須璃落とし 破
「踏み潰せ!」
霧墨の言葉によって槍兵が駆けだす。
一斉に構えた槍を前に突き出せば、それだけで単純な脅威と為りうる。
人と人のぶつかり合い。その後には混乱と混沌に満ちた血みどろの戦となる。
「涙助」
着物の袖を揺らす夕影の手には抜き身の刀が握られ、正眼に構えていた。その唇から、指示が飛ぶ。
「姫様を抱えなさい。乱戦となれば姫様の足では我らについてこられません」
「ふぅむ。まあ、構いませぬが、私よりも箒に抱えさせた方が良いのではないでしょうか。ただの臣下だとしても、私は男だ。婚前の姫が家族以外に男に触れられるのは嫌でしょう」
………どちらでもいいと心の底から思ったが、面倒くさがりつつも思考をまわす。
涙助は戦力として有用に数えられる。で、あるならば火力役に回した方が殺しの効率は上がるだろう。
顔に大きな傷を持つ女、箒は腕に覚えはあるのだろうが、やはりその太刀筋は夕影や涙助に比べるとやや劣るように見えた。これの有意義な使い方は斥候と護衛であろう。
「………姫様。こちらに」
皴枯れた声と共に差し出された手を取る。
箒の身体つきは細いが、それでも軽々と私は抱えられ、左手で持ち抱えられる形で収まった。
一瞬だけ眉を顰めた箒が小さくつぶやくのが聞こえた。
「………軽すぎる」
「五月蠅い」
聞こえているぞ、好きで軽いわけではないというのに。
視線を動かし、槍兵の動きを注視する。頭数では当然こちらが優っており、槍兵同士の激突は六櫻側が終始有利に進めているように見てとれる。
だが、須璃勢からすればまさに此処、この戦場こそが背水の陣だ。決死の表情で食い下がる様子が眼に飛びこむ。
想定通り、両軍のぶつかり合った場所から乱戦が形成されていた。
槍を振ってそれを叩き折り、鎧を縫って肉を切り、一刀のもとに首を絶つ。
「やはり六櫻は強い。不愉快ですが」
「………姫様を守る盾です。そのようなことは………言われぬよう………」
「私ではなく私の血を守る盾でしょう。さあ、進みなさい、囮としての役割を果たすとしましょう」
左手をまっすぐ前に向ける。その指の先には、果敢に戦う若い国主の姿があった。
「あれの前など、実に素晴らしい。夕影、涙助………切り開きなさい。古森は援護を」
「「御意」」
「………ッチ」
それぞれの返答の後、夕影の姿が掻き消える。
地面を見れば、先程まで彼女がいた場所には深い足跡が残っており、当の本人は爆発的な勢いで先陣を切っていた。
障害となる人を吹き飛ばし、場合によっては建物をすら両断していく規格外。いや、化け物か。
そんな化け物を追って涙助が、そして私を抱えた箒が走る。
「夕影………!この天狗がぁ!!」
やはり彼女の知名度は高いらしい。
武士を吹き飛ばし、敵陣のど真ん中へと躍り出た夕影を狙う刃の数は多かった。
だが、彼女はそれをものともしない。この世は自らが主役の舞台であると言わんばかりに、戦の中で舞っていた。
「邪魔です」
その一言、その刃の一振りで数人の大柄な武士が吹き飛ぶ。
宙を舞う武士が纏う鎧は完全に裂け、それどころかその内側から内臓を飛び散らせているのまで見える。
「死ねぇい!」
仲間の死体を隠れ蓑に槍を突き刺そうとした須璃の武士。夕影はその場から動くことなく、着物を揺らして、その槍の穂先を下駄で踏みつける。
更に強く、足をひねり槍を叩き折ると、その足を軸として身体をまわし、得物を失った武士の頤を蹴り上げる。
鈍く嫌な音が響き、血を吐いて倒れる姿が見えた。
「真面に掛かろうとするな!!距離を取り削り殺せ!!天狗に正面から勝てるものか!!」
「的確な指示です。ですが、貴方達の弓では私を捉えられない」
射掛けられた矢をいともたやすく躱し、戦陣の後方に立つ弓兵の元へと一直線に向かう夕影。
「夕影の突撃を止められる兵が須璃にいるとは思えませんな。さて、私も殺さねば」
冷静に呟く涙助が、肩に預けていた槍を構える。
怪鳥音を発すると長柄の武器を持った須璃の兵士を切って、突いて、叩いて、吹き飛ばす。大柄な体から生み出される膂力が故の、暴力的な戦い方だろう。
先頭を荒らす夕影と戦場の中団で敵を敵を引き付ける涙助。その隙間を塗って、私を抱えた箒と古森が先陣の方へと駆けていく。
「あの髪は………六櫻の娘だ!」
「華樂の娘を殺せ!!あれが全ての元凶だ!!」
「は、随分と人気だな。毒姫様?」
「当然です。そうではなくては困ります。さあ、仕事ですよ」
挑発的な古森にそう言葉を返すと、箒に指で指示を出した。
「あの敵の群れを突っ切り、あの騎兵武者の元へ」
「………多少、怪我をするかもしれません」
「構うものか」
「………御意に。しっかりと掴まっておいてください」
雄たけびを上げる武者たち。
乱戦を抜けて私の元へと殺到したのは、全員で五名。
須璃の兵士は総勢で二千程度であったはずだ。この状況に至るまでに半数が使い物にならなくなっており、さらに弓兵によって須璃勢による初期の攻勢の半分を削ったため、乱戦の中でまともに戦える人材は七百程度だろう。
六櫻から連れてきた兵の数は千を下回る程度。凡そ三百程度、こちらが戦力的に上回っている状況だ。
正面からのぶつかり合いという状況では兵力の差は想定以上に大きな問題となる。
私を見つけたからと言って五人もこちらに戦力を向かわせるというのは、須璃の国からすれば悪手であり、私たちからすれば心待ちにした相手のミスであった。
ここで私を狙いに来るという事は、他の場所で人数が欠けてしまったことに相違ない………戦列の乱れは戦の均衡を崩すのだと、敢えて教えてやる必要もないだろう。時代遅れの戦い方をしてくれていれば、こちらとしては助かるのだから。
「―――フッ!!」
走りながら小さく息を吐いて放たれた矢が、的確に眼球に突き刺さり、そのまま脳まで貫く。古森による援護だ。
走っていた仲間が急に倒れ、意識がそちらに向いた瞬間、箒が刃を振るう。振り切り、返す刃で二人、鎧の隙間、喉元を的確に断ち切った。
血が溢れ、その血で窒息して倒れた武士たち。
「畜生があああ!!!」
「………!」
刀を握る男が躍り出て、私に向かって切りつける。
眼の間で火花が散り、私を狙った刃は箒の刀によって受け止められていた。刀を刀で絡めとるように捻ると、男の刀が宙へ舞った。そして、箒が私を守るように体を捻る。
私の眼で見えたのは箒が逆手に持った刃を男の首へと突き刺した光景だけだ。
勢いよく吹き出した血が箒を濡らし、彼女に庇われた私の服にもこびり付く。
「………古森」
「分かってる!」
最後の一人。大上段に刀を構えた男の脳天を、古森の矢が貫いた。
一瞬の間が空いた後、濁った瞳が私を睨み付けたまま、地面に倒れる。
「は、弱すぎだし!」
「………油断をしない」
「うっさい!」
「雑談とは余裕ですね、あなた達。次が来ますよ、入れ食い状態です」
「お前のせいだろうが!」
怒る古森が、死体から矢を回収する。
遊技ではないのだ、戦場で矢が枯渇すれば感嘆に死活問題になりうる。
脳漿や血に塗れた汚い矢を矢筒に収納すると、箒と私に続いて古森は走り出す。
「―――六櫻、六櫻華燐!!!」
いよいよ、国主………須璃春昭の姿が鮮明になる。
戦の勢いがここまでくると、既に城下街は破壊され、場合によっては燃えている所もあった。その中で、矢が突き刺さった馬に乗る傷だらけの男には、言いようのなう無様さが漂う。
私は視線を合わせると、ただ言う。
それだけでいいのだ。私の声も霧墨と同じく、高さを持つ子供の声でありこの戦場でも良く響くから。
「静かに出来ないのか、私の名前を勝手に呼ぶなよ、下郎」
左手に持った扇子を、首に当てる。
「切り捨ててくれる!!」
声に対し、紅い瞳を私は細めた。
「やってみるがいい。お前程度に、それが出来るのであれば、ですが」




