法律実験
御殿、別室。
先程までの場所とは異なり、御殿の中でも奥の方にある部屋であるためか、血の匂いは漂ってこなかった。
慣れている夕影は兎も角として、衣笠の双子は血の匂いから解放されて少しばかり顔色が明るくなっている。
そんな二人から視線を外して上段の間に腰掛けると、小さく息を吐いた。
「失礼します………」
そんな声を発して、私の顔色を伺いながら女中たちが机や資料を運んでくる。彼女らの多くはこの交叉女城にて前々から勤務していた者たちだ。とはいえ、多くの知識を持ち、忠誠心の高いものは既に根切りされている。
机は衣笠の双子の前に一つずつ、資料は私の前に大多数が置かれた。資料は須璃が交叉女の街やその他の農村に対して出していた法律や税の取り方、それによる収益などが纏められたものだ。
まず開くのは最近のものだ。なにせ、須璃では直近で国主が変わっている。税収も法律も、変わっている可能性は高いと思ったが。
「法は変わらず、ですか」
どうやら須璃春昭は先代が敷いていたものをそのまま流用していたらしい。
それに対して税収に関しては徐々に減少しているのが見て取れる。須璃の飯の種は基本的に食料だ。鉱山もあるにはあるが、鉄の産出だけでは大きな金となる産業には成長させられなかったらしい。
精々が刀の材料である玉鋼や日用品への加工だが、それらは他国に売り渡すことが出来るようなものでは無く、国内だけで鉄の掘り出しと加工は完結している。
当然か、天唯は日本とは違って国土が広く、小国ですら小規模な物ならば鉱山を保有している。自国の武器や鎧は自国で作る文化が基本となっている以上、余程の高品質な金属や希少な物でない限り、それを売って金にするという事は出来ない。
逆に人口が増え、内陸部も広くなっていることから塩を始めとした調味料、香辛料は高価になる傾向がある。特に内陸部に行けば行くほどに塩は高級品となり、それ故か海沿いに国境を持つ国はそうでない国に比べて豊かになり易い。
六櫻もまた、海を持ち塩を生産している。そこから生み出される金が城を作り出す元手となっていた。それでも、小国の生産能力では広大な土地を持つ神瀬の国のそれと比べて、生み出される金には天と地ほどの差がある。
須璃が六櫻に攻め込んだ理由は金か。下がりゆく税収から、数代先には何もせずとも滅びてしまうと感じたのかもしれない。
「それは正しいでしょうね―――さて、五十鈴に三鈴」
机の前に座る二人に対して視線を向ける。
女中が須璃の御殿の中にあった紙を持ち出し、二人の前に置いた。
「私がこれより作る法は民への税が主なものです。そして、その税に付随する形で登用制度及び六櫻の国内における武官と文官の線引きを行います」
「武官と」
「文官です、か?」
「その辺りは後ほどです。先に民へと課す税を定めます」
私がやりたいことは軍事と政治を切り離すことだ。武士が政治まで行うというのはあまりにも人材の無駄である。
………まあ、この世界は戦国時代であり、その中の国家とは正真正銘の軍事国家である。そのために、完全に政治と軍隊を切り離すことは出来ず、お互いに共存関係を築くことになるのだろうが、それはさておき。
戦に向くものが内政業務に忙殺され、逆に事務処理に向くものが戦で無為に死ぬといった人材の無駄な浪費を避ける。
最終的に行うべきことは武官を軍部………所謂軍部や軍隊と呼ばれる形にする事だ。それと並行する形でまずは司法を司る部署、名を付けるならば刑部か、それを設定する。相応の時間と制度を作る下地が出来上がれば、刑部が行っている業務を細分化する。
人材に限りがある以上、無駄に使うことは出来ないという訳だ。
恐らくは版図を急拡大させた神瀬の国では、既に取り入れ始めている頃だろうが、効率が良いのであれば積極的に採用するだけである。
「税についてですが、まずは農地をより細かく検地します。それによって農地の生産能力から納めるべき税を算出し、農民に課します」
「………それだと、納める税が少なくなる場合もありませんか?」
「その通りですね、三鈴。けれど逆に本来納めるべき量よりも少ない者もいます。総合的には大して差が出ないでしょう。故にそれと並行して農地改革も行います」
「となると、農業方式に手を加えると?」
―――なるほど。この二人、自分で言うだけのことはあるらしい。頭の回転が速い、私がやろうとしていることに対して正しい答えを返してくる。
「そうなりますね。この点に関してはまだ実験的な部分が多いですが」
輪作程度であれば、この時代の人間はとうにやっている。厳しい戦国の世を生き抜くのであれば、出来うる限りの智慧は働かせているものだ。
夏季に米を育て、秋季には芋類を育てるのがどうやら一般的であるらしい。此処まで踏み潰してきた農村ではやはり、里芋や大根、小麦を栽培している形跡が多かった。
後は場所によっては豆を生産している。味噌や醤油と言った調味料が出回っているのだから作られているのは当たり前だが、春季に豆を植えるタイプの輪作も小規模ながら行われているらしい。
………天唯の東や南の地域の気候は私の知る日本のそれにかなり近しい所が多い。少なくとも六櫻の国がある南や東の方は、立地によって変動こそするものの、それでも東北から四国程度の暑さや湿度である。
逆に北や西は私の知る日本の気候とはかけ離れている気配がする。土地ごとに育てられ、売られる嗜好品や農産物が違うことからそれは判別できた。
広大なこの天唯の中を探し回れば輪作に最適な植物が見つかる可能性はあるものの、それらは速やかに収穫量を増やす手段とはならない。時間がかかりすぎるのだ。
西洋文明を革新させたとまで言われる馬鈴薯、ジャガイモを発見できれば食糧生産の増加に一歩前進できるだろうが、そう巧くはいかないだろう。
堆肥の製作も殆どこの時代で行えるレベルには到達している。精々が未熟な状態での堆肥の使用を控えさせることと、人糞を使わせないことくらいだろうか。
「ああ、いや。これだけは行えますね。種籾の選別です」
「ええと………何のために、でしょうか?」
「品質の向上及び発芽率の上昇です。収穫の予測が立てやすくなり、税収の管理や不作豊作の指針ともなるでしょう」
多くの種籾を水田に放り込んでも全てが発芽するわけではない。ゴミや不良種子があればそれは生育不良に直結する筈だ。
農業に詳しくない私にはどの程度の影響があるかは分からないが現代で行われている手法である以上、無駄にはならない。
………他に出来ることは国主としての権利から行える灌漑や農地そのものの拡大だろうか。農地の囲い込みも行えれば現在の物々交換が主流の状況から貨幣経済へと舵取りを行えるだろうが、国衆や大地主の反発も多いだろう。
いっそのことそういった地方の権力者に囲い込みをやらせるか?それも一考する価値はありそうだが、強硬するのは時期的に早いか。
「………それと、この地域にはいずれ城代を置きます。その城代の配下として軍部と刑部を置きますが、その刑部の配下として城下街の信浮に奉行所を置きます」
木簡に言葉を書き写しながら、続ける。
「奉行所の長はその名の通り奉行。この奉行は文官の中で優れたものを置きます。登城はしませんが、与えられる俸禄などは優遇されます。地位としては刑部の長である尚書の下、侍郎と同列とします」
役職の名は古代の中国から持ってくることとする。名前など分かり易ければあとはどうでもいいのだ。
奉行所は本来徳川の世になってから設置されたものだが、情報の価値は高いという事は嫌でも知っている以上、その目的も兼ねてまずは城下街に奉行所を置く。
民から得られる情報も一定量あるし、欲しいものや民草から生まれた革新的なものを拾える可能性が高いためだ。それともう一つ、乱れがちな治安を維持するという理由もあった。まあ、維持の手段は手荒なものとなるが。
「奉行所の役割は城代へと届けられる税の収集や治安維持、司法の乱れを取り締まること。それ故に一定以上の武力をそこに置き、民を見張り、守ります。いずれは城下街だけではなく、城の周囲にある大きな村落にも導入していくつもりですが、まずはこの信浮で試験的な運用を行います」
「なるほど。城の武士が行っていた治安維持を外に置くわけですね。確かに違法行為の取り締まりは外に目が合った方がやりやすいですし」
「ぎゃ、逆に歎願なども届きやすくなります………かね?」
「それは奉行がどれだけ民の声を聞き入れるかになりそうだけど、城に直接よりは届きやすくなる、と思うわ」
五十鈴と三鈴が私の話した内容について議論をしている。
私はそれを邪魔することなく、静かに眼を閉じた。ようやく書き終えた大量の木簡には、汚いながらもなんとか読める字が書かれている。その束を前に差しだすと、夕影がそれを持って双子の前へと持って行った。
「今言ったことやその理由、その他付随する法律や制度についてはそこに纏めてあります。木簡を基にしてあなたたちなりにまずは法を作りなさい。そして、最後に私がそれを確認します」
いずれは古代中国の六部のように内政業務を行う部門と軍事を行う部門を切り分け、それらの長たちから成る最高意思決定機関を作り出す。だが、まずは二部門から始めよう。
人の数も、制度も、何もかもが足りていないのだ。小説のように簡単に内政を熟すことは出来ない。貨幣制度だって、タイムリミットが来るまでに草案を作れるかすら見通せないのが現状だ。
―――時代を一気に進めるには、相応の準備が必要である。今はまだ、その時期には無い。
「草案でいい。方向性を定めただけでもいい。何か質問や確認があれば私の元に来なさい。まともに仕事が出来るようであれば、役職を用意しましょう。衣笠家の庶家としての復興は不可能でしょうが、俸禄を増やすことは考えます」
「………はい!」
「それでは。私は、一度………部屋に戻ります」
………ふらつかないように、立ち上がる。
戦が終わった後死体を集めて焼くまでに一日を要した。私は戦後の処理や今やったような会議のせいで、戦が終わってから一睡もしておらず、体力的に限界が来ている。
頭や義足が痛むのがその証拠だ。だが、他人に弱みなど見せられない。ああ、どうにかして眠らなければ。痛みを堪えて、叫びを留めて。
背後で平伏している双子に一瞬だけ視線を向けて、私は用意された自室へと向かった。




