残党退治、落着
旧六櫻の兵の参入によって、徐々に戦場全体の形勢が逆転していく。
それは戦場における特効薬とでも言わんばかりに、あっという間に隼波木残党の勢力を駆逐していった。当然、六櫻側にも犠牲はある。中には六櫻の古参の武士でありながら打ち取られたものもいた。
だが、異常な速度で六櫻の兵は隼波木残党を押し返していると、私の目から見ても理解できた。
何故という疑問は、私が口に出すまでも無く霧墨によって答えられる。
「夕影が竜水を殺したな。ついでに竜水の周りの兵もまとめて刈り取ったんだろ」
「………まだ敵の第一陣を抜けてそこまでも時は経っていませんが」
「あいつに時間なんているかよ。六櫻の戦姫は、まごう事なきこの天唯戦乱の時代に於いて、最強と呼んでも差し支えない実力がある。赤松の国の抑え程度の役割しか持てない一騎当千が同じ土俵にある訳ないだろ」
「一国を抑えられるというのは評価としては決して低いものでは無いと思いますが」
「ただの抑えだ、攻め込めば多少の犠牲が出るから率先して戦いたくないですよってな。だが、夕影なら抑止力そのものになれる。形勢次第では赤松に滅ぼされるのが隼波木、逆に赤松ですら攻め込んでこないのが六櫻なんだよ」
隻腕の指を唇に置いて、考える。
抑えと抑止力。成程、聞けば全く意味合いが違う訳だ。大国に近い軍事力を持つ赤松の国ですら、六櫻を滅ぼそうとはしなかった。それは、迂闊に攻め込めば逆に滅びることになると判断していたためなのかもしれない。
そうとも、我が父華樂には敵が多い。それ以上に仲間も多かったと聞くが、そもそも彼にはこの戦乱の世にも燦然と輝くだけの才能があり、その名を轟かせていた。
………他の国にとっては将として欲しい人材であっただろう。実際に、魔王率いる神瀬の国は六櫻という国の国主を自身の家来のように扱い、六櫻を実質の属国としていた。
逆に言えば魔王程の勢力がなければ、華樂を自由に使うことは出来なかったという事の裏返しである。天唯南方の小国では、六櫻という同じ小国である筈の国家を滅ぼせなかったのだ。例え何かしらの策を練り、うまくいったとしても、その犠牲は許容できる範囲には収まらない。
その犠牲を生み出す怪物こそが、一瞬で一騎当千を刈り取った夕影という天狗という訳である。
いるだけで抑止力となる、存在価値のある女。私とは何もかもが逆である。
「本当に、あれが国主になればよかったのに」
或いは、華樂はあれを後妻として娶ればよかったのだ。その上で私以外の子を成せばそれで万事解決だった。
まあいいと首を振る。もう既に華樂の胤は無いのだ。彼の血だけが私の中に留まっている。栓亡きことだ。
視点を戦場に戻す。一時私たちを襲った隼波木残党の中の、恐らくは精鋭だと思われる者共は馬廻衆によって迎撃され、その屍を本陣の中に晒していた。
彼らがやったことと言えば、本陣の天幕をめちゃくちゃにした程度だろう。十数人からなる血塗れの兵士たちは、結局私どころか霧墨にすら傷を付けることは出来ず、大地に倒れ伏した。
おかげで天幕の向こう、平地で行われている戦場が随分と見やすくなった。
聞こえるのは銅鑼の音、先程とは音の鳴り方が違うのは、きっと霧墨が指示を変えたせいだ。
「恐れるべき嵐は消えた。あとは内の大嵐が残党の背後を裂いて回る。僕たちはあいつらを囲んでゆっくり押しやればいい―――夕影の方にな」
「あれにばかり任せていて良いのですか」
「赤松を滅ぼしにかかるなら兵の数は温存しておきたい。それに、夕影を心配するだけ無駄だ、あいつはまだ何も本気を出しちゃいないんだ」
「………あれで?」
「あいつにはあいつ愛用の得物がある。だが、それを使うまでも無いって判断しているんだ。 正直、隼波木以下の小国だったらやろうと思えば夕影一人で敵兵を全員殺し尽くせる」
勿論、籠城戦とかをされたら別だけど、と付け加えられた。
城攻めではなく、単純な野戦であれば彼女はその身を大きな嵐に変えて、戦場を蹂躙するという事だ。
彼女を自由に動かせないのは私のせいである。あれは私の護衛であり、そしてあれを自在に動かせ続けると後々になって他の国との戦争において詰む。私のその考えはきっと間違いではないだろう。
たった一人の英雄に国の趨勢を委ねた結果なんてものは、とっくに六櫻の国の人間なら知っているのだから―――華樂が、私がその罪の証である。
まあなにはともあれというべきか。完全にこの隼波木での戦いに決着はついたとみて間違いない。
危なげなく、という纏め方で間違いはないだろう。そうとも、この程度で予想外など起こってたまるか。
綱渡りはまだ始まってもいない。今はようやく綱を引いて、その上に乗る準備が出来たという段階である。
「この短期間で国を二つ落としたとなれば………冬が明ければ大変なことになるでしょうな」
「ええ。しかし、おかげで冬の時間で備えることが出来る」
「なあ、毒姫。お前さあ、隼波木なんか落として何がしたいんだ?」
霧墨が本陣の天幕に置かれた将棋の駒や盤を片付けつつ、そう問いかけた。
「確かに………隼波木の兵や将をそのまま使うのであれば………兵力の増強とも考えられましたが………。姫様は………一騎当千も含めて………全て、殺しています」
「他国の兵をそのまま流用など出来るものですか。隼波木という国土そのものが欲しかったのですよ」
「ほほう。その心は?」
「………冬が明ければ赤松に攻め込み、彼の国を落とす。兵站の観点から、拠点は六櫻や須璃よりも隼波木という場所に置いた方が無理がない」
「本気で赤松を落とす気かよ、お前」
「ええ。六櫻のためです、従いなさい―――後は人間ですね。隼波木は兵という観点で言えば国土に対してそこまでの人数はいませんが、民という点で言えば話は変わる」
人間の数は力だ。これは兵という意味ではなく、人工………労働力という意味である。隼波木は結論から言えば赤松落としのついでだが、どうせついでに落とすのであれば利のあるものを潰すべきだ。
六櫻は海に面した小国であり、須璃は盆地の中に国が築かれたという特徴を持つ。それに対して隼波木は広大な国土はまさに平野というべきものであり、また山間にも集落があって人の行き来がある。
つまり六櫻や須璃に比べて人口が段違いなのだ。人の多さは言い換えれば労働力の多さに繋がり、そしてそれは金に直結する。
赤松との戦いは、戦いというものにあまり造形の無い私ですら、厳しいものになると理解できる。六櫻にせいぜいちょっかいをかける程度しか出来なかった須璃や、天唯全土を巻き込む戦乱の世において、戦いをほとんど知らなかった隼波木とは違うのだ。
此処までは私の我儘で何とでもなる領域だった。ここからが、六櫻が本格的な戦いを迎えていく分水嶺である。
冬だ、この冬をどれだけ有効に扱えるか。それがこの先の私の道を決めるだろう。
視線を上げれば、いよいよ戦争は終結を迎えている様であった。隼波木残党を駆逐し終わり、視力の低い私の目にも、敗走していく敵兵が見える。
騎馬兵を奇策で倒した後は単純なぶつかり合いであったが、夕影が後方で一騎当千を撃破し、更にそのまま兵を蹂躙。こちらも新兵が犠牲になったが、六櫻の古参兵を投入したことで持ち直し、犠牲を払いつつも正攻法で残党を撃破した。白鬼衆も、多少は天秤をこちら側に傾かせる要因となっただろう。
………戦いとしては可もなく不可もなしといったところだ。霧墨はもっと指揮のし甲斐のある戦いがしたいと、表情の下でうずうずしているのが見て取れた。
待っていればいい。この冬の内政を整えたら、直近では最も大きな戦の始まりだ。此処までの小国の踏み潰しなんて前戯であったと思い知るほどに。
首を手にした夕影が戻ってくるのを待って、私は隼波木の城下街へと場所を移す事にした。




