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戦火、奇襲


普段の濃い紅色の鎧を脱ぎ、静音性の高い黒塗りの革鎧を纏った六櫻勢の兵士が、足音を消しながら移動する。

総勢で十五万にも及ぶ軍勢が集まったという関ケ原の戦いに比べれば、現在の六櫻の国の千を超えるかどうかという兵数は少ないと感じるかもしれない。

だが、千人が集まり、一つの目的のために行動をするというのは非常に難しいのだ。ましてや姿を隠すなどとは、余程の練度がなければ成しえない。

………本当に、質だけは良いらしい。

一糸乱れぬ動きとはこのことだろうか、現代の軍隊にも通じる規律正しい行動によって、発生する音を極限まで減らした六櫻の国の軍勢は、とうとう須璃の国の本陣が目視できる距離にまで到達していた。

夜の闇の中に煌々と炊かれた篝火が森を照らすものの、樹々の隙間にまでその揺らぐ光が到達することは無い。

闇は獣の如く、影となって光を食い荒らす―――その中で、黒塗りの鎧は完全に人の気配と見目を隠していた。


「全軍、既に待機出来ていると。後は私たち少数の突撃部隊がさらに本陣に近づき、急襲を行うだけです」

「そうですか。では進みなさい。くれぐれも、こちらが奇襲を掛ける前に見つかる事の無い様に」


そう言いながら、私は黒く染めた薄布を頭の上から被った。

白から桃へと変わる不思議な色合いのこの髪は、夜の中でもよく目立つ。鍛え上げられた武士や忍びは夜目も聞くようなので、その時が来るまでは闇に紛れることが出来るように、目立つ髪だけでも隠しておく必要があるのだ。

着物などに関してはある程度妥協している。戦場のど真ん中で着替える方が正気ではないだろう。

どうせ私は、突撃部隊が先行した後に囮としてこの身体を晒すのだから、戦火が広がる直前までは身を隠し、戦が始まった瞬間に身体を晒す方が効率的である。


「あの毒姫にだけは言われたくないな」

「足も手も眼もない小娘が、何をしに来たんだ」

「囮だそうだ。まあ、夕影がいるのだ、死ぬことは無いだろうが」

「………死んでは困る。せめて華樂様の血だけは残してもらわなければ」


ひそひそと聞こえる声に対して、視線を向ける。感情が揺れ動くことなどないが、無用な小言で奇襲が失敗したらどう責任を取るつもりなのだろうか。

扇子を首元に当てて数度叩いて見せれば、こちらを見ていた彼らの視線が静かに逸らされる。


「さて」


余計な声も止んだところで、最後に私は私の周囲、最も近い場所に位置している数人の兵を見る。

夕影が選んだ、私の護衛。馬廻衆というやつではあるのだろうが、その人数は僅かに三人。夕影を含めてすら四人という少なさであった。

その中には先程斥候として活躍した、鼻から横一文字に深い傷跡の奔った女武者もいる。私に視線を向けることもなく、気配を読むかのように目を細めて夜闇を見つめていた。

別の護衛もまた、性別は女であるらしい。だが、傷のある女武者とは違い随分と年若いように見え、そしてはっきりとわかる程度に私に向けて敵意を込めた視線を向けていた。

きっと華樂に恩のあるものなのだろう。実にどうでもいい。

残った一人は男であった。この世界の平均身長からしてみても随分と背の高いその男は、黒い長槍を手にしたまま戦の火蓋が切って落とされるのをじつと待っているようであった。

職人気質とでもいうのだろうか。その職人というのは、戦争屋ではあるのだが。

つまりは、この男はきっと戦えるのなら何でも良いという質なのだろうと、そう思った。


「………まともなものが、私の護衛に付くはずもなし、か」


華樂自身に命じられた夕影以外は、性格や主義志向に年齢等、他の将からして扱いにくい人間か、或いは私を利用してでも己の名を挙げたい、そんなものしかいないのだろう。

手を組んで利になるのであればそれでも良い。害になるのであればさっさと追い出す。

そうしようと考えて、扇子を持った左腕を前へと向けた。

少数精鋭の突撃部隊。それと囮の私。総勢にして五十人にも達しない部隊は、須璃の国の本陣のすぐ傍にまで迫っていた。ここまでくれば篝火の揺らぎで互いの顔を捉えることも出来る。

須璃の国側の斥候に見つかっていないのは偏に女武者から得られた情報から監視の目が緩い場所に身を隠していることと、鬱蒼と茂った草木によるカモフラージュの賜物だろう。

だが、もう隠れる必要もないのだ。


「―――突撃。奴らを地獄の中に呑み込んでしまえ」


奇襲であるが故に、合戦の始まりのように、鬨の声を上げるなんてことは無い。

息を殺したまま、けれど息を深く吸い込んだ兵士共が一気に駆け出した。


「速いですね」


だというのに足音は極限まで小さいのだから、この世界の武士という連中は凄まじい。

これでいて決して隠密に特化した訓練を積んでいる訳でもない。

まあ、隣の夕影はそれ以上に早く、静かに事を起こせるのだろうが。


「いち、に………」


脳内で時間を刻む。

適当ではあるが脳裏に浮かべた時計の秒針が一周したところで、私も義足を動かした。


「囮として出ます。続きなさい」


言いながら駆けだす。

少しだけ義足が軋み、それと同時に激痛が結合部に伝わる。ほんの少しだけ顔を顰めて、しかしすぐに消した。

駆けだしてすぐに本陣の方から悲鳴が上がった。すぐに風に乗ってくるのは血の匂いだ。


「遅っそ」


背後から飛んでくる嘲りの声は、馬廻衆の一人、年若い女兵士だろう。当然の如く、その声は無視した。

夕影が一瞬だけ彼女に対して視線を向けたようだが、果たしてそのおかげか、それ以降声が響くことは無かった。


「敵襲、敵襲!!六櫻勢だ!!」

「奴らの側から攻め込むだと!?ええい、若を守れ、迎撃だ!!」

「敵は鎧を纏っていない!!矢を放て、削り殺せ―――ガっ!!?」


走る。混沌の中を。


「後退だ!!一旦下がり体勢を整える!!奴らの数は少ない、攻め直せばこちらが有利だ!!」

「誰でもいい、こちらに兵をまわせ!!抑えるぞ!」


声が響く。如何に精強な六櫻の兵とは言え、多人数に囲まれればそのうちにすり潰されるだろう。戦いとは数であるという真理は、そう簡単には覆らない。

目の前で、突撃部隊の兵の一人が、横から飛んできた矢に運悪く当たり、動きが鈍る。その瞬間を見逃さないと言わんばかりに槍が複数方向から飛んできて、その兵士は串刺しになって殺された。

どうでもいい。私は、被っていた黒い布を引っ張り、そして放り投げる。

焚かれている篝火に触れて、その薄い布はすぐに燃えて散った。


「あれは」

「馬鹿な、死んだはずでは!!!」


鮮やかな橙の炎の中で、髪が揺れる。炎の色に染まらない、白から桃へと変わる、不思議な色合いの髪が。

装飾が施された狐の半面はそれとは逆に、炎の橙色を映しこむ。

そんな私の姿を見て、須璃の国の兵士がその動きを一瞬、止めた。


「殺せ」


刹那の間に、そう言葉を零す。

私の声を拾った夕影と、槍を持った長身の男がそれぞれ左右から飛び出した。


「おおおおおおお!!!」


口を開けば、随分と五月蠅いものだと。遠い思考の中で、そんなことを持った。

長身の槍兵は嵐のように身体を振り回し、その剛力を以て須璃の国の兵を吹き飛ばす。逆に夕影は一切音もなく、静かに出会うものすべてを一刀のもとに切り捨てていた。

当然、一騎当千で謳われる夕影の方がその技の練度も殺しの速度も、殺した人数も上回っているが、槍兵も腕は確かなようで、傷を負うこともなく敵兵を屠っている。


涙助(ナダスケ)、左の方を。私は中央と右を片付けます」

「あい分かった」

(ホウキ)。貴女は姫様の周囲を固めなさい」

「………了解しました」


槍兵の男は涙助というらしい。そしてこの女武者は箒か。

残った一人に指示を出す前に、夕影と涙助は数を増す須璃の国の兵を露払いしに向かった。

私からも霧墨からも、殺しすぎるなとは言ってある。逃げ出す人が少なくなれば、逃がしたうえでの兵糧攻めをするという趣旨から外れてしまうためだ。

私は背後を振り返ると、緊張した様子で周囲を見渡している年若い女兵に、命令を出した。


「奇襲は成功です。鏑矢を放ちなさい。兵糧を燃やし、敵を撤退させます」

「は、なんで私が!?」

「お前以外に暇なものがいますか」

「アンタがやればいいだろ!!」

「片腕で弓が撃てるものですか。さっさとしなさい、今の貴女の存在価値はそれだけです」


良い終えた直後、死体の中に隠れ潜んでいた敵兵が飛び出し、私に襲い掛かろうとする。

しかし、箒がその凶刃を受け止め、返す刃で切り裂いた。

飛び散った血が私の着物を濡らす。頬にまで飛び散った付いた血を、隻腕で拭い取った。


「更に先行します。箒、貴女は引き続き私の護衛を」

「………は」

「お前、さっさとしなさい」


そう言い捨てると、義足に力を込めた。

囮としての役割は成程、確かに私にはあるらしい。ならば混乱を更に助長させるために、須璃の国の芯となるものの元まで行ってしまおう。

若、と呼ばれていたのは聞こえていた。きっと、その男の………ああいや、見た訳ではないから確定ではないが、きっと、男だろう。

そいつの元に顔を出せば、囮としての効果はさらに強くなる。


「あー!!こいつ本当に気に入らない!!」


その言葉と共に、背後から鏑矢の甲高い音が響く。

すぐに、霧墨が率いる本隊がやってくるだろう。それまでに、私は私の仕事を進めるとしよう。

足元からやってくる痛みと寒気を無視しながら、私は血風渦巻く戦場の中を走っていく。





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