交わる視線
「突撃隊が開けた穴を使いましょう」
そう言って走っていく先は迷わずに正面だ。
未だ”若”と呼ばれたものがどこに居るかは分からない。ならば開いた傷口を広げていくに限る。
どこぞの島津兵のように、捨てがまりで敵陣に突破を図るようなものもいないだろう。何せ、正面を突破したところで待ち受けているのは六櫻の本隊と難攻不落を誇っていた一の砦である。
「………じっとしていては、寧ろ我らが味方の矢に射掛けられます」
「分かっています」
かく乱のために兵糧の周囲には思い切りに火を放つ。この辺りも巻き込まれるだろう。
煙に巻かれて窒息死など、愉快ではあるが許容できる死に方ではない。
走る速度を上げる。呼吸を止めては動かしてを繰り返して痛みを逃がす。決して顔には出さない。左眼を細めれば、私たちの進行方向に今までとは数の違う一団が見えた。
「姫様。ご無事ですね?」
「ええ」
右奥から大きな悲鳴が重なって聞こえ、その瞬間に闇夜の向こうから烏のように素早く、夕影が走ってくる。
刀に付着した血を払うと鞘に戻し、私の姿を軽く見やる。開いた細目の奥から覗く青い瞳が、私の頭から足元までをなぞると義足と生足の結合部で止まる。
こいつが何かを言う前に、私は左手の指を前へと向けた。
「夕影。あれは須璃の国の本隊ですか。若と呼ばれたものは、あの中に居ますか?」
私の問いかけに答えたのは、夕影ではなく彼女にやや遅れて戻ってきた涙助であった。
血に濡れた槍を肩に載せながら、興奮したように荒い息のまま、けれど冷静な口調で私に語り掛ける。
「まさに。仕掛けますか、姫」
「………」
周囲に軽く視線を向ける。
鏑矢が放たれてから、体感時間として凡そ五分程度だろうか。後方から聞こえる轟は間違いなく霧墨が六櫻勢を指揮しているが故に生まれた音だ。
既に火矢が多く放たれているのだろう、本格的にこの周囲にも白や黒の煙と異臭が漂い始めている。きっと、異臭は人間のそれだろうが、どうでもいいと意識から外した。
五十人程度の突撃隊は、奇襲を掛けて引っ掻き回した後は本隊に合流するように指示を出しているため、既にこの場には居ないだろう。如何に精強な六櫻の兵とは言え、敵が反撃の用意を済ませた後に鎧もなく戦っていては袋叩きに合い、無駄な損害に繋がる。
私個人の感情や彼らから向けられる視線はともかく、国家において人は資源だ。小国である六櫻の国には無駄に使い捨てることのできる余裕はないため、撤退することは良い、間違いではない。
だが―――果たして、この馬廻衆の実力をどの程度と見積もって良いのか。
「混乱を助長させるために、あの中にいるであろう武将に私の顔を見せておきたい。しかし、削りすぎても意味がないし、私たちが傷を負う事も成果に対して利益が見合わない」
「アンタの足じゃそもそも追いつけないだろ」
「それも問題ですね」
名前も知らない女兵がいう事は事実だ。きっとあれは本当の意味での馬廻衆である。私の傍に控えている者共とは違い、きちんと将に付き従い、死ぬ覚悟のある者共だ。
馬廻衆という名の割には、馬に乗っているものは見えない。砦のような拠点がなければ馬を維持することが難しいのと、この山道では牛歩の進みを多少楽にする程度でしか使えないためだろう。だが、駆ける速度は成程、私が痛みを無視して全力で走ったとしても届かない。
「視線をこちらに向けさえすればいい。私の事を認識すれば、それで良いのです」
遠く左の方から悲鳴が聞こえた。兵糧が密集しているのはあのあたりだった筈だ。きっと、それを守ろうとしたものが死んだのだろう。
少量の兵糧を焼き、持ち逃げさせた後は六櫻の国が残ったものを接収する。最期まで残り守ろうとしたものはきっと、即座にその首を絶たれた。
髪が焼ける臭い、皮膚が焼ける匂い。一番臭いのはきっと、腹や脳が焼ける時のそれだ。命を大地にぶちまけた死体では、どのように焼かれるかなど選べない。
冷静に思考をまわしながらも、吐き気のする感想が浮かぶ。地面に転がって私を睨み付ける、空虚な瞳が忌々しかった。
「ならば弓を放ちましょうぞ」
「………中央付近の兵を撃ち抜けば、否が応でも矢に警戒が行われるかと。夕影様のように一騎当千の猛者でもなければ、戦場での弓での狙撃は脅威です」
逡巡するのは一瞬だけ。
既に私たちの、というよりも私の足は止まっている。追いかけたところで全力で逃げるこの時代の武士の背には届かない。
このまま悠長に考えていては視界からすら外れてしまうだろう。ならば、決断は一つだった。
「誰があの集団の中枢近くに矢を打ち込めますか」
私がそう問いかければ、夕影も含めて武士全員の視線が向いたのは、あの小鳥のように五月蠅い女兵であった。
「お前が?」
「弓の腕前、特に精密性においては六櫻の国に於いても上位の実力者です」
「………華樂様にだって、褒められるくらいだったんだ。次の戦には、連れてってくれるって。アンタのせいで、私は………」
華樂と共に戦う事が、出来なくなった、と。
きっとそんなことを言おうとしたのだろう。だが、心の底からどうでもよかった。女兵の言葉を遮って、命じる。
「今、この場で。出来るかどうかです、やるかやらないかです。撃ちなさい、最も華美な鎧を纏ったものの、その隣にいるものを」
私の隻眼ではもう、少しの色合いしか判別は出来ない。
傷を負った私の視力は正直に言えば、傷を負う前よりもかなり低下している。弓で狙いを付けることも出来はしないほどに。
「てめぇ………!!」
「古森」
私に掴みかかろうとした女兵の腕を、名前を呼びつつ夕影が抑える。
そしてもう片方の手で、逃げ行く一団を指した。
「無能を連れてきた覚えはありません。姫様を守れるだけの実力はあると、そう判断してこの場に貴女を連れてきました。出来ますね?」
「―――糞、分かったよ!!」
女兵………古森がつい先程、鏑矢を撃ち放った弓を取り出す。
大きさはそこまでではない。一般的な和弓と言っていいだろう。緩みなく張られた弦も私が知るのと同じだ。
矢筒から一本の矢を取り出すと、古森が深く、とても深く息を吸った。肺が膨らみ、あまり成長しているとは言い難い胸が際立つ―――いや。或いは、削っているのかもしれない。弓を討つ際に、邪魔にならないように。
弓を構えると、私を睨んでばかりいた古森の視線がすっと、猛禽のように鋭く、矢の向かうべき場所へと定まった。
「………」
直前までの激情が嘘のように静かに、彼女の手から矢が放たれる。
空気を裂く音と共に、真っ直ぐに煙と炎に塗れた夜を縫うその矢は、走り続ける一団の人の隙間をすら通り抜けて、見事に華美な鎧を着た兵の横にいた男の頭蓋を撃ち抜く。
この距離では音すら聞こえない。だが、斃れたのは見えた。そして一団が止まり、視線がこちらに向けられるのも分かった。
「よくやりました」
そう言うと、私は前へと歩く。一団の方へと進んでいく。
後ろを夕影が追従し、更にその少し後ろを箒と涙助、そして古森が追う。
「お、まえ」
―――視線が交わる。
一団の中でも特に若い、男の兵がいた。華美な鎧を纏い、その腰に佩いている鞘には、須璃家の家紋の刺繍が施された布が巻き付けられていた。
あれだ。あれが、若と呼ばれた男。代替わりを迎えた須璃の国の幸運な侵略者。
「くだらない」
嘲るような笑みを浮かべると、私は踵を返す。これでいい、この方ずっと惨めだろう?
すぐに表情を消すと、隻腕を振って夕影たちに合図をする。当然、撤退だ。既に本隊は仕事を果たした頃だろう。
敵に傷を与えて逃がし、兵糧を奪う。あとは弱った連中を後ろから追い立て、村々から略奪を行いながら国盗りまで一気に行くだけである。
「―――ッ!!!」
背後から何か叫ぶ声が聞こえた。無価値な叫びだと思った。
意に介す事もなく、私はそれを背に未だ強く火の手が上がる闇の中へと、消えていった。




