六櫻城下
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六櫻の国の城下町は当然ながらそこまで大きなものでは無い。
弱小国の城下となればそれが普通なのだが、それでもこの六櫻の国の現在の国主は築城にも才を持つ華樂だ。その才能を生かし、小さいながらも守りに転じることも出来る城下の構造となっていた。
その最たるものは、小さな城下町を覆いつくす城壁、即ち惣構であろう。
六櫻の国の城下町を覆う城壁は巨大な石壁であり、日本風の文化を持つ天唯の都市構想とはやや異なる。どちらかと言えば西洋風の城塞都市に近い考え方であった。
まあ、結局のところ本拠であるこの六櫻城に大軍で攻め込まれた時点で終わりなので、立派な城壁も大して意味はないのだが、それはさておき。
遠くの城壁を見やりつつ、私は活気に溢れる城下町をゆっくりと歩いていた。
「おや、夕影様?今日はどうされました?」
「姫様の護衛です」
「ああ、華燐姫の」
「………おはようございます」
この一年辺りでようやく姿を現した私よりも、父である華樂の護衛として仕えていた時期の長い夕影の方が城下の民からの知名度も高いというのは何とも言えない。
本当に私の存在は、なんというべきかそう。空気なのだと乾いた笑いが出てしまう。
まあ、大名行列のように籠、本陣に乗って街を練り歩けば多少は名前が広まるかもしれないが、その場合に広がっていくのは私の悪名だろう。碌に責務を果たしていない姫が無駄遣いをしている、と。
六櫻の国の財政状況は悪くはないが、良いともいえない。結局は弱小国………国土がどうしても少ないという事が農作物の生産量や商いで生まれる利益の少なさに繋がってしまう。肥沃な国土を持つという事はそれだけで強みなのだ。
東の魔王、土織家も広大な農地に裏付けされた食料と、それから生まれる財貨が魔王の名を知らしめた初期の攻勢を支えていたのだから。
「さて、と。弓削、そろそろ秋口も近いですが、作物の収穫の調子はどうでしょうか?」
弓削というのは私が話しかけている農民の女性の名前だ。天唯という国に暮らす人間の名前は基本的に苗字を持たない。私のように国主か国衆のような大地主といった身分を持つもののみが苗字を持つ。
この辺りは私の知る戦国時代に近いものがあるだろう。とはいえここからが私の知る世界とは違う点で、この世界の平民の名前の、なんというべきか………口調、センスは現代のそれに近い所がある。
私の名前が華燐であることもそうだが、私と関わり合いがある平民の名前は弓削を筆頭に雲雀だったり、甘菜であったりする。
現代人の私からすれば覚えやすく親しみやすいが、不思議な点でもある。とはいえ国家に属する人間の名付け文化など、考察の余地もないのでそれ以上に思考が広がることは無いのだが。
「華燐姫、おはようございます。収穫ですか、まあ良くはないですねぇ」
「冬は越せそうですか?」
「その点はまあ、問題ないですが。夏に寒さが続いていたのが良くないんでしょうねえ」
「………冷夏ですか」
その辺りの気象条件に付いてはまだまとめが終わっていない。だが、農作物に最も身近に触れている彼ら農民が言うのであれば、今年の夏は例年よりも寒かったのだろう。
日本で言うところの戦国時代では主要産業はやはり農業である。米が無くては金にはならない………とまでは言い過ぎだろうがそれでも、年貢が米で収められていたりと天唯でも戦国時代に近い税のシステムが用いられている。
それ以外にも当然、鉱石産業やその他芸術による産業もあるが、大部分は農業が占めている。言い換えれば食物の動きが金の動きに直結するわけだ。
当たり前だが小国ではその生産量はどうしても少なくなる。
竹製の扇子である蝙蝠扇を口元に当てると、そう言えばと思い当たる。
「天唯の………いえ。六櫻の農業方式はどうなっているのでしょう」
「はい?ほうしき?」
「なんと言いますか、そうですね。どうやって作物を作っているのかです」
そうだった、この世界は戦国時代の例に倣って識字率が低く、知識の伝播や伝達があまり行われていないんだった。
ある一定以上の地位や身分、経済力を持つものしか字や数字は分からないのである。ということで分かりやすく言い換えたら、それを聞いた弓削が呆れたような表情に変わった。
「姫様、そんなことも知らんので?作物は種から作るんですよ」
「………弓削、私だってそれは知ってます。言い方が悪かったですね、農地はどのように使っているかを聞きたいのです」
「あー、なぁるほど?変なことを聞きますねぇ。どうっつってもなぁ、普通に米は田んぼで作りますでしょ?あ、姫様田んぼは知ってます?」
「知ってますからどうぞ続きを」
「はいはいっと。年を二つに分けて作物を作ってますが、これから稲を刈って、その後は麦やら豆やらの播種をしますねぇ」
「ふむ。他の野菜を作ったりもしていますよね」
「あたしの畑じゃやってませんがねぇ、当然色々と作ってますわ。いやはや、牛やら馬の力ってのは偉大ですねぇ」
まあこの時代なら二毛作なのは想定できる。歴史から見れば、この二毛作に牛などの動物を用いた牛耗によって戦国大名の治める土地の農業生産力が上がり、更にはそれによって農作物の多角化が進んだという。
いや、学生時代の曖昧な知識だが、まあ大体はこんな流れだった筈だ。いずれ、この農業方式は海外から伝わるより効率の高い方式に変わる訳だが、その辺りを六櫻の国の土地柄に合わせて組み込めば、国力の増強を行うことも出来るだろう。
作物がたくさんとれるようになれば、民の腹も膨れ、国家は儲かる。悪いことなど何もないのだ、ならばやることとして頭の片隅に入れておこう。
「他には………ちょ、痛い、なんです?」
話を続けようとすると、それなりの重さの小さな玉のようなものが私の頭に衝突した。
ぐしゃっと音がして、地面にそれが落ちる。土に塗れたそれに視線を向けると、静かに溜息を吐いた。投げられたのは、
「腐った馬鈴薯………」
「殺しますか、姫様」
「その物騒な提案をするくらいなら、その案が出ないように防いでほしかったです、夕影」
馬鈴薯が飛んできた方を見ると、小さな子供たちが薄笑いを浮かべながら去っていくのが見えた。
「やったやった!!居眠り姫に当たったぞ!!」
「甘ったれ姫だろ?」
「どっちでもいいよ!!」
どっちでも良くないです。そもそもどっちも違う………まあ、いいや。
もう一度、今度は大きく溜息を吐く。私のこの国での扱いなんてこんなものなのだから。
「あららぁ、姫様、大丈夫です?」
「ええ。何も問題ありません」
「ははは、派手にやられたなぁ姫様。あの子ら、茶器を作ってる蜜喜のとこの坊主たちだろ?俺が叱っとくよ」
「いえ結構です。気にしてませんよ、子供のやる事ですから」
「何言ってんだ、姫様。おめぇも子供だろ?」
数人が集まってきて私の髪に残った馬鈴薯の欠片を叩いて落とす。地味に力が強くて痛いのだが、我慢した。
ちなみに夕影は眼を閉じて半分寝ていた。彼女は基本的に私の命に関わる場合を除いてこうである。
刃物やらを持ち出してくれば彼女が対応してくれるが、いたずらに収まる範疇であれば私がやられた後にどうするかを聞いてくるだけなのだ。
護衛適当過ぎないか、とも思うが何度も言う。私のこの国での扱いなど、こんなものである。
華樂に近い存在程、私の事を嫌っている節が目立つのだ。その中ではまあ、まだ夕影は私を尊重してくれている方である。何せ、お願いを聞いてくれるのだから。
他の将ではそうもいかない。
「あら、もう随分と太陽が動いちまったねぇ。姫様、悪いけどおしゃべりはこの辺りにしといてくれ」
「やんなきゃいけないことも多いからな。姫様も、華樂様を見習いなよ?」
「おしゃべり、ではないのですが………まあ、仕事の邪魔をするつもりはないので、今日はこの辺りで戻ります。ありがとうございました」
礼を言いつつ離れると、私が話しかけた町民たちはすぐにどこかへ消えてしまう。
どうやら私は町民から遊びに出てきている姫扱いをされている気がするのだが。一応、仕事のつもりなんだけど、ううむ。
「夕影。城下を一周して戻ります」
「どうぞ、姫様」
ほど近い所に海があるせいで潮の香りが漂う城下を、ゆっくりと私は歩く。産業を確認し、民の様子を見る。
………向けられる視線はやはり、ただひたすらに異物を見る瞳であったことを、その時の私は強く記憶していた。