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須璃落とし 序


***




戦の流れなど、どの時代も結局は大して変わらないのだと思った。

遠間から弓を射り、それをかいくぐって接近し、切り結んでまた離れ、或いは押し返す。

前へと進まねば敵は倒せぬ。進むばかりでは勝ちは出来ぬ。相手の戦陣を見つめ、有効な戦術を都度打ち出す。兵は生き物のようにそれに従い、混ざりあい、指揮も届かない混戦へと変わっていく。


「来るぞ来るぞ、ほうらお前ら、しっかり受け止めろ」


霧墨が笑う。

手に持つのは軍配であり、その指揮を受け取るのは長槍を構えた兵士たちだ。

そうとも、距離とは即ち力である。遠間から一方的に攻撃できるというのは、それだけで有利足りえる。弓が、槍が―――そして銃が強いのは、その点に尽きるのだ。

攻撃力という数値で表すならば、弓や銃は決して突出しているわけではない。刀も槍も脳天に突き刺せば人間など軽く死ぬのだから。

ただ一つ、離れた位置から何度も高速で息をつかせぬ速度で打ち出せる、それこそが遠距離武器が最も脅威とされる所以なのだ。


「私が死んだら六櫻の血は途絶えます。それを念頭に置いて動きなさい」

「御意に」


自身の生死などどうでもいいが、契約は守らねばならない。だから私はまだ、死ねない。

………私は槍を構える部隊の少々背後で須璃の国の兵士たちの動きを見守っていた。当然、ここにいれば敵からは丸見えであるし、そもそも弓で狙う事の出来る射程距離圏内である。

言葉に起こすことすら馬鹿らしいほどに危険地帯なのは間違いないが、それでも私がここにいたほうが、相手の動きと思考を制限できるそうだ。

背後で軍配を奮う軍師の嫌がらせも入っているのだろうが、私もこれが効率的だと考えられるため、嫌味の一つもなく頷いたという経緯がある。


「さて」


策略によって暴徒と化した須璃の民衆は、あるものは水浸しになり、あるものは溺死し、あるものは槍によって突かれその喉元から血を流しながら、交叉女城の周囲に人の山を築き上げる。

いや。正確に言うならば、あれは死体と不信の山だ。冷静に考えることが出来る人間は民衆の中には既に含まれておらず、暴力と暴走によって須璃の兵の体力を削っていく。

このままでは圧死すると考えたのだろう―――いよいよ、須璃の侍たちは城を取り囲む自らの国の民を蹴散らし、出陣を始めた。

城門が開き、中から完全武装した兵が現れたことで、民衆の気概も削がれたように見えた。

耳朶を叩く民の叫ぶ声が小さくなっていくのが分かる。私は、それを聞いて心底つまらなさそうに呟いた。


「ああ。お祭りが終わってしまいますね。残念です、もっと続けばよかったのに」

「………姫様。そのような言い方は為さらぬ方が良いかと。少なくとも、あの行為は大手を振って認められるようなものではありません」

「人を殺すことに認めるも何もないでしょうに。効率的な方法があるならば、取るべきだ」


六櫻側と同じように、長槍で固められた集団が降ろされた橋を渡る。槍の穂先が向くのはまず、自国の民たちに。

須璃の兵を取り囲む民衆の輪が、徐々に広がっていくのが遠くからでも分かった。誰だって、死にたくはない、それはそうだろう。

………誰だって、殺したくはない、それも、そうだろう。

今にも壊れそうな奇妙な緊張感を保ったまま、民と兵がそれぞれに距離を取る。その背後から一際大きな馬に跨り、大振りの野太刀を腰に佩いているのは恐らく、国主でありこの戦の総大将、須璃春昭だ。


「古森」


背後に控える古森に私は命じる。


「鏑矢を撃ちなさい。私の姿が良く映るように。目に焼き付けさせるように」

「はあ、分かったよ」

「………?」


不満げではあるが、今までに比べると随分と殊勝な態度である。

熱でもあるのかと背後を振り返るが、顔色が悪いようには見えなかった。


「なんだよ」

「いえ」


夕影に絞られたのかもしれない。まあ、命令を素直に聞くならそれでいい。

背後の古森が弓をつがえ、それによって弦が鳴いている。ふ、と息を吐き音が聞こえて、その瞬間に鏑矢が須璃の兵の元へと一直線に飛んでいった。

かつて、鏑矢は戦の開始を告げる合図であったという。

双方が鏑矢を撃ち、それによって戦いが始まる。随分と、遊技のような戦いをしていた時代があったものだと、心のどこかで他人事のように思っていた。

放たれた鏑矢は総大将のほど近くへと飛んでいき、けれどそれは鞘に収めたままの野太刀によって払われる。

すぅっと兜の奥の瞳が、私を見つめた気がした。


「―――掛かれェェェェェェェ!!!!!!!!」


戦場に響き渡るのは大号令。それを受けた須璃の兵が、立ちふさがる民をいよいよ引き潰しながら、私たちの方へと迫り来る。


「五月蠅い声だ。頭痛が増すからやめてほしいものですね」


六櫻の兵は、動かない。

ここまで漂ってくる臭い空気は、私への憎悪なのだろう。匂いに感情なんて宿る筈がないということを知っているのに、人の意思が私の脳に錯覚を齎す。

きっと城の中に馬を大量に用意しておくことは出来なかったのだろう。兵力のほぼすべてが歩兵によって構成されていた。

まだ、六櫻の兵は動かない。


「城下街というのは、簡素な城のようなものとは」


憐れな蛾のように。炎に飛びいる虫のように。


「―――良く言ったものですね」


突撃を行う須璃の兵の歩みは、決して素早いものじゃない。

それは城下街というものそれ自体が、複雑な構造をした要塞であるからだ。惣構えでなくとも、通路の構築の時点で兵の勢いを殺すためにそういった機構は備えられる。

彼らはきっとわかっているでしょう。あの攻勢は、本来の槍兵が保持している筈の攻撃力の半分も発揮できていない、不完全なものだと。

それでも立ち向かわずにはいられない。私を、殺しに向かわずにはいられない。

丁寧に水を上げ、膨れ上がり、育ち切った憎悪は正常な判断を容易く失わせる。強制的な民衆の犠牲、追い立てられたことによる兵の損失、私を憎むには十分すぎるだろう。


「うおおおおおお!!!」

「そこだ。やれ」


響き渡る兵たちの声のなかに、少年のよく通る高い声が響き渡る。

霧墨の声だ。彼の指示によって一斉に弓が射掛けられる………弓兵は人の逃げ去った家の中に、細い路地の裏側に潜み、タイミングを合わせて不意打ちを行った。

動きの停滞した軍勢に矢を打ち込むのは防衛における基本戦術だ。城の曲輪がそうであるように。


「伏兵、ガッ!?」

「クソ………一人一人の練度が………グゥッ!?」


的確に首を始めとした急所に突き刺さっていく矢雨。

須璃の兵は鎧を纏っているが、通る場所もある。全てとはいかないが、半数以上が矢によってその命を散らした。

屍となって地面に転がり、それを踏み潰して更に兵が迫る。弓兵は霧墨の軍配の動きに合わせて下がり、代わりに私の周囲に展開をしていた槍兵がようやく、一歩前へと踏み出した。

鍔鳴りの音が響き、夕影が刃を抜く。

………弓と槍兵の最初の戦いが終わったのならば、ここから始まるものこそは乱戦。最も血と肉が飛び散る、戦の華である。

左手で、疼く右の眼の空洞を叩いた。

乱戦に良い思い出はない。私が手足を切り落とされ、右目を失ったのも乱戦の一種だった。ああ、まったく。


「気に入らない」


昏く笑いながらそんなことを言っている自覚があった。

………私は今、どんな感情をしているのか。精神が硝子のように砕け散りそうで、だけどそれを自制心でつなぎとめる。

まだだ。ぐちゃぐちゃに壊れるには早すぎるだろう。まだ、始まったばかりなのだから。

槍兵が更に一歩前に進む。私は場違いな鮮やかな服を血で濡らし、空虚で艶やかな狐の半面の飾りを揺らす。

さあ、反吐が出るほど楽しい楽しい殺し合いだ。初めての本当の戦だ。どう転ぶだろうか。

彼はなにか、意表を突くことをしてくれるだろうか。それとも無価値に死ぬのだろうか。

どちらでもいいと思った。どうでもいいと考えた。

それが結局、私から彼に。この国に対する思いなのだと感じた。




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