山賊討滅
短く息を吸って歩く。
自室から出た先………といっても、結局は御殿の中である。家の中を歩く感覚に近いわけだがそれはさておき。
広間へとつながる御殿のもっとも外側に当たる部分に辿り着けば、そこでは障子が開け放たれ、その外に五十人からなる武士が立っていた。
「いや。武士もどきですかね」
侍と呼べるほどの練度にはまだないだろう。所詮は農民上がりの兵士であり、その手に握っている刃はまさに付け焼き刃である。
これらは武官として取り立てた民の中で夕影が素質ありとして引き上げた者共だが、その夕影曰く練度には期待をしてはいけないと言われている。
当然だ、一月と半分程度で一人前になれるのであれば、この世はとっくに猛者で溢れている。強者になれないからこそ、この世は地獄なのだ。
様々な色を持った視線が私を捉える。怯え、興奮、疑心―――全てどうでもいい。私は彼らの前に立つと、静かに語りだす。
「集められた理由は既に聞いていると思います。先日、信浮の周囲を荒らしている山賊たちの本拠を割り出しました」
―――認めようとも、双子は優秀だ。彼らの力によって、凡そ半月の間で襲われた商人や目撃証言が事細かに、そして密かに集められ、集積された情報が徐々に山賊団の活動範囲を明らかにしていった。
旧須璃と六櫻、そして隼波木。その三つの国の一部が接する山の奥。どうやら鬼面の山賊たちはそこからやってきているらしい。
推測通りというべきか、盗品を売るために商人に化けているものもいたようだ。幸運なことに、市井で揉め事を起こして逃走を図ったものがその山賊団の一員だったらしく、後を付けることで凡その拠点の位置も割り出せた。
信浮の町は奉行所を置いたことによって表面的な治安は向上している。山賊団の男はそれを知らずに暴れたらしい。
………気になる点と言えば、今まで問題を起こさなかったことによって霧の様な不透明さと隠密性を持っていた山賊団が、そのような不祥事を起こしたことだが、それについては私の考えだけで答えを出すことは出来ないだろう。
結局は、捕まえてから聞けばいいだけだ。
「しかし、私はあなたたちに期待していません。あなたたちが私を守れるとも思いませんし、戦果を上げられるとも思いません。現実的に不可能だからです。今まで鍬を持っていたものが、本当の戦いで役に立つことは稀です」
禿鷹のように機を狙い、都合のいいことだけを宣い、勝ち馬に乗り、劣勢と見ればすぐに逃げ出す。農民上がりの兵とはそういうモノだ。足軽とは、つまりそれらの事を言う。
頭数だけの用途。しかし数は力であるが故に、他の国の将は好んで足軽を使う。
とてもじゃないが私はそんな腐った死肉を詰め込んだかのような爆弾を手元に置き、あまつさえ多用しようとは思わないのだ。
「だからあなたたちはまず、生き残る方法を見つけなさい、そして戦う方法を編み出しなさい。私は今のあなたたちに一切の期待をしていませんが、あなたたちの未来となれば話は別です」
冷静に視線を向け、集まった兵士を見渡す。
「使えるようになりなさい。これは契約です、役に立ったのであれば褒賞を、害を成したのなら罰を、これこそが決して覆る事の無い不文律。あなたたちの未来が、私が期待するに足りうるものになる事ように願っています」
私は視線を横に向ける。音もなく、夕影が私の背後に立った。
刀は適当に城の中に収められていた物をひっつかみ、纏っている着物はいつも通りに緩く纏っている。普段と変わらぬ立ち姿だ。
仮にも須璃の侍を退けた相手にそれでいいのかと思わなくもないが、まあこれの事だ、何とかするのだろう。
例え天狗の子だったのだとしても、この女が斃されるところを私は想像できない。
「逃がさぬように疾く駆けなさい。さあ、進め」
左の隻腕で扇子を振るう。
困惑したように私の方を見る兵士に対して溜息を吐くと、私は御殿の外へと出て兵士たちの真ん中を突っ切ってさらに外へと向かう。
私の数少ない馬廻衆が、私用の馬とそれぞれの馬を用意して待っていた。私用といっても、今回用意されたこの馬は信浮で調達された山登りに特化した馬なのだが。
「箒、姫様と相乗を」
「………了解、しました」
「古森と涙助は周囲を。そして」
指示を出す夕影が背後を振り返る。うっすらと蒼い瞳を覗かせて、兵士たちを冷たく睥睨した。
「何をしているのですか。出陣です」
「………は、はい!!」
まともに統制の取れていないバラバラの返事が聞こえ、五月蠅く鎧を鳴らして兵士たちが馬に乗って進み始めた私の後に続く。
本来ならば総大将というものは一番最後に出るものらしいが、この場合はこれでいい。
外から見て、この方がらしいだろう。見た目で民を騙せるのであれば、いくらでも飾ればよい。兵を従えている様は、国主として相応しく映るだろう。実際について来ているものが、案山子の群れであったとしても、どうせそんなことは殆どの民は理解すら出来ないのだから。
「実際の戦力はお前たち馬廻衆だけですね、これは」
「………はい。私から見ても、現状で………使えるものは一握り、かと………」
背後で私を抱え、さらに私の代わりに馬を操っている箒がいつも通りの掠れた小さな声で囁く。
一握りいるならば上々だろう。仮にも夕影が素質ありと認めたのだから、育てれば役に立つ駒になる筈である。問題は、育ち切る前に死んでしまう事だ。
戦とは命を使い潰すものであるが、なるべくは長持ちしてもらわねば困る。人手不足は深刻なのだから。今回のこの山賊団の討伐遠征で、素質を開花させてくれればいいのだが。
まあ―――期待せずに行くとしよう。
馬の腹が蹴られ、確実に私たちは山賊の潜む山の奥へと近づいていく。
***
山に足を踏み入れた私たちは数日程、野宿を挟みいよいよ鬼面の山賊が潜む領域の近くへとやってきていた。
濃密な霧が視界を阻み、私のただでさえ低い体温を更に奪っていく。
身体の震えを無理やりに抑え込みながら、私は吐き捨てた。
「………霧が深い」
「この辺りは海沿いの六櫻から流れる風の通り道です。湿った風が山に当たり、濃い霧を生み出します。山賊たちはこれに隠れ、その居場所を丁寧に隠していたようですね」
「天然の隠里ですか。そう考えると―――」
「姫様?どうされました」
「いえ。なんでも」
夕影の質問を無視すると改めて思考を重ねる。
ここまで丁寧に自分たちを隠していた山賊がここに来て奇妙な失態を犯しているのは不思議であった。
五十鈴と三鈴が集めた情報では、山賊の一因だと思われる犯罪者の数がここ一か月程度で急に増えている。今まで沈黙を保つことが出来ていた者どもが急にその統制を失ったかのように。
やはり何かがあったのだろう。しかし問題はその何かの内容だ。大きな危険を見過ごさないように思考を纏めようとして、甲高い音を私の耳が捉えた。
「殺気を感じます」
いつの間にか、夕影が刀を抜いていた。
それを見て、背後からぞろぞろと付いてきている兵士が、のったりとした動作で刀を抜く。抜こうとして苦戦しているものも見えたが、静かに視界から外した。
瞳を閉じたままの夕影がその頭を微かに揺らす。あれは、音を聞いているのだろうか。
私の耳には、いや。私だけではなく、箒や涙助、古森ですらも捕らえられていない何かを、夕影は感知している。
「見つけました」
そう言って、細く目を開き、足元から石を拾い上げあると、サイドスローで投擲する。
ただの石が出してはいけない音と速度で飛んでいったそれが、霧の向こうで弾けたのが、肉が潰れる音と悲鳴で理解出来た。
「………さて、お前たち」
悲鳴によってここが異常地帯であるという事をようやく認識した兵士たちの方へと、ゆっくりと視線を向ける。
「仕事の時間です。頑張って―――そうですね。生き残る事です」
うっすらと口角を上げる。笑みだとすら、認識はされないだろう。当然だ、私は本心では笑ってなどいないのだから。
「準備は良いですか。狩りはもう始まったのですから、あとは駆け抜けるだけです。さあ、さあ」
鬼狩りと行こうじゃないか。こちらとあちらどれだけ死ぬのか。どれだけ役に立つのか。しっかりと見させてもらうとしよう。
霧深い山の奥で、そうして小さな戦が始まった。




