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急滑降



***





「六櫻が行軍を?」


そう問いかけるのは隼波木の国が国主、秋柄(あきつか)蓮司(れんじ)であった。

国主としては堅実であり凡庸、しかしそれ故に他の国の怒りを買う事もなく隼波木の国を緩やかに納めている人間………一騎当千の兵を持ち、支城を数個有するが故の防御の硬さこそが、この動乱の時代に於いて緩やかに生きることが許されているとは、彼は気が付かない。


「だが、もう季節は冬だぞ。天唯の南側は夏よりも冬の方が長いとまで言われる北部に比べれば温暖ではあるが………」


秋柄の視線が向いたのは、御殿の外に広がる城下街だ。

より正確に言えば、その城下街の遥先に広がる山の裾野であった。


「先日大雪が降ったばかりだ。大雪の中を大軍が進める訳がない。六櫻の新たな国主は愚かだとは聞いているが、冬の間に強行軍をするほどだとはな、呆れるしかない」

「………勝手に滅びるでしょうか」

「恐らくな。元よりあの国は六櫻華樂という人間によって成り立っていた国だ。彼の英傑が死んだ以上、もうあの国は終わりだろう」


それも、と鼻で笑いながら秋柄が続けた。


「愚昧な姫が後を継いだのだ。滅びも加速するだろうよ。だがまあ、一応支城に兵を集めておけ。弱ったところを一網打尽にして、須璃ごと六櫻を頂こうではないか!」

「は!!」


大きく口をあけて笑う隼波木の国主だが、その顔はたったの数刻後には青ざめた表情に変わる事を、まだ知らない。







***






「………っ」


骨身にこたえる寒さ、とはいうが本当に寒さは傷跡に響くのだと、始めて私は知った。

撥ねる雪が無くなった右腕を痛めつける。顔に浴びせかけられる冷気が、失った右目を疼かせる。

だがそれ以上に、私が口を開くことも難しいほどに堪えている痛みは、義足がはめ込まれた両の足からによるものであった。


「姫様、休憩なされますか」

「時間が無いと言っているでしょう。進みなさい」

「しかし」

幸運にも(・・・・)大雪なのです。歩みを止めることは出来ません」

「………耐え切れなくなったらお伝えください」

「そんなことはあり得ません」


そう吐き捨てると、私は視線を前に向ける。

五百人からなる六櫻の兵士は、今現在―――大雪によって降り積もった雪の上を滑って(・・・)いた。

つまるところのスキーだ。まあ、どちらかと言えば少し小柄なソリを両足に付けているという形に近いのだが。

これは雪への接地面を増やすことで沈むことを防いでいるためである。侍が身に着ける装備は基本的にも重く、細いスキー板では簡単に雪の中に沈んでしまう。

だが、こうして巨大な板をスキーとして使えば、撤退や陣地の作成を考えない下山、否、滑降やら滑落と言った方が正しいのだろう。それに関してのみ、歩兵とは思えないすさまじい速度での行軍が可能となる。

考えたのは霧墨だ。須璃から隼波木の国にまたがる山間部の一部には、深い雪が積もることを彼は知っていたのである。大雪はそのまま自然の要塞となり、冬季は軍の移動を阻む。だが、それを逆に利用し、私たちは冬季限定で移動を行える手段を編み出した。


「とはいえ、問題点も多いですね」


正しく文字通りの強行軍だ。何度も使える手ではないし、隼波木の国の規模がもう少し大きかったらまず取ることは出来ない手段であっただろう。

例えば兵士たちが足に付けているソりだ。これは私の知識を用いての改良が施されているにせよ、重装歩兵ではまず堪えられないため、今の六櫻の兵士たちは足軽が纏う程度の簡素な鎧と武具しか装着できていない。

無いよりはましであるが、以前の夜襲の時よりは少し硬いだろうかという程度で、本格的な戦をするには心許ないだろう。

第二に、移動手段がこの滑降のスキー板しかないという事だ。雪道の下り坂という限られた状況でしか使えないこの道具は、山を下り終えれば捨て去る予定である。そうして私たちに残る移動手段は、徒歩移動のみとなる。

………馬を連れてくることなど、出来はしない。馬にスキー板など付けられるはずもないだろう。

また、寝ずの行軍であるというのも大きい。兵士が最大のパフォーマンスを発揮するためには十分な睡眠が必須だが、時間を理由に私はそれをとらせていない。これは、彼らの戦闘能力の低下を招くだろう。

夕影の様な怪物であれば、話は別なのだろうが。

そして最後。先も言った通り、この行軍は帰りの事を一切考えていない。そもそも帰るための手段が無いのだ。足もなく、防具も武器も簡素なもの。奇襲からの本城制圧に失敗すれば、その後がどうなるかなど言うまでも無いことである。

………まあ、成功すればいいのだ。最初からギリギリの綱渡りであることは理解しているが、六櫻を私が生かすという時点で、全てがそのような博打ばかりである。

だから、勝つしかないのだ。全ての手段を投じて、博打に勝ち続けるしか、ないのだ。


「本城だ」

「ほう、見えたか古森。いやはや、常ならば有り得ない進軍速度ですなぁ。これには隼波木の国も驚くでしょう」

「………そろそろ、進軍の報が隼波木の国主に向けて………伝えられる頃でしょう………早馬ならば国境からでも三日もかからない」


古森が本城を遠目に認識したらしい。それをきっかけに、馬廻衆が雑談をする。

こいつらは寝ずの行進でも対して疲労を感じているようには見えなかった。夕影が選んだ人間だ、やはりどこか異常なのだろう。

だがいよいよ本城が見えてきた。ようやく、ああ。ようやくだとも。

雪を利用しての最短の道を選んで来たが、それでも三日かかったのだ。この間に支城を潜り抜け、城下街の間近にやって来ることは出来たがそれも忘れてはいけない。本番はこれからである。


「本城に詰めている兵士は確か八百程度でしたか」


隼波木の兵の総数は六千から八千人程度と言われている。だが本城の他に支城を持つが故に、その兵力の全てが本城に集中しているわけではない。

そもそも、常に城の中にすべての兵が居る訳ではないのだ。大体の兵士は自身の領地を持ち、そこに居住している。山の内側に大半の領地を持つ六櫻の国は殆どの武士が城下街の中に館を持ち、暮らしているがその方が異常である。

………その六櫻の国ですら、山間の一部には華樂から自治を認められた国衆が居るのだ。常に最大の戦力を国が用意しているわけではないのである。

支城をすり抜けて本城へと突っ切っていくのは、兵を集める防戦への備えをさせないためでもあるのだ。

このまま、隼波木の国主に知られないままに進軍を進められた場合、私たちが相手にするのは本城の八百人。それでも数の有利と防戦の有利で隼波木の方が優勢だろう。

須璃の時より遥かに難度の高い城攻め。さて、霧墨はどうするつもりなのか。

隻眼を向けても、彼の表情からそれを読み取ることは出来なかった。


「まあ………いいでしょう」


戦術という観点では私から出来ることはない。あの軍師のやることをただ見守るだけだ。

空を見れば、曇り空。雪は止み、このままいけば徐々に晴れ間も見えてくるだろう。そう言えば霧墨はこの大雪も予見していた。本来軍師は呪術師的な役割も持っており、天候を判断したり占ったりと言ったこともしていたという。

優秀な軍師には天候を予見する才能も必須なのかもしれない。天候を利用した諸葛孔明がそうであったように。

少なくとも、華樂が認めた霧墨には、その才能があるのだろう。全くもって羨ましい事だ、才能を持つという事は。

雪の中に白い息を残して、私たちは静かに進む。



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