表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/97

滅亡の一手



「どういう状況だ!」

「そ、それが………近隣の村の民が押し寄せているようで………」


私の怒鳴り声に、家臣の男が肩を縮めこませる。

深呼吸をして意識を鎮めると、今度は冷静に質問を行う。


「民は一体、何のために集まっている?」

「殆どは暴徒のようなものですが、一部蓄えを返せという声や、なぜ六櫻に戦を仕掛けたのかという声が混ざっております」

「………民がそのような疑問を?」


なぜ六櫻を攻めたのかと言えば、答えは簡単だ。この国を更に富ませるためであり、民の暮らしを良くするためである。

海を手に入れれば塩と共に回路も手に入る。また、海を背にするという事は、非常に強固な防御力を得るという事でもある。六櫻の国があそこまで守りに長けているのは、立地的な理由も多分に存在するのだ。


「―――六櫻華燐の勢力は、私たちの背後を追いかけてきていたな」


ふと、疑問に思ったことが口から零れた。

見せつける様に、悠々と奴らは、人の領地を我が物顔で歩いていた。物見遊山でもしているのかと思うほどにゆったりとした歩みを、役に立たない姫の行軍に合わせているためだと思っていたが………民の間に、毒をしみこませるための時間であったのなら?

完全武装の己の身体を見降ろす。

民は血であり、国土でもある。どんな国も、民という血液を失えば立ち行かない。それを知った上で、六櫻華燐はこの須璃の国に、国主への不信という毒を撒いたのではないか。

確信こそないがその可能性が一番高いと、私はそう判断していた。

………あの女なら、やる。少女のような風貌をした悪鬼なら。


「―――ッ」


炎の中で私を嘲笑うあの顔が、仲間を殺して嗤うあの唇が、忘れられない。


「民には絶対に手を出すな!私から説明を行う!」

「若!駄目です、それが狙いかも知れません」

「だが、民も相応の者が説明を行わなければおさまりが付かないだろう。あくまでも口車に乗せられ、混乱しているだけだ。きちんと話せば落ち着くだろう」


どちらにしてもこのまま城の前で声を張り上げられては、こちらから打って出ることも出来ない。

………兵糧を農村から確保しつつ撤退してきたが、徴収した量は兵を維持するには心許ない。病人も怪我人も抱えたままの撤退で、随分と体力を使ってしまった。

攻勢に出られるのは一度だけだろう。だが、ここは我らが本拠、交叉女城。

迂闊に攻め込んでくれば、そのまま返り討ちにしてやれる。

しかし、そのための兵の配備や武器などを始めとした物資の運搬、怪我人の搬送などがこのままでは行えない。民という人の壁が、その動きを妨げる。

或いは―――それをすら、期待して毒を撒いたのかもしれない。


「安心しろ、奇襲など受けてやるものか。お前たちが守るのだろう?」

「………まったく若も無茶をする。だからこそついて行くんですがね。さあ、藁兵衛の敵討ちだ!」

「「応ッ!!」」


私は、良い部下を持ったと思う。

藁兵衛もまた、私には勿体ない優れた兵であった。それを塵のように踏みにじったあの小娘を、同じ目に合わせてやらなければ虫の居所が収まらぬ。


「とはいっても、橋は下せませんよ?ここで道を作ったら、民はそれを渡ってきちまう」

「ああ。近くまで行けばいいだろうさ。声が届く距離だ」


交叉女城の曲輪を抜けて、大門を開く。

怒声を上げる民衆とは、堀を挟んで向かい合う。


「春昭様!!私たちの村が六櫻の兵に奪われてしまいました!」

「なんで六櫻に戦を仕掛けたんですか!!負けるのなんて分かってたでしょう!?」

「報復に来られたら終わりだ!!逃がしてもらえたのは運が良かっただけだ!」


雑多に喚く民の言葉にはやはり、意図的な悪意と憎悪が紛れ込んでいた。

須璃の国の方へと憎しみが向くようにと、加工された言葉の数々だ。


「―――静まれ!!」


大声を張り上げれば、民の怒声が止む。

まだだ。六櫻華燐、お前の思い通りになどさせてたまるものか。私たちの民は愚かではない。

しっかりと言葉を交わせば、正気に戻る。


「私に疑問があるのだろう!!勿論答えよう、お前たちが満足するまで!!さあ、前に出よ!!私を質したいものは口を開くことを許可する!」


………人の波が蠢く。そして、少しだけ人が下がり、私の前に空間が出来た。

その中に一人の男が歩み出てくる。農民だろうが、その纏っている服は随分な襤褸であった。

昼夜問わずに交叉女城を目指して逃げていたのだろう。


「さあ!!問いかけよ!!私はどんな質疑にも―――」


トン、と。

その男の額に。矢が刺さっていた。


「………は?」


どこから飛んできた。一体、どこから!!

矢は、横からでも背後からでもなく、私と面を向かっている正面から刺さっている。

まるで、城から矢を射られたかのように。

その瞬間に、私は理解した。六櫻の目的を、扇動した民衆の前に、私をおびき出した訳を。


「―――これか」


これが、目的か!!


「六櫻の、猛毒姫………いいや、人の心の欠けた悪鬼め………!!」


民の視線が、男へと向く。そして、私へと向いた。

彼らの瞳の中に、憎悪が宿るのが見えた。私への忠誠や信奉は、休息に育った猜疑心によって掻き消され、そして。


「ふざけるな!!」

「民の事を何だと思ってんだ!!」

「俺たちは都合のいい道具じゃないぞ!?」


先程までよりもはるかに大きな声で、怒声が響く。まるで、地鳴りが起こっているかの如く、声が振動となって私たちの鎧を叩く。


「―――若、これはどういうことで………?俺たちゃ、矢なんて」

「分かってる!!だがもうどうしようもない!!理由も弁明も、最早民は聞き入れないだろう!!」


クソ、と吐き捨ていると頭に手を当てる。

そして兜の緒を締める。一本の矢のせいで民に巻き起こった暴動は、もはや私たちの側から止めることは出来ない。

これから私たちは、守るべき民をすら敵として、戦わなければならないのだ。


「私が狙われることよりもよほど厄介だ!!民を、道具として使いやがった!!」


交叉女城を滅ぼすための、いいや………須璃の一族を滅亡させるための、須璃の国の人間を使った策略。

こうまで来ると、策というのすら生ぬるい。これは、人間への明確な憎悪がなければ、取ることのできない手段だ。

よもや六櫻華樂という英傑から生まれたのが、あのような悪鬼とは。


「殺さなければ、あの小娘だけは、絶対に」


そうでなければきっと、六櫻華燐という人間は、大きな争いをこの天唯に撒き散らすだろう。


「攻勢の用意だ!急げ、全てこれに賭けるぞ!」

「籠城じゃなくていいんですかい、若!」

「駄目だ!!籠城しても削られるのは私たちの糧秣と、民の命だけだ!!短期決戦で決める!!狙うのは六櫻華燐の首一つ、全ての犠牲もその首一つ取れれば帳消しになる!!」


そもそも、暴徒と化した民はもう数刻もしないうちに堀を超えて城へと迫るだろう。

あそこまで抑えが聞かないようになってしまえば、城に火を放つ可能性すらあった。籠城を始めた途端、城ごと燃やされてしまう可能性は正直に言って高い。

………追いつめられた人間は、何をするか分からない。


「だが、それはこちらも同じだ。見くびるなよ、絶対にお前を」


―――殺してやる。


怒声が響き渡る城の中で、須璃春昭がそう決意する。そして、刃を抜いた。


「行くぞ!!!」





***




「………最低の気分」

「最高の戦果ですよ。良くやりました、古森」


矢を曲げるなど、ただのフィクションだと思っていたが、どうやら古森という弓兵はそれが出来るらしい。

風を読み、張力の強い弓で打ち方を工夫する。その結果、五百メートルを超える長距離から放たれた矢は須璃春昭と会話をしようとした男の額を貫いた。

和弓は元々飛距離と威力に秀でているが、今回は弓を打ちなれている筈の古森ですら引いただけで息が漏れ、撃った後は手が痺れるほどの距離と集中力が必要な射撃であったらしい。

まあ、曲芸の如き射撃だ。神業と、そういってもいい弓の腕前だろう。


「成程。華樂が認めるだけの実力はあるのですね」


そう呟いた。

隠れ潜み、最適なタイミングで民に矢を放つ。そして、民を暴徒とする。

奴らはすぐにでも須璃春昭を敵とみなし、後も先も考えない混乱を生み出すだろう。事実、既に堀を超え始めた暴徒もいるようである。

本陣で薬湯を呑みつつその報告を受けた私は、横で床几に座る霧墨に視線を向けた。


「あとはあなたの仕事です。これ以上は、私では相手の行動を予測出来ません」

「ふん、やってることは最悪だが、最適だ。これであいつらは籠城っつう選択が取れなくなった。まあ、民を全て犠牲にしたうえで最期に抵抗する体力を暴動の制圧に使いきっちまうってんなら話は別だが、須璃春昭という国主はそんな無能じゃないだろう。普通に有能な若者って印象だからな」

「ではどうすると?」

「決死の突撃だ。お前を狙ってな」

「そうですか。それは好都合ですね」

「ああ。好都合だ、お前っていう囮を真っ直ぐ狙ってくるなら、対処はしやすい」


国主の領分は戦略的な場面。戦局を作り出すこと。戦局を左右する戦術は、軍師の役割だ。

霧墨が私を囮として使えば、効率のいい作戦が取れると判断したのであれば、私は従うだけである。


「準備は?」

「もう終わってる。後は相手方が攻めてくるのを待つだけだ」


攻めるよりも守る方が遥かに優位―――ただ、それだけの事だと霧墨が呟いた。

私も同感だと思い、けれど口には出さなかった。


「………滅亡の一手ですね」


悪手を打ったのだろう。民と対話などしなければ、このような隙は生まれなかった。

須璃春昭は優れた国主なのだろうが、英傑ではなかった。だから、普通の判断で動き、最悪の一手を打った。たったそれだけの事。

義足に片手を置き、空を見上げた。日暮れが近い。茜色が空を埋め尽くしていた。

明日か、更にその先か。きっと、すぐに、須璃の国は亡びるだろう。

私は特に何も、感じ入ることが出来なかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ