出陣
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「進め」
馬上の私がそう声をかける。
それに伴い、私を取り巻く数人から更に大きな号令がかかり、武装した一団が街を出発する。
総勢は千人弱、小国が外の国に攻め入るにしては少ないだろうか。勿論、国の中の全ての兵を前線に投入するようなことはあり得ないにしても、攻める方は守る方よりも難しいという事実がある以上、どうしても攻城の際には軍勢が膨れ上がるものだ。
………六櫻の国には実質的に足軽がいない。農民と武士が明確に区別されているためだ。
農民は田畑を耕し年貢を納めることを第一に、そして武士たちは国を守る兵としての役割を重要なものとしてこの国をまわしている。
六櫻の国の兵が他国に比べて練度が高いのはそう言うところもあるのだろう。
古来より戦国時代には農民を徴兵して戦線に回すことが多かったが、かといってすべての農民を兵に変えていたわけではないのだ。そもそもそんなことをすれば国が亡びる。
年貢を納める事で兵役を免除するものと、兵士として働くことで年貢を免除するもの、そのどちらもが居たのだ。
だが、そうすることで兵士の練度は上がりきる事がない。戦が終われば農奴に戻る、そして次の戦に必ずしも参加するわけではない―――農民を兵として使うというのは、質を求める国主からしてみれば厭いたいことなのだろう。
「そうは言っても、大多数の国主は農民を兵士とする………結局のところ、数は力ですからね」
誰にも聞こえない声でそんな独り言を発する。
これから戦う須璃の国もまた、その兵の半数弱は農民であるらしい。
「毒姫。物資はきちんと集めたようだな。随分と、糞みたいな方法だが」
馬を操って私の隣にやってきた霧墨に視線を向ける。
私を貶すためにわざわざ此処までやってきたのならご苦労な事だ。
「他に方法はありません。長期的に見れば物資を得る方法はありますが、直近の戦のために用立てる物資はあるところから奪うしかない。今回は民だったというだけの事です。無駄話をしていないで備えなさい」
「………ッチ」
舌打ちをした霧墨が国境へと向かう一団の前歩へと上がっていく。
ちなみに私は千人が進むこの一団の最後尾だ。仮にも大将である、先頭を走ることはまずない。
だからと言って安心が出来るわけではないが。町民や私を取り囲む兵からは身を切るような鋭い視線が向けられている。
華樂の血がなければ、広間で野垂れ死んだあの青年のように、私も無様に殺されていることだろう。
「本来、戦の出立となれば民から盛大に見送られるものですが」
「は、いりませんよ。お互いに顔など見たくもないでしょうに」
「………民との信頼を築くのも大事かと」
少し後ろで、やはり馬に乗る夕影がそう囁くが、意図的に無視をする。
信頼関係は一人の人間として認められてから生まれるものだ。この国の中で尊厳ある人として扱われていない私との間にできる筈がない。
それよりも、私や夕影が乗っている馬について思考が向かった。
前に乗った時に、馬の背に乗る事そのものに苦労したものだが、それは私の背が低いからという理由だけではないのだ。
………馬の体格が非常に優れているのである。かといってサラブレッドのように細いガラスの脚という訳ではなく、険しい山を走破できるような頑丈な足回りをしている。
全体的に巨躯で頑丈な馬、それがこの天唯で普段使いされている馬であるらしい。
そう考えれば人々の体格も現代に近い所があり、こればかりは島と大陸という条件の差なのかもしれないと、そんなことを考えた。
「随分と冷えてきましたね」
一団が山の中に入り、馬が土を蹴る音と鎧がすれる音だけが響く。
秋の季節も大体中ほどとなり、残暑よりも冬の気配や匂いの方が濃くなりつつある。山の中の樹々を彩る紅葉も、その深さを増しているのが分かった。
一の砦までは凡そ三日。武士や女中を動員して搔き集めた物資は、霧墨の要望を満たせる程度には集められている。
眼を静かに閉じて、肺の中に息を取り込んだ。
これよりは戦場となる。血みどろの戦に塗れた世界となる。覚悟など、とうに出来ている。ゆっくりと、隻眼を開いた。
***
「もう行かれるのか?」
「ああ。私は未だ旅を続けている風来坊でね。珍しいものを見たからここに立ち寄っただけで、基本的には根無し草なのさ」
「………我らの食客となってくれれば良いのだが、そうとも行かんのだろうな」
「いずれ運命が交われば、そう言う未来もあるだろうさ。さて、それでは」
白い着物を揺らし、特徴的な角傘を頭に被った女性が立ち上がる。
手にした杯に並々と注がれた酒を一気に飲み干すと、それを放って投げる。
「世話になったな」
「こちらこそ。貴女には山賊の退治など色々と手伝ってもらった」
「ふふ、なに大したことではないさ―――頑張りたまえ、須璃の坊や」
刀を腰に佩き、チリンと音を立てて女性が出ていく。
本陣を警護している護衛であり側近であり馬廻衆が、深々と礼をして彼女を見送った。
姿が見えなくなってから………ようやく俺は溜息を吐く。
「引き止めは失敗か。彼女が配下に収まってくれればどれほど心強いものか」
「若様、俺達だって負けませんよ」
「知っているさ。だが、六櫻攻めに彼女の力があれば百人力………いや、千人力だったのは違いない」
須璃の国には海がない。
鉱物資源は豊富なものの、塩の入手は岩塩に限り、山奥の盆地という立地は守りには強いものの、農作物の収穫量は乏しい。
せめて海路があったなら………塩が安定して入手できたのなら。
六櫻の国には、須璃の国が欲しいものが集まっており、六櫻攻めの達成はまさに悲願なのであった。
「だが、六櫻華樂………奴がいる限り、あの国を崩すことは出来なかった」
砦が、兵が、人が、情報が。その全てを、華樂は奪い去る。
先代から何度も六櫻に攻め入り、その悉くが無意味に終わった。六櫻華樂という圧倒的な才を持つ将が、須璃の国の勢力を近寄らせない。あまりにも長い間、我らの国はその男一人に辛酸をなめさせられた。
………弱点は、華樂の娘だけだった。だがそれも、一騎当千の兵がその守護を務め、刺客がその役目を果たしたことは無い。
「しかし奴は死んだ。そして、神瀬の国から力を借りることが出来た」
「六櫻の姫も殺せたんだ、これでようやっと、六櫻の国を崩せた………若様、あんたの覚悟の成果だ」
「まだ攻め滅ぼせたわけじゃない。気は抜くなよ」
だが、と。少し頬を弛めて続ける。
「もう一息の辛抱だ。今は英気を養うために騒げ。これより大事な戦となるのだからな。だが流石に羽目を外しすぎるなよ」
「分かってますよ、若様。若様も、しっかり休んでくだせぇ」
「ああ。もう行け」
馬廻衆が本陣を出て行ったところで、ようやく気を緩める。
かなり無理な代替わりをして今回の戦を推し進め、さらに都合よく神瀬の国からの援助を受けられた。
これは間違いなく幸運と言えるだろう。この好機を逃すことは出来ない。
酒を一杯呷る。
「さあ………もう一息と行こう」
須璃の国の現国主―――須璃春昭。若き国主の元に、毒姫が迫ろうとしていた。




