憎しみという呪い
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再び日が昇る。忌々しい程の青空だ、人によっては爽快さを感じる秋晴れなのかもしれないが、私にとってはただ頭痛を増すだけのものでしかない。
撤退を続ける須璃の国の動向に関しては朝日が昇ったタイミングで古森が捕捉した。
弓兵としての腕前は成程、夕影が保証する通りのものであるらしい。鷹の目とでもいうのだろうか、古森は兎に角視力がずば抜けて高いのである。更には夜目もよく効く。
霧墨が予測した通りに須璃の国の兵が動いているのを確認したそうだ。
「姫様………着きました」
「ええ。では略奪の開始です―――とはいえ」
その前に仕込んでおくことがある。
役に立つ爆弾かそうでないかの判断は先にしておかなければならない。役に立たない場合は踏み潰すだけだが、使えるなら再利用を行う必要がある。
「まずはこの村の長の元へ。適当にその辺りの農民を捕まえて案内させなさい」
「………あの大きな建物に居ると思いますが?」
「そんなことは分かっています。敢えてですよ、案内をさせるのは。多少、暴力を働いても良いですよ」
そっちの方が都合が良い。
反骨精神をこちらに抱くか、それとも恐怖で従順になるか。そのどちらかで対処方法が変わるのだ。
決して悪意だけでそのような行動をしているわけではない。というよりも、興味もない。こいつらが私に何かできるものか。何か一つでも、してくれるものか。
馬が進む。悲鳴が聞こえて、民の一人が収穫の終わった田んぼの近くで崩れ落ちているのが見えた。
「そこのあなた」
「………っ!!」
ああ、丁度いいのが居た。
それは赤子を抱いた女であった。黒髪が乱れて、汗で張り付いている。
片目を細めてその女を指で示せば、箒がその女の前に立って静かに命令する。
「村長の元に案内を」
「わ、私が?!」
いつもの掠れた声で冷静に指示を出す箒に対し、赤子を抱いたまま後ずさる女。
私の残った左手がその様子を見て、無意識に力を込めていた。息を吐いて手から力を抜くと、私は馬から降りる。
音もなく馬から飛び降りて夕影もついてきたが、それはどうでもいい。相変わらず天狗のような身のこなしだ。
「………あなたは、な、なんですか?!」
「分かるでしょうに。私たちは六櫻の国の者です。それ以上に説明が要りますか?」
表情を浮かべずに首を傾げてみせれば、更にその女は後ずさろうとした。しかし箒にその首を掴まれ、それ以上動くことが出来なくなる。
「こ、この子だけは―――」
「それはあなた次第です。さっさと村長の元に連れて行きなさい、愚か者め」
まるで悪役の台詞である、
いや。私は悪役そのものか、少なくとも六櫻の国とそれを取り巻くもの………言うなれば世界そのものにとって、私は確固たる悪である。
ならばこのような振る舞いは、正しいのかもしれない。この世界に地獄をばら撒こうというのなら、染まる事の無い悪の華となるのも当然の事である。
とはいえ、口を歪ませて笑うことなどわざわざしないが。
「ほら、急げよ。早くしないとその腕の中の赤子を殺してしまうかもしれませんね」
「分かりました!!だから、止めて!!」
慌ただしく立ち上がった女が、腕の中で強く赤子を抱いたまま、私たちの前に出る。
そのまま前方に見える、この小さな農村にしては大きな家へと早足で向かっていった。
私はそれを眺めつつ、付近の踏み固められた地面の道へと視線をやった。多少消されてはいるものの、そこにはたくさんの足跡が残っている。完全に消し去るには時間が足りなかったのだろう。
当たり前だ、そうなるように私たちは侵攻を続けている。体力と精神をすり減らして血を撒き散らせるために。
そうまでして、農村から食料を奪ってまで逃げる奴らの背後で、その村を壊してやれば。奴らはどんな思いになるだろうか。私の憎しみを、少しは感じ取るだろうか。
「………くっだらない」
ああ。本当に頭痛が止まらない。
あまり寝ていないせいだろうか。深く眠ることが出来ないせいだろうか。ずっと、痛みが止まらない。
「こ、こちらです!私はこれでいいですよね?もう、いいですよね!?」
「………五月蠅いな。静かにしなさい。それから、この村の長に私たちの来訪を知らせなさい」
「それをしたら、もう行っても………」
「別にいいですけれど。貴女の知らないところで全てが決まってもいいのですね」
頭を指で叩く。頭痛を誤魔化すために。
濁った紅い目を向ければ、引き攣った声に成らない悲鳴を上げた女が、屋敷の中へと走っていく。暫くすれば、ドタバタと騒がしい音がして、木戸が引かれる。
奥からは白髪の混じった黒髪をした、多少の筋肉を纏った男性が現れた。きっと農作業で培ったものなのだろう。
瞳の中にあるのは大きな怯えと、少々の憎しみだろうか。私が求めているのは、憎しみの方であった。
もっとも、全てが憎しみに染まっていてはこちらの糧秣的な問題を誘発するため、ある程度は怯えのまま踏み潰していきたいところだが。
「初めまして。あなたの名前に興味はありません。こちらからの要望はただ一つです。あなたたちが備蓄している食料、その全てを私たちに献上しなさい」
そう言いながら、その男を無視して屋敷の中へと入っていく。
遠慮も何もなく上座に腰を降ろすと、追いかけてきた恐らくは村長だと思われる男に冷たく視線を向ける。
「な、なにを言っているんだ………?アンタたちは一体」
「私は六櫻華燐。六櫻の国の国主です」
女に言ったことと同じだ。これ以上の説明は不要だろう。
なにせ攻め返されるに足る理由があることを、こいつらは既に知っているのだから。
「なん、と………須璃の国を滅ぼすおつもりか!?」
「六櫻の国を滅ぼそうとして、何故自らは滅ぼされないと思っているのでしょうね。華樂は易しいから見逃していたのでしょうが、私はそうはいきません」
扇子を地面に当てて、体を起こす。
「塵芥だろうが、目障りなら消し去ってしまわなければ―――そうでしょう?放っておけば増長して、あなたたちはろくでもないことをしでかすのですから」
「ひっ!?」
義足の音を鳴らして、村長に近づく。這いずるように、蛇のように。
男の喉から、悲鳴が零れ落ちた音がした。
「あなたたちが始めたことだ。あなたの国の主が始めた戦だ。滅ぼそうとするのであれば、滅ぼされる覚悟もある筈だ。国主が国主として守るべき民が、敵国の兵に無為に殺されることを想定している筈だ」
私の視線は、結局この場にいることになった女とその腕に抱かれている赤子へと向いた。
あれだって死ぬ。戦をすれば人は死ぬ。
それを先に吹っ掛けたのは須璃の国だ。彼らが戦を仕掛けてこなければ、彼らが尻尾を撒いて逃げ出し、自国に戦火を撒き散らす事態にはならなかった。
「分かりませんか?ねえ、私の身体を見てください。この足を、この腕を、この眼を。こうしたのはあなたたちだ。私には、須璃の国の全ての存在に復讐をする正当な権利がある」
残った左腕を伸ばす。
男が後ずさる。何故だろう、私の身体は、見た目はとても小さいのに。少女の物なのに。
まるで化け物を見る目じゃないか。私には、人を殺すための武力なんてないのに。
「私はあなたたち全てを殺します。無意味に踏み潰します」
「どう、すれば………見逃してくれるんだ」
「見逃す?何故ですか。私はあなたたちから奪い取るだけです。命も尊厳も、何もかも。一匹たりとも逃がすものか」
―――あなたたちが私に対してやったように。
「因果応報。為したことは必ず、自分の元に帰ってくる。恨むのであれば、先に刃を抜いた愚か者を恨むがいい」
きっと。私が言ったこの言葉も、いずれ自分の物とへと帰ってくるだろうけれど。
それまでに、六櫻の国に血を遺せればそれでいい。私は、死ぬことこそが目標なのだから。
「さあ」
目を細める。私の言葉を聞いた村長の目の中に、怯えよりも憎しみの方が強く燃え上がっているのが見えた。
それでいい。怒れ、憎め。そしてその矛先をきちんと見据えろ。
お前の敵は誰だ?私たちか………否。
この事態を招いたのは、最初にお前たちが生きるための飯を奪っていったのは。
原因を作り出したのはお前たちの主だろう?
「選んだのはお前たちの殿だ。捨てたのは、お前たちの主だ」
呪いのように、いいや。まさに呪いそのものとして、耳元で囁く。
村長の男の手が、固く握りしめられたのが見えた。
「備蓄は残り少ない。全てを差し出せばこの村は、滅びまする………」
「だから?」
「私どもは………六櫻の国に付きます。だからどうか」
「いりません。いつ牙を剥くか分からない、調教も済んでいない獣を懐に入れる趣味はありません。ただし」
義足を軋ませて立ち上がると、体勢を崩したままの男を見降ろす。
「最低限の糧秣を持ってここから去ることは許します。その先でどうするかはあなたたち次第ですが。六櫻の国に歯向かうもよし、賊に成り果てるもよし―――須璃の国の国主を、殺すもよし」
まさに言葉は呪いだ。私もまた、言葉という呪いで国に縛り付けられているように。
私の吐いた呪詛が地獄を生み出す。須璃の国を滅ぼすための地獄だ。
「………わかり、ました」
そう呟いて平伏する男を無視して、私たちは彼の家を出る。
また一つ、ここから地獄が広がる。宛ら病のように、彼らはこの国を腐らせ、そうして崩すための刃となるのだ。
全て、滅びてしまえばいい。その諸刃の刃ごと、誰も彼も。消え去ってまっさらになれば、少しはマシな世界になるだろう。
憎しみで視界を狭めたこの村の民は、きっと須璃の国の敵対者となる。
勝手に戦って勝手に呪って勝手に死んでもらえば、私達の元には土地だけが残る。その土地は、有効に使える。暴徒と化した果てにそれでも生き残れば、それは再利用可能な人という、こちら側の資源となる。
………兵力も、温存が出来る。
心の底から、吐き気がした。
「糧秣を徴収して先に進みましょう。逃げ出したいという農民の糧秣は分け与えて良いですが、この村には一切の糧秣は残しません。全て奪い去ります」
「………姫様」
「反論は認めませんよ、夕影」
既に決めた事だ。須璃の国を滅ぼした後の統治のためにも、憎しみの対象をすり替えておくことは重要である。
そして、すり替えられない愛国心のあるものは一人残らず殺しておかなければならない。
「ああ、本当に」
………昏い微笑みが浮かぶ、どうしようもなく。そんな私に対して、吐き気が止まらない。唇を強く、血が出るほどに噛んだ。




