下る鬼
足元で苦悶の声が響いた。
義足は地面を踏みしめるための物だ。その構造上非常に硬いものであり、まあこれで踏まれていては私の体重の軽さを考慮したとしても、それなりに痛いだろう。
だからと言って踏むことを辞めたりはしない。赤毛の鬼の面を剥がせばその下からは、金色の眼が覗く。
意識をやっているためか反射で声を発する以外に行動はしない。瞳瞼を閉じ切れていないためは半眼で、焦点が揺れているのが確認できた。
「もう一度だけ言いましょう。この娘に関わる者たちよ。降伏しなさい。次の言はありません、降伏以外の行動は全て敵対行為と見なし、殺します」
涙助や箒の方に手を向け、武器を構えさせる。それだけでも威圧となるが、他に良い手段がありそうだ………ああ、そうだ。良い事を考えた。
嗤う顔を向けつつ、視線をもう片方の停滞していない戦場へと向ける。
まったくもって五月蠅い音である。連れてきた者共の練度も大体分かったことだし、これ以上は無駄に被害を広げるだけだろう。ただでさえ人が足りていない以上、必要以上の損を出すのは無意味である。
人という資源は巧く使わねば。他人も、そして己も。そうでしょう?
「私の下につくのであれば、あれらの山賊を殺せ。さあ、早く、急げ」
未だ農民上がりの雑兵との戦いを続ける山賊のもう一群。そちらに指を向けると、命令を下す。
一団の中から少しくたびれた雰囲気を持つ中年の男が前に出て、逡巡の後に結論を出したのか―――彼らは、各々の武器を抜き、山賊のもう一群へと向かっていった。
正しく判断できるものがいる。それだけでやはり、この娘を囲っていた山賊団と他の物とはその性質が違うという事が透けて見えた。
更に言えば、期待通りの練度であるとも付け加えておこう。
夕影が刀を鞘に戻し、その先頭を見守っているが、その時間はさほど長くはなかった。ものの十数分程度で山賊たちはその命を散らし、うっすらと霧が残る山肌にその屍を転がしている。
降伏した山賊たちの被害は、殆どなしと見て言いだろう。
「お見事です。さて、では色々と聞きたいことと確認したいことがありますので、付いてきなさい。山を下り、信浮へと向かいます。ああ、分かっているとは思いますが、背後を撃とう等とは思わないことですね」
どうなるかなど、分かるでしょう?と。笑みのまま彼らを眺めると、表情を消して前を向く。
「涙助。これを持っていきなさい」
「御意に。ふむ、これは小さな娘だが、意外と重いものですな。重厚な筋肉の塊のようだ」
涙助に足元の娘を抱えさせる。肩に軽そうに担ぐが、それでも彼からしても意外な体重をしているらしい。
まあ、あれ程の動きをするのだ。ただ軽いだけでは出来ない挙動だろう。
ましてや手加減をされていたとはいえ、夕影から一刀を引き出させた。正しく武人と言える貴重な人種だ。
「武器は。ああ、ひしゃげていますね」
夕影の刀による反撃で大きく潰れていた。巨大とはいえただの樹である、怪力と言える天狗の女の攻撃には耐えられないようだ。
あれはもう使えない。どちらにしても、使う状況になるかすらもまだ未定である以上、放っておいても良いだろう。
あくまでも、今背後に連れている人間の集団は処罰されるべき山賊なのだから。少なくとも、今のところは。
「武官たち。さっさと撤収です。死体は好きになさい、供養したいのであれば持ち帰ればいい。放っておいても構いません」
「で、でも放っておいたら祟られちまいますよ。きちんと供養しねぇと………」
「そんなものあるものか。仮にあったとしても、祟られるのは私だけでしょう」
雑兵の戯言を無視して、私たちは山を下る。武官の育成を兼ねた山賊退治は、そんなふうに少しばかりの拾い物と共に、一瞬で片が付いたのであった。
***
信浮の街、交叉女城。障子が開け放たれた御殿に私は座っていた。
その御殿の前に広がる庭の中で、身体と口を縛られた山賊たちが転がされているのが見える。衣服がはぎとられていないだけ、温情だろうとは思うが、寒さの厳しいこの季節では対して変わりはないかもしれない。
さて、その転がされている中には当然、あの赤毛に金の眼をした娘もいる。背後には涙助が付き、暴れだしても無駄だという風に監視しているため唸り声をあげるだけで行動は起こしていないが。
実際に無駄なのだ。あの娘は確かに強いが、されとて六櫻の兵士には負けるだろう。例え不意を突いたとしても、だ。夕影という最高クラスの戦力でなくとも、どうとでもなる相手なのである。
しかしそれでも、原石である事に変わりはない。古森に指示を出し、一人の男の口の猿ぐつわを外させる。
「言葉を発することを許します。まず、お前たちに聞きましょう。あのあたり一帯の山賊団、それらを纏めていたものがお前たちですね」
「………ええまあ。違いありやせん。といっても、山賊団があれほど大きくなったんはここ最近の事やけど」
「推測は出来ていますが、真実が知りたい。話しなさい」
「一月前、須璃の若旦那が山に潜む山賊の一斉討伐をしたんですわ。うちらはその気配を察して逃げたんで被害は少なかったんやが、他の奴らはそうはいかねぇ。殆どが壊滅しちまった。噂によると殆ど一人で山賊を殺して回った女武者がいたって話や」
「へぇ」
一人で山賊を、となれば余程の猛者であろう。
今回のような統制の取れていないものでは無く、山賊団として規律のある段階の者どもを相手取ったのだから。
「うちらも珠がいなけりゃ………いや。六櫻に属する奴らや須璃の侍からは逃げるっつう規律をつくってなけりゃ巻き込まれてたやろなぁ」
「その言い様だと、見逃されたとも取れますが」
「その通りですわ、六櫻の姫さま。俺らは多分、害が薄いってんで放置された―――珠ですら、あの女には勝てん。ありゃ天狗だ、あんたの後ろにいるお侍さんと同じように」
一寸先すら見えない濃い霧の中、圧倒的に有利である筈の山の中で、全てを見透かされていたと彼らは言う。
その中で覗いていたのは、透き通った青い瞳………天狗の子が持ち得る、異形の瞳。
珠という名の少女も未熟ながらも実力を備えているのだろうが、戦に特化した才を持つ天狗の子は文字通り次元が違うのだろう。
「今の俺らはその山賊狩りで生き残った奴らの寄り合い所帯ですわ。統制も取れてないし、規律もない………いつかこうなるのは分かってた。俺らが守れっつったモンも無視されてんのは分かってたんや」
中年の男が珠の方を見た。その視線には、娘を見るかのような優しさが含まれていて。私はとても、居心地の悪い不愉快な気配を感じた。
頭痛がして頭を押さえる。溜息を吐くと、男の言葉の続きを待った。
「それでも、家族だけは守らにゃな。なあ、六櫻の姫様。俺が死にます。代わりに、珠たちをあんたの配下として生き残らせてくれやせんか?」
「―――ぅう”!!」
赤毛の娘が吠える。槍を肩に担いだ涙助がその様子を見て肩をすくめた。
「あなたがその山賊団の頭でしょうに。逆ではないのですか?あなたの代わりに部下を殺すべきだ」
「山賊の頭である前に俺ぁこいつらの親父だ。親が子を犠牲にするわけにはいかんでしょう」
「………そうですか」
額を叩く指を止めた。ああ、まったくもって耳障りな言葉だ。だが、私の感情などどうでもいい。
これは使える。その事実だけでいい。
頭の中で、父の顔がちらついた。華樂のその笑みを振り払うと、私は中年の男へと指を向ける。
「お前、名は?」
「洲鳥っつうもんです」
「そうですか。では洲鳥、私は今ここでお前の命を奪いません。私はお前たちを殺しません。けれど―――」
指をまげて、近くに寄れと示す。
周囲を見て罠ではないと感じたのだろう、洲鳥が私の元へと近づいた。私は左の隻腕、その爪を洲鳥の右目の下へと強く突き刺した。
「グッ!?」
「大した痛みではないでしょう。まあ、聞きなさい。私は今すぐにお前たちを殺すことはしません。けれど、その代わりとしてお前たちは私の直属の兵として軍門に下って貰います。人手が居るのですよ、これからのために」
「………あんた、何をするつもりで?」
「大したことではありませんよ。ただ、この世界を地獄にするだけです。ああ、拒否しても良いですよ。その対価はあなたたち全員の命ですが」
洲鳥を殺せばこいつの配下の山賊たちは私を恨むだろう。そうなっては残るのは只の爆弾であり、碌に働く兵にはならない。
元よりこいつだけを殺して、などという選択肢はないのだ。使えない兵を抱え込むつもりは最初からないのである。
だから、私が取る選択肢はこいつごと山賊団を丸々抱え込むか、それともすべて殺すか。その二つに一つ。
頬に爪を突き刺したのは大した理由などない。単純に、私はこいつが気に入らない。酷く心を不愉快にさせる。ただそれだけだった。
爪を更に下へと伸ばしていき、それに伴って血が滴り落ちる。きっと傷跡になるだろうと思った。
「答えは」
「姫様の意のままに」
「―――よろしい」
爪を頬から遠ざける。洲鳥の顔の右側には縦に一閃、傷跡が刻まれていた。
「では通達します。あなたたちはこれより私直属の一門であり、そして過去にあなたたちが起こした山賊としての罪は全て不問とします」
ただし、と付け加える。
「あくまでも配下に下ることで一時的に不問にしただけの事。戦場から逃げた者、命令を拒否したものは山賊として処刑しますので、全て赦されたなどと思い上がらないように。とはいえ、真面目に働く限り、住む場所も俸禄も支払いましょう」
私は洲鳥を、そして私の方を睨む珠という娘へと視線を向けた。
「期待していますよ」
私は立ち上がり、元山賊たちに背を向ける。代わりに衣笠の双子が前に立ち、私の姿は閉じられた障子の向こうへと消える。
義足を鳴らして歩きながら、私は一人、呟いた。
「さあ。どれだけ生き残るでしょうか」




