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暗雲


―――こんな世界だからと、そのような事を言うつもりはない。

この世界でも、前の世界でも何ら変わりはない。いつだって唐突に、地獄と死神はやってくる。それほど徳を積んだ聖人君主でも或いは極悪人でも。

そして、何もしていない、何の価値もない一般人であっても。


「お前が六櫻の国の姫………華樂の忘れ形見か」

「―――忘れ形見ですって?」


黒鎧の兵が呟くのは、城下街より少々離れた場所に築かれた小砦、その外側だ。

当然ここまで攻め込まれた時点でもう詰みに近いのだが、華樂(とうさま)の作り上げたこの砦はそこから長期に渡って防衛が出来るようにと工夫もされている。

食料品が大量に隠されているほか火への対策や、傾斜等を用いてこちらから一方的に打ち下ろせる仕掛けなど様々だが、幸運にも今回はそれらの設備を使用する事態にはならないらしい。

………いいや。不幸にも、なのかもしれないが。


「神瀬の国の(つわもの)とお見受けします。………父様は、どちらに」

「ふん………出涸らしめ。貴様のせいで………」


視線に宿るのは敵意と悪意。黒鎧に身を包んだ、土織家の旗を掲げる神瀬の国の兵は今にも刀を抜き、私に襲い掛かりそうだが、そうしないのは私の背後に立つ夕影を筆頭とした、六櫻の国の兵たちのおかげなのだろう。

こちらの兵たちは黒鎧に向けて殺意をすら向けている。まさに一触即発と呼べる状態であり、刺激はしたくない。

出涸らし、と。そう罵倒されたことは聞き流し、改めて黒鎧の集団の先頭に立つ男に対して視線を向けた。


「説明を」

「………」


忌々しそうに私を眺める黒鎧だが、私と彼らは初対面である。私が動けるようになって時間がそれほど経っていないことと、私がこの国の外から出ていないことも相まって、私を知る外の国の人間は少ない筈だ。

まあ、容姿に特徴はあると自覚しているため、見た目の情報だけは出回っているかもしれないが、それはさておき。

冑の下で目を細めた黒鎧が、感情を殺した声で告げた。私への罵倒をセットにして。


「鬼子め―――六櫻の国の()当主、六櫻華樂の胴体を届けに参った。奴は………華樂殿は土織家に忠誠を誓わなかったため、土織家現当主釈蛇様の命によって首を落とされた」

「………なんですって?」


一瞬目を見開き、すぐに黒鎧を睨み付ける。しかし、彼から返ってきたのは寧ろ私への敵意であった。

伝わってきたその感情に、一瞬生まれた怒りは即座に困惑へと変わる。


「何故、あなた達が私を睨むのでしょうか。おかしいでしょう!」

「ふん、何も可笑しなことは無い。華樂殿は貴様のせいで死んだのだ。国を捨て、土織家に使えよという命を、お前を理由にして断った。その時点で、あの方は死する運命となった!死ぬにはあまりにも惜しい人間だったというのに!」

「なにを、言いがかりにも程があるでしょう!?我が国の国主を、引き抜こうなどと………そのような狼藉が、無法が許される訳が?!」

「可能だ。魔王と呼ばれる釈蛇様ならば、そのような無理も通る。そして、そもそもとして―――華燐とかいったか。貴様以外、華樂殿がこちらに付けば、その時点で六櫻の国もまた神瀬の国の軍勢となる。そうなれば我らは彼を守ることも出来た。貴様だ、貴様がいるから………貴様に国を残し、貴様を守りたいからと華樂殿は釈蛇様の命を断った!死ぬと分かっていたというのに!」


一歩前に出た黒鎧が、私の首を掴んだ。そしてそのまま宙へと持ち上げられる。

………首が締まって呼吸が止まる。あまりにも強い力で首が嫌な音を立て、音にならない悲鳴が零れた。


「ぁ………ぅ、ゃ………っ」

「華樂殿にはまだまだ未来があった。貴様が生まれてこなければ―――ッチ」


意識が途切れそうになる直前、黒鎧の腕が解かれる。舌打ちの理由は、彼が手を抑えているが故だろう。

地面に落ちて、何度も咳き込んだ後に私は一応彼女にお礼を言った。


「あ、りが、とうございます、夕影………ですが、こう、なる前に、助けてほしかった………」

「そうですか」


手刀を作った夕影が黒鎧を静かに見つめていた。私に対する視線は、ない。


「一応、私は姫様を守れと言われていますので。命に関わる攻撃は困ります」

「それは失礼をした、六櫻の戦姫(いくさひめ)。それにしても華樂殿の秘蔵娘とすら呼ばれる貴女が、その出涸らしの護衛とは」

「華樂様の命です。例え命亡きあとも、私はその命令を守る義務があります。最も近き臣下として」

「………貴女が姫であれば良かったものを。無礼を詫びましょう」


私に対する物とは打って変わって丁寧な振る舞いの後、黒鎧が合図を出す。

黒鎧の人の波が割れて、その奥から質素ながらもしっかりと装飾が施された棺が丁重に運ばれてきた。そして僅かな振動も与えないようにとゆっくりと置かれた棺の蓋が、外される。

………濃厚な血の匂い。そして運ばれる間に蒸されたのか、硫黄のような匂いとわずかな糞尿のそれも混ざる。

即ち、それは腐り始めた人間の匂い。死の、匂い。


「う、え………」


思わず左手で口を押えた。吐き出さないように、そのまま指を強く噛む。

ギリッという音と共に血が出て、ますます吐き気が増した。

―――棺の中に収められていたのは、首のない人間の死体。その死体が着ている着物は確かに、六櫻の国を出立する際に父である華樂が纏っていたもので、その隣には六櫻の国の家紋である六枚の桜の花弁が刻まれた鞘に収められた、父の刀が置かれていた。


「貴様の罪だ、出涸らしめ。我々は貴様を許さない―――最期まで、華樂殿に感謝するが良い。我々は少なくとも、貴様が成人するその時まで、直接(・・)刃を向けることは無い。それが華樂殿との最期の約束だからだ。無論、大人しくしていればだがな」


もっとも、そのような勇気もあるまいが、と。黒鎧は嗤った。

何度か息を吸い込んで、その度に腐臭に嘔吐く。ようやく落ち着いた後、私は何とか思考を整えて黒鎧を見上げた。

意識して、死体に目線を向けないようにしつつ。私は、文明的な現代人を自称する。暴力沙汰―――などという次元でもない気がするが―――は得意ではないのだ。


「………直接、という表現に随分と力が籠もっているようですが」

「察しが良いな。つまりは、そういうことだ」


腰に佩いた太刀に指を当てて、数度叩く。

つまりは武器や防具の供与を始めとした、他国の支援は行うという訳だ。


「首は神瀬の国にて預かり、丁重に弔うと宣言しよう。役目は果たした。六櫻華燐のような凡愚のために、華樂殿が死した事実をとても悲しく思う。では、さらばだ。六櫻の武士共よ」


そう告げると、黒鎧の集団は身を翻し、城下と反対側へと去っていく。残されたのは首を斬られた死体が納められた棺と、沈黙だけだった。

私は棺の前に座り込むと、首を抑えながらその蓋を閉じる。


「………おかえりなさい、です。父様」


涙は、出ない。愛されていたのは知っている。狂っているといえるほどに手をかけて、私を………否。私が宿る前の六櫻華燐という人間を生き永らえさせたのは、深すぎる愛情が故だろう。

だが私は厳密に言えば華樂が助けたいと願った華燐ではないのだ。他の世界の人格と知識、価値観と華燐の魂が混ざり合った、良く分からない存在。歪で異質な人間、それが私なのだ。

あまりにも、私が私となってから、父との思い出が少ない。少なすぎて、悲しんでいいのかすら分からない。

愛に応えたいとは思っていたけれど。返すべき貴方が死んで、私は一体何をすればいいのですか?


「姫様。お退き下さい」

「いたっ………え?」

「邪魔だと言っているのです。華樂様を弔わなければなりません。貴女のために命を落としたこの国の主を」

「私も手伝い―――っ?!」


家臣に退かされ、伸ばした手を振り払われる。そして、家臣から返ってきた視線は、先程の黒鎧が私に向けていた視線と全く同じものであった。

濃密に煮詰められた、悪意と敵意。総じて殺意とすら呼ばれるもの。

その視線にさらされて、私の動きは止まってしまった。


「貴女は何もするな。………生まれてこなければ。せめて、刀を握れれば、否。男児でさえ、あったなら」

「………」


家臣全てが私を置いて、私の全てを否定して去っていく。六櫻の城へと。

唯一残ったのは私の背後に佇む夕影だけだった。しかし、振り返らずとも理解できる。どうせ、彼女も彼らと同じ視線を私に向けているのだ。

血の滲む左手を握りしめて、震える声で呟く。


「………私が、なにをしたというのですか」

「何もしなかったのがいけないのではないでしょうか。戻りますよ」

「私は!!………私は、私には何も………!」


何もさせてくれなかったのは、貴方達だ。期待してくれなかったのは、貴方達だ。そう叫ぼうとして、諦めた。

目を伏せて、歩き出す。静かに暗雲が空を覆い、空から落ちた黒い闇が私の足元へと近づいていた。



そうして、地獄へと運命の賽子は転がりだす。


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[一言] 唯一の味方だった父との最悪の再会。姫はこれからどうなってしまうのか。
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