赤松との戦へ
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雪が融け、それは山脈にしみ込んでそっと大地に大河として涌き出る。
梅の花が咲きだして、にわかに気候が暖かくなる。それを、その冬の明けを、私は四肢の傷跡の痛みが和らいだことによって感じ取った。
「準備は整いました」
「そうですか。随分と時間がかかりましたね」
―――いよいよ、季節は冬の明け。月日で言えば三月の半ばと言ったところ。隼波木に設けられた執務室にて、夕影と霧墨によってようやく、その報告を聞くことが出来た。
「兵の頭数を増やすのと最低限の教育をするだけでも時間がかかるんだよ。特に、今回は今までよりも遥かに運用する兵の数が増えてんだ」
「それに伴って行軍に必須となる兵糧の用意にも時間がかかりました。それでも姫様の金に物を言わせた回収策によって必要数は確保できましたが………」
「代わりに三国の国庫は殆ど空っぽだ。お前、赤松に勝ったとして、この先どうにかできんのか?」
「それはお前たちの考えることではありません。確実に赤松に勝つことだけを考えなさい」
吐く息は既に白くは無くなり、火鉢を置かなくとも決して、凍え死ぬことは無い。
春ではないが、冬でもない。攻めるに適しているのはこの時期だけだ。
視線を霧墨に向けると、戦力の内約を聞く。
「それで、どれほどの人数を集められたのですか?」
「三国合わせた軍部の総数は、正規の兵のみで凡そ八千。勿論、攻めにその全てを使うわけには行かないから、半数を残して四千。登用した外の国からやってきた浪人たちが凡そ千程度だ」
「五千程度しかいないと?赤松が動員可能な戦力は最低で見ても一万と二千を優に超えるでしょうに」
「傭兵を使う―――お前の考えだろ、毒姫」
天唯には傭兵という職種が存在する。
まあ、日本にも似たようなものはいた。そもそも忍び達がそのような性質を帯びており、時代が下れば雑賀衆と呼ばれる者たちが、まさに傭兵的な活躍をしていたのだから。
浪人たちは様々な理由によって主家を失い、次に仕える家を探していることが多い。故に彼らは正規の兵として扱うことが出来る。しかしながら、傭兵たちに関しては話は別だ。
彼らは報酬と引き換えにその武力を提供する………今回の場合は間違いなく、金だろう。徐々に流通を拡大させている六櫻銅貨、この支払を待っている。
私の顔が彫られたあの銅貨はそれそのものに価値がある訳ではなく、信用によってその価値を保証されている貨幣だ。現在は一瞬にして二つの国を滅ぼし、取り込んだことが六櫻銅貨の価値を底支えしている。
そこから更に急速な経済的成長の芽によって、三国を超えて外へと流通するに至っている状況な訳だ。
当然、普通に考えればまだまだ投資をするには危険な貨幣であるため、まだ傭兵の確保には至らないと思っていたのだが。
「小夜ですね?」
「………あの商人によって、傭兵と呼ばれる者たちとの伝手が生まれました。霧墨はそれを利用して、三千もの兵を用立てています。支払うべき対価も、相応に多いですが」
「文句はないだろ?兵の数を揃えるのは必須なんだから」
にやりと笑う霧墨に対して冷静に言葉を放り投げる。
「ええ。元よりそのつもりでしたから。この国の金を握っているのは私と衣笠の双子です。お前が起こした行動は全て、金という流れで記録しています」
「………傭兵を雇用したことがわかってんなら、なんでわざわざ聞いたんだよ」
「あなたの口から報告を受けていませんので。私は国主です。そして金は私の財産だ。それを勝手に使うのであれば、相応の理由と報告が無ければなりません―――そうそう。あまり理解していないようですのではっきりと言っておきますが、勝手に私の財産を、即ち国の金を使うことは重罪です。次にやれば牢に放り込みますので、気を付けるように」
「ッチ」
少しだけ悔しさが感じられる舌打ちを聞き流すと、その直後に執務室の先から声が聞こえる。御簾越しのそれはやや声の掠れた女のそれ、箒の声だった。
「………姫様………お客人が」
「いれなさい」
「御意に………」
箒が静かに戸を開けると、一礼をしながら静かに入ってきたのは、肩までの黒髪と兎の耳飾りを持つ商人、小夜であった。
いつも通り、やや胡散臭さすら感じる笑みのまま、小夜が私の前に膝を付いた。
「ご機嫌麗しゅう、華燐姫。取り込み中でございましたか?」
「いいえ。丁度お前が手配した三千の傭兵に関する話をしていました」
「ああ、あの!霧墨様に命じられたあれですね。いやあ、あれは少々大変でした―――お高くつきますよ、姫様?」
「元は取れると保証しましょう。それで?」
「ああ、そうでござんした。わたくしの用事ですね………姫様、少々お耳を拝借させて頂いても?」
両手を合わせ、小首を傾げる小夜に対して溜息を吐くと、左手でこちらに来いと指示を出す。
頷いた彼女は膝を付いたまま擦り寄ると、私の耳元に口を近づけた。
「御所望のものは用意させて頂きました。指示はどのように?」
「ご苦労。………宝治に一任させます」
「かしこまりました。うふふ、では重ねて褒美を期待しております。お気をつけて」
ころころと笑いながら私から離れていく小夜を半眼で睨む。
まあいい、こいつは想った以上に有用だった。これからも利用しあえるだろう。それよりも目下の課題は、赤松攻めだった。
何度も言うが、赤松という国はここまで戦ってきた須璃や隼波木とは国力の土台が違うのだ、考えるべきことは多い。
「霧墨、赤松に勝つ算段はついているのでしょうね?無策で勝てる相手ではないでしょう」
「当たり前だ。そもそも赤松の国の現在の国主、赤松彰吾は知将として知られている男だぞ?」
まあ、僕ほどじゃないけどと語る霧墨がさらに言葉を続けた。
「赤松の国は何度か中央側から侵略に合っているけど、それを犠牲を生じさせつつもきっちりと押し返してんのが赤松の殿様だ。その配下も数が多い上に、層が厚い。現在の僕たち六櫻とは対照的にな」
そういうと、霧墨は身を乗り出すと、手をパーの形にして私の前に突き出した。
隻眼を細めて何がしたいんだと私は彼を見つめた。
「五人だ」
「………なにがですか?」
「赤松の国が擁する、一騎当千と呼ばれる兵士の数」
「………」
単騎で千の兵を殺すとされる一騎当千。それが、五人。
流石は赤松というべきか。天唯南部最大の大国、唯一中央から先の国々と渡り合えるとされた国家は、兵もまた潤沢である。
思わず顔を顰めると、夕影の方を見た。
「夕影と同等のものは?」
「いねえよ。居てたまるか。だが、夕影は一人しかいない。それに対して相手は五人だ、正面からやり合ったらまあ、勝ち目はない。夕影だけは生き残るかもしれないが、後は最悪、全滅だな」
「数は力、ですか。ではどうするので?」
「は、考えはある」
相も変わらず、随分と楽しそうに笑うものだ。
これからやるのは正真正銘の侵略戦争であるというのに。今更な話ではあるが、やはり霧墨もどこか頭の螺子が飛んでいるのだろう。
軍略という自身の才を存分に発揮できるのだから、楽しいのも仕方はないのかもしれないが。
ふと思い、呟きを落とす。
「足元を掬われぬように」
「は、お前さ。誰に言ってんの?」
「そうですか。それなら良いのですが」
―――どうでもいい。地獄を広げられるなら。
「出立は?」
「明日にでも。既に兵は準備を終えていますので」
「兵糧についてもわたくしたち藍染家が協力させていただきました♪次回もまた、ご贔屓に」
それらの声を聞き流すと、私は立ち上がる。
「準備が終わっているのなら今すぐにでも出るべきでしょう」
「そういうと思っておりました。既に馬は待機させております」
「………そうですか、ご苦労」
周囲を見渡す。居るのは少し離れた場所で成り行きを見守る宝治と一応は部外者の小夜、そして軍部所属の霧墨と夕影だった。
これからやるのは、間違いなく一世一代の大戦だろうに、随分と人が少ないと思った。更には、私が拒絶しているのもあるが、信頼などという繋がりは殆どないものばかりだ。
だが、それでもいい。絆などというふざけたものよりも、利害の一致による繋がりの方が余程信用に値するのだから。
私は着物の帯に挟んだ扇子を手に持ち、天井に向けて突き出すと、しっかりと言い放った。
「覚悟はできていますね。まあ、出来ていないなどという言葉は許可しませんが。では………赤松攻めと参りましょう」
多分、今の私は笑っているのだろうと、そう思った。そうとも、きっと醜く嗤っている。構うものか、どうせこの身はとっくに血に塗れ、穢れているのだから。
………その日、後に六櫻連合と呼ばれる国から、八千を超える兵が出立した。
向かう先は、滅ぼすのは―――天唯南部最大の大国、赤松の国。龍の口を押える、要石。
これより始まるのは毒姫、悪鬼、傾国と後に様々な名で呼ばれる六櫻華燐の、始まりの大戦である。
その戦の名は櫻松戦争。これより、天唯という歴史の中に、六櫻華燐という名の姫が躍り出ることとなる。




