界という役割があるため、馬廻衆として私の傍に残る事となった。
夕影も今回は私の守りではなく攻めの刃として使うそうだ。今までの小規模の戦いとは違って、ここからは大軍同士のぶつかり合いとなる。
一気に戦局に片が付くことはあまりなく、だからこそ私の周囲を薄くしても問題はないということらしい。
もっと言えば、須璃や隼波木攻めのように私が最前線に出張ったところで意味がないともいえる。彼らは私の顔や容姿など知らないし、六櫻華燐という名前にも価値がない。価値があるのは、この首が落ちた場合だけだ。
陽動にも扇動にも使えないのであれば、私は最高指揮官という名のお荷物として背後に居た方が良いのである。
私は立場としてはこの六櫻軍の総大将となる。もっと国家の規模が膨れ上がって行けばいつかは私の知らないところで戦いが始まり、そして終わるのだろうが、それは当分先になるだろう。
どうであっても多角的な戦を抱えない限りは私はどこかの戦場に必ず立っているような気もするが、さて。
「この辺りで休息だ、伝令!合図を出せ!」
霧墨の命令によって太鼓が一定のリズムで叩かれる。
それを聞いた兵が更に同じリズムで太鼓を鳴らし、その音が伝播していくと、軍隊全体にやや弛緩したような雰囲気が流れたのが分かった。
空を見上げれば夜が近い。赤松と隼波木は備えの城がある程度には近い場所に存在しているが、だからと言って一日で行って帰ってこれる距離ではなく、最も近い支城に接するにも最低でも一週間は行軍することとなる。
既に行軍を始めてから三日が経っている。街道なども通っているため、恐らくはそろそろ赤松の本国に六櫻が赤松に進軍しているという情報が伝わりだす頃合いだろう。
だが、まだ猶予はある。しっかりと兵を休めさせることは急務だろう。戦い始める前に疲弊されては溜まったものでは無い。
私たちも馬から降りると、休息を取り始める。
「おい毒姫。明日から傭兵部隊を二手に分けて先行させる。いいな?」
「お好きにどうぞ。どうせ形式的な許可で、既に動かしているのでしょう」
「当たり前だ。一々お前なんかに確認とってられるかっつの。僕が考えて動かしたほうが手っ取り早い」
「そうですか。二手に分けた兵はどう動かすつもりですか?」
「………お前に言ったところで意味無いんだけど、まあいいか」
呆れたように息を吐いた霧墨が、思考の再現にはなるかといって将棋盤と地図を取り出した。
将棋盤はただの机の代わりらしい。その上に地図を置くと、将棋の駒を放り投げる。歩の駒の配置は今私たちがいると思わしき場所に置かれていた。
山間の谷を進む私たちの進行方向の先には、赤松の国の第一の支城である”岩槻城”を意味するように金将が置かれた。
「まだ赤松は僕たち六櫻が攻め込んでいることを完全には把握できていない。つまり、隼波木方面への警備はかなり脆弱ってことだ。当然、岩槻城に置かれた兵の数は少ないだろうな」
「隼波木はそれだけ下に見られていたと?」
「ま、そういうことだな。厳密に言えば隼波木だけじゃないけど。隼波木の周辺の国家には、この左右の山向こうにそれぞれ宮辺の国と隅野の国があるが、どちらも須璃よりやや大きいかって程度の小国だ。赤松の国の規模からすれば脅威には値しない」
「例え彼らが連合を組んだとしても?」
「ああ。赤松の本隊が出張ってくれば簡単に蹴散らせる。三国まとめて下に見られてんだよ。実際、戦力的に下に見るべき相手だしな」
彼我の戦力差をきちんと理解すれば、下に見るのが当たり前だという事だ。
「六櫻が勢力を拡大させ、物資を買い込んでるっていう情報が伝わってたとしても赤松は警戒しない。戦力差が大きいし、そもそも戦続きの六櫻には赤松を攻め切るだけの体力はないって考えてんだろうな」
「そうでしょうね。そう錯覚させるための、冬入り前の隼波木攻めだったのですから」
「………お前の想定が当たったことは気に入らないが、認めてやる。まあ、そんな訳で僕たちは情報物資戦力に余裕をもって赤松攻めを行えるわけだ」
それでも戦力は足りていないから油断はできないが、と呟く霧墨。
そのまま、彼は桂馬の駒を二つ取り、地図上の岩槻城の左右に配置する。
「兵は神速を貴ぶの通りだ。まずは速攻戦を行う。二手から岩槻城をかき乱し、その隙に本隊で一気に城を落とす」
「なるほど。しかし、そう巧く行きますか?」
「行くさ。火の用意は済ませてるからな」
「火攻めですか」
「ああ。速攻戦で岩槻城を落とした後はそのまま二手に分けた傭兵をさらに奥部に進行させる。次の支城落としに使うつもりだ」
「………。戦力の分散は危険では?」
「馬ぁ鹿、宮辺と隅野の国の領内に紛れ込ませるんだ、見つかりはしないっつの。というか、目線をこっちに留めるための本隊五千人だし」
伏兵を他国の山林に隠し、目を引く囮として最大規模の五千の兵を動かす、という事か。
兵が動けば痕跡が残るものだが、小さな痕跡はそれよりも大きな痕跡によってカモフラージュされる。山間にそれぞれ分けた千五百ずつの兵は、五千人からなる本隊が進軍し続けている限りは透明な部隊になるという事だ。
この辺りは流石に智慧が光るというべきか、幼いながらも麒麟児、天才軍師と呼ばれるだけのことはあると思った。
「ま、こんなところだ。さぁて、どんな戦になるか―――楽しみだな」
「………」
隻眼をゆっくりと閉じる。
楽しそうに笑う霧墨の表情を、瞼の裏側に堕ちる暗闇で消し去った。
「まさか。楽しいものか」
―――この世に地獄をばら撒こうとも、それによって歪んだ笑みを浮かべようとも。それでも、けっして。私は戦を楽しいとは思えない。きっと、永遠にそうだろう。




