隼波木城下
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山を隼波木の国の人間に知られること無く滑降し終えた六櫻軍は、森を完全に抜ける前に一端の休憩を取っていた。
太陽は空を照らしているが、まだ整備の進んでいない森林の中であれば、大人数とはいえ姿を発見されることは無いだろう。
………そう、昼だ。私たちは、昼に休憩を取っていた。
「仕掛けの基本は相手の気が緩んだ時。まあ、夜襲はそのいい例だが、逆に夜の間は警備が厳重になる事も多い。ならどうするか」
天幕もない、簡素な布に包まって暖を取る霧墨が私に向けて、いや。私には視線を合わさずにそう語る。
「狙うのは朝方か夕暮れだ。今回は逢魔が時とまで言われる夕方に仕掛ける」
「どのようにして城を落とすつもりですか。相手に籠城策を取られればその時点で終わりですが」
「僕たちの軍勢が簡素な防具を纏っているのは、お前の移動手段を使うためだけじゃない。きちんと理由があって装備させてんだよ」
「………」
重い鎧を纏えないが故の妥協策ではなかったのかと少しばかり首を傾げた。
だがまあ、確かに出立の際に足軽の鎧を兵たちに纏わせたのは霧墨だ。なにかしらの理由があったのだとしても納得は出来る。
「お前が連れてきたあの山猿は使える。お前より遥かにな」
「珠の事ですね」
「ああ。あの身軽さは役に立つ」
そう言って、霧墨の口元が愉快そうに歪んだ。
人を殺す算段を付けるのが楽しくて仕方ないのだろう。やはりこの時代の才ある人間というのは、歪んでいる。いや、この時代こそが人を簡単に歪ませるのだろう。
私だって、その一人なのだから。
「姫様。そろそろお眠りに。あまり、寝る時間は取れません故」
「………分かっています」
夕影に窘められ、溜息を吐きながら目を閉じる。
当初は夕影が暖を取ることを理由として私と同じ布に包まる予定だった。確かに大雪の残るこの隼波木の国の深い森の中は、ある程度の防寒対策程度では足りず、私の体温を著しく下げ、そして傷跡に激痛を齎している。
けれど。それでも、私はあの女に身体を触れられたくない。いや、夕影だけではない、誰にも、私は触れられたくないのだ。
触れられると吐き気がする。人への嫌悪感を、私は止めることが出来ない。
だから、一人でいい。そうとも、全て一人で耐えればいいだけなのだから。
隈の消えない瞳を閉じて、私の意識は一旦闇の中へと融けていく。
***
眼が醒めれば日は沈みかけ、夕方となっていた。天狗の武者の名と同じ、夕日の影が空を埋め尽くそうとしている。
六櫻の兵たちはその殆どが身体を起こし、つかの間の休息を終えていた。武装を整え、身体をほぐしているのが見える。
私も体を起こすと、痛みを発する義足の根本を軽く叩いた。
「お前」
「なんですか」
弓の様子を確認していた古森が私に話しかける。私は視線を向けることなく雪の上に立ち上がり、服に付いた雪を払った。
「動けるのか」
「ええ。そうする以外にありませんから」
「その足、無茶が出来るようには見えないんだけど」
「あなたが判断することではありません」
じっと見つめる古森の視線と私のそれが一瞬だけ交わる。先に逸らしたのは、相手の方だった。
「やっぱ、アンタは華樂様とは違うよ」
「………何を今更いっているのやら。準備をしなさい、私たちはまだまだ、何度だって勝たなければなりません」
そうとも役目を果たすために。
―――いつまで、どれだけの時間がかかるかなど、分からないのに。
足の動きが鈍くなる。口元に左手を当てる。吐き気がした、血の味がした。それを気のせいだと言い張って飲み干す。
進軍準備を終えた兵を見渡し、夕影が私の背後に付く。その奥で、古森が零した言葉を私は知ることは無い。
「ただの小娘だ。戦いなんて関わるべきじゃない小娘だ。なあ、華樂様………多分、この国は間違っているよ」
あんな普通の人間が傷だらけにならなければ成り立たない国なんて、間違ってる。
………それは、かつて華樂に夕影と同じように華燐の護衛として、そして歳の近い友として付けられる予定だった平民の少女の、小さな言葉だった。
「さあ、英気は養いましたね。では、進みなさい、殺しなさい。隼波木を、この地図から消し去ってしまえ」
隻腕で扇子を前に向ければ、六櫻の兵たちが静かに進みだす。
その中に、珠を始めとした白鬼衆の姿も見えた。彼らは今回の城攻めで大きな役割を持っている。どこまで信用できるかは不明ではあるものの、霧墨は彼らを使うと決めたようだ。
あくまでも私の役割は外交を始めとした戦略規模でのバランス調整である。戦術規模では霧墨に全てを一任しているため、彼の判断を覆すつもりはない。
あれが使えると判断したのであればそうなのだろう。
馬もスキー板もない徒歩での移動、それでもこの時代の人間の歩行速度は非常に早い。山を越え、城下街にもほど近い森林の中で休息を取った私たちはきっと、隼波木の城主が想定などしていない速度で進んでいるのだろう。
………私は一人ではそんな速度について行けるはずもなく、箒に抱えられたまま移動することになっていた。私に対する興味の薄いこいつであれば、私が持つ人間への忌避感も多少は軽減されていた。
夕暮れを過ぎ、菫色の空がその天蓋に残る灯火を消そうとする。その時刻となって、黒い足軽鎧を付けた六櫻の兵はいよいよ隼波木の城下街へと辿り着く。
―――隼波木の国の本城、それはそのまま国の名を取って隼波木城という。その城下街もまた、今度は城の名を取り隼波木という。六櫻や須璃に比べれば巨大なこの国の、どこが中心地かを知らせるための小さな策なのだろう。
この時代の人間の夜は早い。灯りもないのだから陽が沈めば仕事など出来ず、精々が食事処などが多少の灯りを残しているかという程度。
それ以外はきっと、そう………きっと。家族との安らかな時間を過ごしているのだろう。
「燃やせ」
だから。いや、違う。ただ、これは必要な事だから。
私は命じるのだ。家屋を燃やせと、街を燃やせと。
火矢が射られて木造の家に煙が立つ。黒い煙が立ち上って、悲鳴が聞こえる。隼波木の城下街の至るところで火の手が上がり、そして最終的には人が焼ける匂いすら、漂い始める。
これを嗅ぐのは二度目だと、頭の片隅でそんなことを考えていた。
そんな思考とは別に、私の口は勝手に動き出す。
「洲鳥、珠。役目を果たしなさい」
「御意に」
「わぁってるよ、華燐」
カコン、と音を立てて下駄が鳴る。そして白い鬼の面を被った一群が、鍵縄を手に火の手が上がり混乱に揺れる街の中を駆けていく。
私たち六櫻本隊は、その混乱を蹴散らしながら、悲鳴を背にして隼波木城へと向かっていた。
先頭を走るのは私を抱えた箒だ。そして私の背後には夕影を筆頭とした残りの馬廻衆たち。その背後に、足軽鎧を付けた六櫻の兵が付き従う。町民の幾人かが悲鳴を上げて、六櫻の名を叫ぼうとする。けれどその前に、霧墨の指示を受けた六櫻の兵によってその首を落とされていた。
まだ私たちの名を広く知らせるわけには居ないのだ。だから、出会うものの大多数を殺していく。殺戮しながら、進み続ける。
城攻めだ。戦だ。これから何度もすることだ。私は、しっかりと自身の紅い目を見開いた。




