隼波木、佳境
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「この城は要らん。燃やせ燃やせ。だけど僕たちの脱出路は残しておけよ」
「須璃の交叉女城のように再利用はしないのですか?」
「ああ。この城は隼波木という国家の中枢機能を持った城だが、守りとしてはそこまで重要じゃない。本城よりも支城で進行を防ぐ方がずっと大事だからな」
ここまで攻め込まれた時点で普通なら終わりだよ、と笑う霧墨の声を聞き流す。下駄の音を鳴らし、腰の刀に手を当てながら。
私が霧墨の近くを歩いているのは、彼の護衛のためでもある。軍師とはいえ仮にも侍に分類される以上は、霧墨も多少の体術や剣術の心得があるが、それは大の大人のそれには全くかなわない。
彼の事だ、自身が戦乱に巻き込まれないように立ち回ることは出来ているので、わざわざ私が傍に付く必要はないが、戦場ではどんなことも起こりうる。
故に、決戦の時まで私が彼の傍で護衛を行っているのであった。
霧墨という少年は、六櫻の国に………姫様の戦いに必要な人間である。失うわけには行かない。
「まあ、その支城で攻撃を食い止めるということが出来なかったからこそ、こうやって簡単に本城を落とされてるわけだけどな」
「………隼波木の国は、私たちのこの行動を予測は出来なかったのですか?」
「本来なら警戒するはずだが、この季節とあの毒姫の評価のせいだな。知ってるか?あいつ、近隣諸国だと無能な姫っていう噂が出回ってんだ」
ま、間者を使ってそのうわさを流しているのは僕だけどな、と笑みを浮かべながら霧墨が呟く。
「何度も通じる手じゃない。だが、無能っていう噂を信じる馬鹿どもには致命傷に至る傷になる」
「そういうものですか」
「そういうもんだよ。つっても、戦乱から遠い天唯の南部なら赤松の国以外には通じる」
天唯中央との門番であり壁である赤松の国は、戦乱に明け暮れる天唯中央や東西北との関わりも強い。
そのため、思想や情報の使い方などは天唯南側の小国群に比べれば歴然とした差があるという。勿論、国家の規模も大きく、海こそないもののその力は天唯の南方随一………備わっている兵力もまた、小国では比べ物にならないほどのものがある。
「あの毒姫は赤松を落とすつもりらしいが、正直今のままじゃ難しいだろうね。単純に抱えている兵力、兵站の差が大きい。正面からじゃあまず勝てないが、かといって奇襲したところでどうにかなる相手でもない。華樂様みたいな才能があれば別だったんだけど」
「姫様は華樂様にはなりえません」
「知ってる。本当に、なんであんなのが華樂様から生まれたのやら………ん」
頭の後ろで手を組んだ霧墨の目が細まる。視線の先は、天守から手勢を引き連れてやってきた男の姿を捉えている。
「あの顔立ち、姿絵にあった隼波木の国主、秋柄蓮司で間違いないでしょうな」
「涙助、姫様の護衛は?」
「必要ありますまい。箒と古森が付いております故」
箒は兎も角、古森は現状余り働かないだろうと頭の隅で思ったが、口には出さない。
実際問題はないからだ。曲輪を超え、本丸へとやってくる間に混乱に陥っている兵士を大多数を殺し尽くしている。残っているのは本丸の天守に溜まっていた―――先程、姿を現した馬廻衆だけだ。
足軽衆は乱取りをしてさっさとこの戦場から逃げている。そしてわざわざ城に戻って城内の火事場泥棒を行おうとするような、自身の実力も分からず、戦況の判断も行えない足軽程度に、箒や古森をどうにかできる筈がない。
故に、私たちの後方は安全地帯であると言えた。
「では霧墨、あまり動かぬように」
「分かってる。僕は戦いは不得手なんだ」
「涙助は私に続きなさい」
「御意に御意に」
常に戦の渦中にありたいと願う男、涙助。
姫様の周囲は常に戦乱に在り続けるだろうと、一言そう言っただけで「では馬廻衆に加わりましょう」と笑った、変人。
だが、槍捌きは達人の域にある。もう少しで、一騎当千に名を連ねる程度に。だからこそ、注意しておく必要があった。
「殺しすぎないように。教育も兼ねているのですから」
「姫様からも釘を差されましたよ」
肩をすくめると、槍をまわし駆けだす。その背を見やり、そして一足の内にそれを飛び越えると、六櫻の軍勢の先頭へと踊り出る。
甲冑を身に纏い、面当てのない兜から覗くのは鼻の下に整えられた髭を持つ、中背の男。
手に抜身の刀を持ち、それを私の方へと向けた。
「六櫻の天狗が………いや。そもそも何をしに来たか!!」
「姫様の命にて、隼波木を滅ぼしに」
「この無礼者が!!六櫻の華樂の狂信者どもめ、絶対に生きては返さぬぞ!!」
そんな声を聞き流しつつ、周囲に視線を向ける。
秋柄蓮司が連れている馬廻衆はそれなりの数だ。というよりも、馬廻衆の他、その直属となる別の組もここに集めていたらしい。
判断としては正しい。戦力を分散して各個撃破されるより、確実に迎え撃てるこの場所に集めておけば撃退できる確率も上がるだろう。だが、問題は霧墨が敵がそう動くという事を予測していたことだ。
敵は天守周りに兵を集中させるだろうと読んでいたため、気負う事も深い警戒も必要がない………曲輪を始めとした迎撃拠点で六櫻の数を減らせず、そもそも迎撃に移る兵が少ないために私や珠の様な足の早いの兵が、相手方が何かをする前に屠る。
それを繰り返しつつここまで到達したため、結局六櫻側の兵は殆ど損耗なくこの本丸天守に立った。
憐れな事であるが、この焼け落ちる天守を背景にして立つ秋柄蓮司と彼が率いる兵の一団は、姫様の育てた兵の性能実験の道具でしかない。
「いいえ。最も憐れなのは、それを知る事すらなく、殺されることでしょうね」
「何を言っている!」
「別に。意味のない事です。さて」
背後に立った涙助に視線を向けると、頷くのが見えた。
大男がその槍の石突を大地に叩き付けると、鈍くも大きい音が響く。
「武勲を上げたいものはここであの鎧男の首を獲れ!!死を恐れるな!!だが、生にしがみ付け!!!」
要約すれば死ぬ気で戦え。だが、生きて戻れ。
―――姫様が考えた口上だ。あの人は傷を負って以降冷酷で無慈悲になったが、その性根のどこかで生来の、この時代には似つかわしくない優しさが残っている。
普通なら犠牲を恐れずに死ねというだろう。………或いは、より残虐なのか。
死なずに殺し続けることを、地獄に身を置き続けることを強制しているとも取れるのだから。
「さてさて、六櫻が一番槍。涙助が先陣を切らせて頂こう」
槍を両手に持つと、涙助が駆けだす。
大男の深い踏み込みからもたらされる圧力は相当のものだろう。慌てたように秋柄蓮司が叫んだ。
「構えろ!!何しているか!!ええい、掛かれ!!」
「お、応ッ!!」
「おおおおおおおおお!!!!!!!」
衝突。隼波木の兵がそれに数人吹き飛び、涙助の槍は的確に宙に飛んだ兵の首元を抉り取っていく。
「なんだ、雑魚を散らしてるうちにもう始まってるじゃん!私もやっていいのか!?」
「せやねぇ。珠、怪我せんようにね」
どこからか、姫様が白鬼衆と呼んでいるものもやってくる。迎撃の兵が少なかったのは、この遊撃部隊とも言える白鬼衆が暴れ回っていたのもあるのだろう。
元は山賊である珠という、才能の源石。
………徐々にだが、六櫻に今までとは違う質の兵が集まりだしていると思った。時代が、変わりだしている。直観だが、そんなふうに感じた。
城の瓦を踏み抜いて飛び上がった珠が身体を回転させながら思いっきり得物を地面に叩き付ける。地面が砕け、舞い上がった粉塵を煙幕として駆け抜け、隼波木の兵の頭蓋を的確に潰していく。
金の目が、楽しそうに歪んだ。
暴れだした二人の将に続くように、ややしり込みしていた六櫻の兵が動き出す―――本当の意味での精鋭である、旧六櫻の武士は動かずに静観するように、私と霧墨、そして姫様から命が出ていた。それを破っていいのは、古森の鏑矢が鳴り響いた時と、訓練目的で放り込んだ須璃出身の兵の一割が死んだときだけだ。
「行け、行け!!続け!!」
「俺たちは武士だ!恐れるな!!」
剣戟、乱戦。私は刀の柄に手を当てたまま、ただ見守る。
決着はそう長くはない。士気の低さを感じ取れるためだ。すぐに隼波木の兵は根を上げるだろう。
髪を揺すって背後を見る。姫様の気配を感じた。あと少しで、彼女はここに来るだろう。悠々と歩いているように感じるが、その足音はどこかぎこちない。
………義足が酷く痛んでいるのだろう。大人の男ですら耐えられない痛みを、ひた隠しにしている。
華樂様の娘ならそれくらいは当たり前だと思いつつ、何故か違和感も感じる。これでいいのだろうか、あれでいいのだろうか。
私は、人の心が良く分からない。これが善なのか悪なのか、まだ分からない。ただ、目を伏せて思考に没頭することしか出来ない。
戦うしか、私には能がないのだから。それでも。
”「いつか分かるよ、夕影。お前は聡明で、優しい奴だから」”
華樂様の言葉を信じて、私は思考を止めぬようにしようと、そう思った。




