段取り
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日が昇りだしたころ、六櫻の国の軍勢は国境を越え、須璃の国へと本格的な侵攻を開始した。
いいや、最初に攻めてきたのはあちらである以上、これは正当なる反功というべき物なのだろう。
夜に行われた奇襲によって発生した損耗は、短期決戦であったことも作用して無視できる程度に少ない。そして兵として育てられている六櫻の国の軍勢は、その殆どが数日程度の強行軍を可能としている。
仮眠をとれば重い荷物を持っていても動けるのだ。
その足の速さは、使わない手はないだろう。なるべく、出来るだけ―――須璃の国の国主の。あの男の背中をひりつかせてやる。
「姫様。馬の準備が整いました」
「………そうですか」
義足であるという事を考えれば、私が歩き続けるという事は実質不可能だ。
元々荷を運ぶために、別動隊として馬だけを連れた隊があり、そこから一頭を借りた。私が顔を出せば嫌な顔をされたが、だからといって拒否など許さない。
とはいえ、最早今の私では単独で馬に乗ることも出来ないため、護衛も兼ねて実際に馬を駆るのは夕影の仕事だ。私はその前で座るだけである。
「考えることと、苦痛から逃げられるわけではありませんが」
蹄が荒れた山の道を蹴る。
人が多く通ったためか生命力強く生い茂る草木が踏みしめられ、乱雑な足跡が刻まれていた。これならば逃げた方向を探すことも容易いだろう。
罠である可能性も無いわけではなかったが………霧墨に視線を向ければ、手で先に進むようにと示された。
罠を貼れるような余力はないのだろう。或いは、軍師だという男を仕留めたというのも大きいのだろうか。敵を欺くには経験と知恵がいる。それらは猛将として戦場を駆けるだけでは身につかない、独特の才覚なのだろう。
故にこそ、軍師や知将と呼ばれるものは貴重なのだ。
さて、須璃の国の本拠である城は交叉女城という名の平城であるらしい。平城といっても厳密には、機能の大部分は山城と変わらない。
それは彼の国が盆地の上に成り立っている国であるという理由が多いわけだ。
須璃の国を囲む険しい山の数々は数の有利を多少なりとも削り、更には攻めるには難しい地形であるともいえる。そして生産設備や機能を保持したままそれら損耗した敵を叩けるという時点で、ただ守るという点においては盆地は優れている。
日本にも山肌に囲まれた盆地に平城を築いた例はいくつか存在している。それらが実際に戦に使われていたのかどうかは私には分からないものの、作るに足るメリットがなければそもそも城は生まれない。
馬が土を蹴り、ようやく登りが下りへと変わる。少しだけ視界が開け、遠くに随分と白んではいるものの、街が見えた。
「あれが………」
「ええ、姫様。遠くに見えるあれこそが、須璃の国です」
天唯の南部は小国が集まっている。それぞれの国はとても小さく、一つの国に一つの城と都市しかないなんてこともざらにある。
大量の砦や城を持つ六櫻の国がおかしいというのは事実ではあるものの、それとてこの戦国乱世に小さいながらも生き残るのであれば、相応の智慧と戦い方を兼ね備えているものだろう。
視界の中に収めた須璃の国の首都は、現代で言えば一つの市程度の規模である。街の中心に城があり、更にその街の周囲を城壁で囲っている。都市国家に近い構造だが、それ以上に優れた設備を六櫻の国の首都は持っている以上、あれらは絶対的な脅威にはなりえないだろう。
山の奥から流れている大きな川がその街へと注いでおり、生活用水はそこから確保していると思われた。そして、その川は街を通り過ぎて以降、幾つかに枝分かれし、その傍に幾つもの農村が見える。
農村までいくとあまりにも小さくなってしまって、私の目では詳細は分からないものの、付近の兵の声を聴くに、収穫を迎えたばかりの稲穂などが干されていたりするようだ。
なんとも、奪い甲斐があると―――そう言えるのだろう。
「須璃の国の兵の姿は見えますか」
「いいえ、姫様。山の上から見られることを警戒しているのでしょう、どこかに身を潜めているようです」
「夕暮れが近づけば活発に動くだろうが、それまでは森や林みたいな死角を進むか農村の建物に隠れてるんだろうよ。まああまり遠くに行ってねぇ筈だ」
目を細めて地形を眺めていた霧墨の指先が、川の支流に順に立つ農村をなぞった。
本流とは少しばかり離れているのは分かるが、それがどうしたというのだろうか。
「僕ならあの川に沿って国へと戻る。収穫の時期が遅れたんだろう、あの支流の農村部には収穫物が残ってる」
「それらを徴収しながら撤退しているという訳ですか」
「お前の提案した案の通りにな。まあ、どれだけ残しているかは分からんが」
もしかしたら農民が生き残ることすら出来ないほどに、須璃の国の軍勢が糧秣を徴収しているかもしれない。
その可能性は確かに、完全に排除できるものでは無かった。人間というのは暴走する物で、そうなればどこまでも利己的に、残虐になれる動物だ。
策を講じてその確率を多少下げたとしても、そのような暴挙に走る可能性は決して低くはない。悲しいが、私の提案は博打の一種であるのも事実なのである。
けれど、きっとこの策は上手く行く。いってしまう。
「人望があるのでしょうね。若と呼ばれたあの国主には」
病的なほどのカリスマ性を有していた華樂とは違い、人の上に立つに相応しい程度の、正常と呼べる人望だ。
彼の言葉にはきっと彼の民は頷くだろう。真意を込めたその意思には、巧みな言葉よりも強く、心を揺さぶるだろう。
だから民は彼の軍勢に糧秣を提供し、けれどそれらは農民が決して餓死しない程度に、優しく気を遣ったものになるだろう。それらの考えは、彼が率いる軍勢にも浸透しているから。
………暴走することは、ないのだ。
「行きましょう。あの川を辿り、彼らを追い立てます。猟犬のように喰らい付きなさい」
夕影が馬の腹を蹴り、馬が歩きだす。
登った山を下り、進むのは須璃の国をかき乱すため。より多くの混乱と憎悪を撒き散らし、穢すため。
暗く、光を失った眼で嗤う。うっすらと、静かに。
日が昇りきり、そしてまた沈む。一日の間ひたすらに進み、多少の休憩を挟んでまた進む。
地面に残る足音がその乱雑さを増しているのは、きっと私たちの足音を彼らが聞きとっているからなのだろう。死神の手から逃げようとしているからなのだろう。
山を下りきり、六櫻の国の勢力は盆地へと足を踏み入れた。林や森によって視界の遮られるこの平地では、多少逃げる須璃の国にとって有利に働くことになる。
元々地の利もあるのだ、ここで私たちは少しの間、彼らに猶予を与えることとなる―――当然、霧墨の予測通りの行動である。
「精神への負荷の調節と、僕たち自身の休息だ。領地に戻って追ってから少し距離を放せたっつう安心感と、物理的な時間。それがあった方が奴らの動きを制御しやすい」
「過度に干渉しすぎると自棄になり、暴走するでしょうからね」
「ッチ。ああ、毒姫の言う通りだ」
私と思考が噛み合ったのが気に入らないのだろう。干した芋を噛みながら、霧墨が舌打ち交じりに私の言葉を肯定する。
六櫻の国の兵士も此処までずっと進み続けているので、野営とはいえ一度ちゃんと休息をとる必要があるのも事実であった。
そうしている間に、きっと須璃春昭はこの先、徒歩で二日ほど離れた農村で徴収を行うはずである。それでいい、私はそれを待っている。
勝手に逃げきったと安心し、勝手に損耗していけばいい。お前たちは今現在、血を流しながら逃げているのだ。そして、その流れ落ちた血は腐り、より大きな病となる。
腐り変じた病は、お前たちが通った場所全てを蝕み、やがて須璃の国を滅ぼすだろう………私が進むのは、農村へと向かうのは、そのためなのだから。
眼を閉じて、仮眠をとる。ぐっすり眠ることなど、私はもう出来ないのだから、どこでどんな風に寝ようとも変わりはしない。ただ、どこまでに満ちていく吐き気と怨嗟だけを、抱きしめて眠った。




