隼波木との戦へ
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「あ~ん、と」
桜色の唇に、みたらし団子が吸い込まれていく。
一口、二口、三口で串の団子の全てを頬張ると、唇に付いた餡を指で拭い、そのまま舐めとった。
荒々しくもどこか洗練されたその動作は、見るものが見れば戦人の振る舞いが芯にあるが故であると、気が付くだろう。
悲しくは、この場には武人と呼べるような人間はいなかったことだろうか。
「良い食べっぷりですねぇ、お侍さん」
「ああ、まあね。侍か、ううむ。侍というよりは今は浪人に近いがねぇ」
角笠を揺らして、長い髪が揺れる。それと同時に、チリンという音が響いた。
「あっはは、随分と雅な浪人さんもいたもんだ!」
「うむ、うむ。旅先でも雅な音はあった方が良いものさ。心が休まるからね―――さて、団子代だ。美味しかったよ」
「あらぁ、それはそれは、お粗末様でございました」
視線を隠す角笠の奥の瞳が、遠く峠の団子屋のさらに先へと向く。暫くした後に、その先から早馬を駆ける武士が走っていくのを、その浪人は見送っていた。
「戦かね」
「ええ………そのようですねぇ。この辺りはあまり戦乱に巻き込まれることは無かったんですが、六櫻の国の方で代替わりがあったみたいでねぇ」
団子屋の女将が、浪人の耳元で囁いた。
「その六櫻の姫様が、かなり好戦的らしくて。須璃の国を滅ぼして、今度はこの先の隼波木だそうだよ?怖いねぇ、私の店は峠の茶屋だから、直接の戦いに巻き込まれることは無いだろうけど………軍の進攻に巻き込まれたら大変そうだよ」
「ほう。須璃は滅びたのか」
「そうみたいだよ。まだ小さいっていう噂のお姫様だけど、とんでもないねぇ。ずっと安定してた平和を壊して、一体何を目指してるのやら。噂だと、国内の人間からも嫌われてるらしいよ。世間知らずの我儘姫だって」
「まだ小さい、とは?」
「数えで十三だとかなんとか………」
「それはそれは。まだまだ幼子ではないか。そんな幼子がどうして国を率いる事態になったやら」
女将がさらに声を小さくさせて、浪人の耳元で話す。
「神瀬の国の怒りをかって、前当主が死んじゃったんだってさぁ。前の殿さまはいい人だったんだけどねぇ」
「ふうむ。六櫻の姫、か」
「最近じゃ毒姫とか、鬼姫とか………そんな風に言われているみたいだよ。名前はなんだったかねぇ………ああ、そうだ。華燐姫だったかねぇ?」
「華燐、か。綺麗な名じゃないか」
「名前だけだよお、見た目は醜い化け物みたいって言われてるんだから。鬼みたいな白い髪に血みたいな真っ赤な目で、肌も死人みたいに白いんだって。手足も異形だとか………無いなんて話も聞くねぇ―――あらやだ、別に浪人さんの事を言ってるんじゃないよ?アンタの髪は綺麗だからねぇ」
「そうかね。そう言ってもらえれば嬉しいよ。さて、私はそろそろ先に行く。いい話をありがとう」
「ただの雑談だけどねぇ」
雑談に上がった、白い髪が風に靡く。
白い着物の女武者が、口に団子の串を咥えたまま立ち上がると、そのまま高下駄を鳴らして道を進んだ。
………向かう先は隼波木とは反対方向。さりとて須璃や六櫻とも違う、別の道。けものみち程度の整備しかされていない、古びた街道を彼女は歩く。
「六櫻の姫。気になるがね」
空は晴天。太陽の方を見上げて、その角笠から視線が覗く。
―――その瞳は、空の色よりもはるかに深い、蒼い瞳だった。
「まあ、運命が交われば、そういう時もあるだろう」
今はまだ、交わらぬ。
ただ、戦の気配だけが背後に満ちていた。それを満足気に背負うと、放り投げて旅の先へと。白い髪の武者は、ただ歩いた。
***
「進め」
重い荷物を持った兵が雪の積もる道を歩く。
物資を集め、兵を揃え、最低限教育を施した武官を引き連れて………諸々の準備を二週間程度という短い期間で終わらせた私たち六櫻の勢力は、隼波木へ向かって行軍を開始していた。
既に少数の物資を手にした先遣隊が向かい、隼波木の防衛網等を観測している。
霧墨が提唱した作戦のうち、理想としては雪の天候下であることを利用して、急襲からの制圧がもっとも楽な隼波木の攻略手段であるという。
隼波木は国土の広さ故に、本城の他に国内に凡そ三つ程度の支城が存在している。勿論、六櫻の国がやっているような防衛用の砦なども加味すればその量はさらに増えるだろうが、常に六櫻の国や須璃の国を警戒していない限りは、その砦に人材を駐在させていることはまずないだろう。
天唯の南側は長らく大きな戦がなかった。精々が六櫻と須璃がやっていたような小競り合いである。
―――それすらもなかった国は、所謂平和ボケをしているのだ。守りに備えている筈もない。
ましてや今の季節は冬であり、そして二週間の間に降り積もった雪によって山間には雪が積もり、平地も多少の雪化粧が施されている。
「お望み通り、今回は速度が命の戦いだ。行軍速度を維持して、雪が融ける前に山を越える。足を引っ張んなよ」
「ええ」
隼波木の本城は海に近い場所にある。六櫻がそうであるように、隼波木の国の本城ではそこまで深い雪は積もらない筈だ。盆地である須璃の国では雪景色が一般的だが、そもそもこの辺りの地域は天唯の南側であり、基本的に冬でも温暖なのである。
だが、須璃から下る山には盆地特有の寒気によって、降雪がある。現に今も、行軍する兵たちの先には深い雪が立ちはだかっていた。
「支城とまともに戦ってたら時間がかかる。だから、そこの当たりは全部すっ飛ばす。五百人からなる少数精鋭で一気に敵の間をすり抜けて、本城を囲んで落とす。支城の動きが遅くなればなるほど、勝率は上がる―――逆に支城の動きが良くて取り囲まれたら僕たちは絶体絶命だ」
「隼波木には一騎当千の兵でもいるのですか?」
「一人。夕影に比べりゃ天と地の差があるが、それに暴れられれば六櫻の侍でも持っていかれるだろうね。まあ、連れている兵の練度から壊滅はないだろうけど、大打撃を受ける危険はかなり高い。………春先に正攻法で攻め込めばもっと簡単だったのに」
「言ったでしょう。それでは遅いのですよ。それよりもその一騎当千の兵は本城に居るのですか?」
「いいや。あいつは隼波木の更に向こう側、赤松の国の備えとして北東の支城に置かれているらしい。ま、正しい判断だな。赤松の国は天唯の南側ではかなりの大国だ。備えるのは当然だろ」
赤松の国。天唯の南方地域において最も大きな国であり、天唯中央やそれぞれの地域へと繋がる大きな街道を持つ、南側の門番ともいえる国だ。
天唯は広大であり、故に山脈なども地図の上を這っている。真っ直ぐに抜けることが不可能な道も多いのだ。
それ故に、商人などはこの国が天唯と呼ばれるその前に整備された古い街道を使うことが多い。天唯の南方では整備するものが居らずけもの道になってしまっていることも多いが、戦国乱世に至る前は文明の中心地であった天唯中央やそこから伸びる東西北では、綺麗に整備された街道が今もまだ残っているという。
………幾つかは戦乱にかこつけて、意図的に壊されたところもあるようだが。
太い街道は、金の流れる大河だ。私は、あれが欲しい。
「では今回の私たちの勝利条件は、支城からの援軍到達前に隼波木本城を落とすこと、ですね」
「須璃の時みたいに悠長に進んでる暇はないぜ」
「分かっています。あれは特別ですから」
心なしか楽し気な霧墨から視線を外す。
私に従うのは嫌でも、考えた作戦を試すのは愉快なのだろう。こいつもまた、華樂が選んだ戦闘狂なのだから、ある意味では当然かもしれない。
隼波木を冬の間に滅ぼし、春には赤松に備える。きっと、赤松を落とすのは時間も手間もかかるだろう。だからこそ、ここで時間を短縮させなければならない。
国は一朝一夕には強くならない。効率よく、時間と資源を使う必要がある。この戦はつまり、そのためのものなのだ。




