仕組まれた惨状
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「すまないな………飯を分けてもらうことになって」
「い、いえいえ!これくらいはおやすい御用でさあ」
「そうは言っても、貴重な貯えだろう。貰う量は最低限にする、そこは安心してくれ」
低頭するのは須璃の国の本城、交叉女城へと戻る道の途中にある農村に暮らす民だ。
今現在、我が軍は六櫻からの予期せぬ反撃を受け、撤退の途中であった。民が私のいる部屋から出ていくと、ようやく私は溜息を吐く。幸いにしてというべきか、或いは不幸にというべきか、その溜息は夜空の月以外、誰にも見られてはいなかった。
昼の間は六櫻勢からの露見を防ぐために、大きく移動することは出来ない。火の消されたこの夜の間のみ、糧秣の補給や長距離の移動が行える。
「兵の損耗が多いという訳ではない。だが―――糞!」
やはり、蓄えていた兵糧を焼かれたのが痛手である。
元来、盆地という特徴上、農作物の収穫量には恵まれない我が領地は、行軍の際に必要となる糧秣を集めるのも一苦労である。
それを失ったという事は事実上、こちらから六櫻の国に攻め込むことが出来ないという事を意味する。
………確かに、農村が滅びるほどに物資を徴収すれば、再びの六櫻攻めも現実味を帯びるだろう。しかし、民を富ませてこその国主だ。それをやってしまっては本末転倒である。
「藁兵衛。お前なら、どうした」
額に手を当てると、そう呟く。
撤退の時の光景が脳裏に焼き付いて離れない。狐の半面を付けたあの女の姿が、私の背に纏わりつく。
死んだはずだった。そう報告を受けていた。だからこそ、私たちは六櫻攻めを計画した。六櫻華燐―――華樂という時代が生んだ傑物の、その血だけを引く出来損ない。
兵を統べる能力などない筈だった。反撃するほどの度胸などない筈だった。脅威になど、なる筈もない弱者だった。
だというのに、あれの指揮する兵によって、私を支えていた軍師はその命を落とした。
狐の半面を付けて、私を嘲笑う顔。炎の中で揺らめく、あの髪の面妖さ。紅の中に昏く澱んだ汚泥を沈ませるあの瞳が、嫌悪感を際立たせる。
「………六櫻、華燐………ッ!!」
蔵下藁兵衛は、須璃の国の名代を私が力づくで乗っ取った、その前から私に力を貸してくれていた軍師であった。
私の師であり友であった。このままではこの国は終わると理解しており、私の時代を作るとその力を奮ってくれた恩師であった。
「許さんぞ、六櫻の悪姫め―――」
手に握った軍配がミシリと音を鳴らす。それと同時に、私がいる部屋が叩かれる。
「どうした!」
「若、斥候が六櫻の兵の姿を捉えました!!」
「早いな………糧秣の積み込みは?!」
「終わってます!」
「よし、では出立だ!!」
「糞、六櫻め………怪我人がいるっつうのにまともに休めもしねぇ」
「言うな。見捨てるなよ、まだ助かるんだろう?」
「ええ。本城に戻って医者に見せりゃあ、確実に」
天唯の南部の小国では、兵の補充すら一苦労だ。人を失うことは、国家の財を失うことと同義である。
故に、怪我をしていたとしても、見捨てることは出来ない。
例え彼らから病が溢れるとしても、だ。苦々しい顔で、私たちが今まで通ってきた道の方へと視線を向ける。
「………此処までで黄泉へと旅立ったのは、十四人か」
「身体が膿んで紫色に変色してました。あそこで殺しておく以外に、俺達が生き延びることは出来なかったと思います」
「わざわざ慰めなくていい。分かっているし、私が選択したことだ。………なあ、ここで反転攻勢を仕掛けて、六櫻を押し返せば何とかなると思わないか?」
深追いをしている六櫻の勢力の背中を逆に追う立場へと変われば、一気にこの形勢は逆転する。
休息し、力を蓄え、そして―――。
「若、それが現実的じゃないのはアンタが一番わかってるはずだ。兵に疲労が濃い。飯を満腹になるまで食った奴なんていないんだ、ここで反撃をしたところで」
「すまない、そうだな、だがつい考えてしまうんだ。実現しないことは分かっている、なるべく多くの兵を連れて交叉女城へと戻ることが正解だ、分かってる」
あまりにも須璃の国はあの奇襲で削られ過ぎた。この状態で、果たしてあの一騎当千の女武者を破れるかと言われれば、答えは否である。
ただでさえ厄介な一騎当千の猛者。六櫻華樂というつなぎ目が崩れた好機に娘である六櫻華燐を葬れた―――そうしてようやく、その動きが止められたと思ったのに。そもそも、何故生きている、何故あの国の人間が、あの娘に従っている。
有り得ないことだ、彼の国の心は華樂だけに………。
「いや。そうか、血か。血に、従っているのか」
やはり確実に殺しておくべきだった。その首を持ち帰れと、厳守させておくべきだった。
万が一の可能性で幸運に生き延びたあの悪姫に、華樂の血は受け継がれている。ただそれだけで、従う理由に成りうるのが、あの国である。
舌打ちをして、握りしめていた軍配がとうとう力に耐えきれず、砕け散った。それに目を向けず心の中で叫ぶ、
―――今度こそ、必ず。あの娘を、殺す。
だが、まずは生き延びて体勢を立て直す所からだ。損耗を抑え、本拠へと帰れば必ず反撃の目はある。
「行くぞ、撤退だ。全員に伝えろ、すぐに出る!!」
「へい!!」
立ち上がり、部屋から足を外へと踏み出す。
私がいたのは、この村の村長の家であった。最も格式が高い家であるため、間借りをしていた。正確には、借りている間に村長の一家は他の家に追い出していた形になるのだが。
農民が私を見る視線には少しばかりの恐れが混じる。それはきっと、此処が戦場になるのではないかという心配が故だろう。
「皆の衆、感謝する。そして安心しろ!ここが戦場になることは無い!!我らはこれより交叉女城へと帰還し、再び部隊を編成し直して今度こそ六櫻攻めを果たす!」
「………」
「其方らは今までと同じように過ごしていれば良いのだ。くれぐれも、六櫻の軍勢にちょっかいを出すなよ?村が滅ぶのは、我らの本意ではないからな」
そう言って、私のは馬の背に飛び乗る。
そして腹を蹴れば、嘶いた馬がその蹄を鳴らして、夜の闇へと駆けていく。
私の進行と共に、他の兵たちもまたそれぞれ駆けだしていく。隊列も何も殆どないが、どうせこの状態で背中を刺されればどうしようもないのだ、隊列は事故が起こらない最低限でいい。
それよりも速度こそがいま求められる物であった。
「若!後ろに!!」
「………ッチ」
篝火を焚き、悠々と歩く姿が遠くに見える。
六櫻の勢力が、夜の闇を照らす様を見せつけるようにして、ゆっくりと進んでいた。その歩みは、けれど確かにこちらへと向かってきている。
「私の領内を我が物顔とは、随分と不愉快なものだな。急ぐぞ!!」
怪我人とそこから生まれた病人を抱え、食料も十分ではなく、策を練る軍師もいない。この状況で奴らに追いつかれては一巻の終わりだ。
なんとしても、此処まで死んだ兵たちのために、食料を分けてくれた民のために、生き延びねばならない。
薄く霧の出始めた夜の中を、馬を走らせていく。
―――その逃走劇が、仕組まれたものだとは気が付かず。




