手中に兵は無し
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「華燐です。入ります」
左手で襖を開き、私は執務室の中に足を踏み入れる。刀を左側に置き、袴を身に纏った男たちが私を見る目は様々であった。
………驚きの目で見るもの。侮蔑の目で見るもの。無感情であるもの、怒りをもっているもの。
ああ、全てがどうでもいい。彼らの視線の中を突っ切って私は上座、上段の間に腰を降ろす。
「須璃の国への対策でしたか」
「その前に姫様。此度の戦で幾人か討ち死にした兵が出ております。今までの須璃の国との戦いでは有り得ないものでした」
恐らくは私が傷を負う前に連れていた兵士であろう。
六櫻の国の兵と須璃の国の兵との間には隔絶ともいえるほどの力量差があるため、今までの戦いでは被害を出すこと自体が無かったのだという。
力量差があれど本来ならば大人数が戦闘を行う戦では本来、その事実は異常な事と思うが、刀と槍、そして弓が戦いの主役である現段階の戦争では、圧倒的と呼べるほどに力量差があれば殆ど無傷で敵を蹂躙することも出来るのだろう。特に、六櫻の国には一騎当千の兵もいる。
しかし、今回須璃の国の中に紛れていたのは神瀬の国の兵だ。彼らの力量は六櫻の国の兵たちにも劣らない。そしてそのうえで数がいる。
―――多方面の戦に派兵できるだけの兵力を、神瀬の国は保持している。
「敵兵の中に別の勢力が混じっていたためですね。此度の戦より、私たちを潰そうと迫り来る国々の裏側に潜んでいるのは土織家となっています。彼の魔王から私たちは目の敵にされている訳です」
「我が部下は魔王の手勢にやられたと?」
「ええ」
私に対して鋭い視線を向けるのは、あの戦場で私に兵を貸した武士だった。
彼は兵士の階級としては侍大将、即ち部下の兵を指揮する大隊の長のような存在である。
「その証拠は?」
「彼らが死んだことが一番の証拠でしょう。本来須璃の国の兵が相手なら、私を無傷で夕影の元まで送り届けていた筈ですよ」
「………ふん」
納得は出来ないが、さりとて否定も出来ない。そんな表情だろうか。
私は無感情に視線を向けると、さらに言葉を重ねる。
「私は手足を切り落とされた現場で彼ら自身の台詞も聞いています―――”神瀬の国を敵に回すとはこう言うことだ”と」
記憶にこびり付くのはその後に吐き捨てられた言葉だが、それについては意識を意図的に向かせずに家臣たちを見る。
色も温度もない瞳で。
「夕影も魔王の尖兵と交戦しています。そうですね、夕影」
「はい。姫様の言う通り、私はあの一の砦において神瀬の国の兵、それも一騎当千を名乗るに相応しい兵に足止めを受けました」
どうせ彼らは私の言葉など信じない。だから私の言葉と共に、夕影から発せられる現状の報告を彼らに付きつける現実とすることにした。
使えるものは何でも使う。使えないものは使えるように加工し、それでもダメならさっさと廃棄する。これが、私がこの世界でやるべきことだ。
悩んでいる暇などないし、苦悩も後悔も終わった後ですればいい。憎しみの炎で駆動するこの身体を動かし続けるには、歩き続けるしかないのだ。
「では間違いないという事か………なんということだ」
「魔王の名で知られる神瀬の国、土織家はこの天唯という国家が存在する大陸においても、並ぶものの少ない武力を持つ国だ。彼らの征服対象となれば如何に精強な兵を揃える六櫻の国とはいえ、無事では済まない」
「土織釈蛇が武威を以て我らを責めるというのであれば、糞―――華樂様が存命であったなら」
好き勝手に会話を始める家臣団に対して、私は大きく舌打ちを発する。
さらに手にした扇子を思いっきり、畳に叩きつけて、彼らの視線をこちらに強制的に向けさせた。
「父は死にました。六櫻の国に攻め入り、武力を幇助する土織家の手によって。いつまでも居ないものに縋らないでください
「………姫様、それは流石に言い過ぎです」
「何が言い過ぎなのですか。そもそも今回の戦、確かに背後に土織家の影があったのは事実ですが、私の要請に従い兵の数を揃えてゆけばこのような事態にはなりませんでした」
目を細めて家臣たちを睨む。
「国主に従わない怠慢も今回の敗北の一端でしょう」
「敗北などと、我らは須璃の国に負けた訳ではない!」
「いいえ。彼らは優秀です。武力差を神瀬の国からの派兵を受け入れることで解決し、そして六櫻の国の心臓たる私を狙い撃ちにし、多少の兵の犠牲を出しつつも本隊は無傷のまま後退した。此度の戦において六櫻の国は何一つとして須璃の国に優ってはいません」
「―――姫様。家臣として言わせていただきますが、それは貴女の人望の無さが故でしょう。華樂様であれば我らは付き従い、その命令通りに須璃の国だろうと神瀬の国だろうとうち滅ぼして見せました」
「………はぁ」
大きく溜息を吐いた。そして私に強い視線を向ける家臣の一人に問いかけた。
「貴方の名は?」
「侍大将、田村正家」
「そうですか。では田村―――人望というのはどちらかが一方的に相手を見下している状況からは絶対に発生しないのですよ。ですから貴方達と私の間に、そのようなものは生まれる筈が無い」
だって、と。私は口の端を歪ませて言葉を続けた。
「貴方達、私の事を下に見ているでしょう。馬鹿にして嘲って、無能だという烙印を押しているでしょう?私が目覚めた時からずっと、今も」
視線の色で、仕草で簡単に分かる。
「永遠に貴方達と私は分かり合えない。人望も信頼も、信用すら貴方達の間に結ばれることは無い」
「………我ら侍は信によって忠誠を誓い、成り立つものです。それを国主自らが無いなどと」
「無いものは無いのですよ。そもそも、貴方達はもう一つ忠義を向ける対象を持っているでしょう?」
私は自らの唇を噛み切ると、そこから溢れだした血液を指に当てる。
べたりと左手の指に血液が付着して、そのまま私はそれを家臣たちへと向ける。
「華樂の血は私に流れている。私だけに、流れている。この血を絶やさぬようにすることこそが私の役目であり、貴方達が私を守る理由です。私の首が落ちればその瞬間に、華樂の血は絶える―――どういうことか、分かりますね?」
滴る血が畳へと落ちた。
家臣団から向けられる視線は敵意一色だ。当然である、私は自らの血統を盾に彼ら家臣団に無理やりに忠誠を誓わせているのだ。華樂を信奉する彼らからすれば、出来損ないの私に血を継ぐからというだけで顎で使われる訳で、いい気分になる筈が無い。
………だが暫くの間、一年程度はこのやり方で私の言うことを聞くだろう。こんなやり方でも私の配下となるほどに、彼らの華樂への忠義は本物だ。
そのうちに耐えきれないものが出て私を殺そうとするだろうが、それはまだ暫く先の事。今はこれでいい。
後はもう一つ、より良く支配するための方策を行う。
「私が死に絶え、この国を治めるべき血筋が絶える。そんな結末を迎えたくないのであれば、貴方達は私の指示に絶対服従をしなさい。私が動けと言えば動き、殺せと言えば殺し、死ねと言えばそこで死になさい」
「………言わせておけば小娘………貴様、我らを何だと!」
「ただの兵士でしょう?」
思いっきり口の端を歪ませて吐き捨てる。私ではなく私の血に忠誠を向ける彼らは、少なくとも私にとっては特別な存在などではなく、農村から雇い入れる使い捨ての足軽兵と変わりはないのだ。
「―――こ、の!!ふざけるな、貴様のような出涸らしに絶対服従などと―――」
「拒否すると?」
「当たり前だ!!」
そう言って刀を持って立ち上がったのは、先程から私に対して殺意とも呼べる視線を向けている田村であった。
私は彼を冷たく見やると、背後の夕影に命令を出す。
「田村を殺しなさい、夕影」
「………姫様」
「何をしているのですか?裏切り者です、殺しなさい」
「………なりません、姫様」
夕影が私の肩に手を置き、首を振る。触れられたことに鳥肌が立つ。ああ、本当に気持ちが悪い。
私はその手を振り払い、再度命じた。
「この男の首を撥ねなさい。これで命令の拒否は二度目ですよ、夕影。三度目は許しません」
「姫様―――!!そのやり方では!!」
「これ以外の方法がありますか?ないでしょう?………くっだらない。夕影、貴女の華樂への忠誠はその程度ですか。役に立たない牙だことで」
「………」
唇を噛む夕影から視線を外すと、私は刀を持ったまま私の方へと向かってくる田村を冷たく見つめる。
「では田村。お前に命じます。ここで腹を切って死になさい」
「貴様、あまり調子に乗るなよ!?華樂様の忘れ形見と言えど、やって良いことには限度がある!その性根、叩き直してやるわ………!!!」
夕影は刀に手を当てたまま動かない。田村という男は動きを止める事なく私に向かってくると、鞘に収まったままの刀で私の腹を強打し、そのまま襖の方へと吹き飛ばした。
騒々しい音とともに襖が壊れ、付近にいた女中たちが悲鳴を上げて逃げていく。
愚かな事だ。腹を強打して子宮が潰れたら二度と跡継ぎなど作れないというのに。いや、そもそもこの時代にそこまでの医療知識は無いのだろうか。
体を起こすと顔に生ぬるい温度を感じた。どうやら鼻血を出しているらしい。左手の袖でそれを拭うと表情を浮かべないまま田村に視線を向けた。
「無礼者め」
「―――ッ!!貴様、更に痛い目を見なければ分からないか、なんと愚鈍な姫か!!」
いよいよ田村が刀に手をあて、鞘から引き抜いた辺りでようやく夕影が私と田村の間に立つ。
「どけ、夕影!その小娘の性根を治さん限り、華樂様の作り上げたこの国は終わりだ!」
「………穏和な解決を。私が華樂様より受けた最後の命は、姫様を守れというものです。これ以上、姫様に対して攻撃をするのであれば私も刀を抜くしかない。………それは、したくありません」
「まだそんなことを言っているのですね、夕影―――貴方は、義務を果たさない。なのに私にだけは義務を果たせとは、随分と好き勝手なことを言う」
左手に壊れた襖の欠片を握る。武器とは程遠いが先端は鋭利になっており、私の柔肌程度なら貫通して重要な血管を傷つけるだろう。それを首に当てがうと、私は夕影に対して昏く笑いかけた。
「ならばこの首、さっさと落としても問題ないのでしょう?貴方が義務を果たさないのであれば、私が生き続ける理由もない」
そう言いながら、私は自らの首に欠片を差し込む。痛みが奔って柔肌から大量の血液が流れ始める。即座に夕影が私の手を掴み止めようとするが、夕影を義足で蹴り飛ばすと更に手に力を込めた。
ああ、この女はびくともしないな。義足で蹴り飛ばしたというのに衝撃を全て受け止めた。力を入れても夕影に掴まれている左手はそれ以上動くことは出来ない。
舌打ちをすると、眼前にある彼女を睨む。そして囁くように、呪う様に言葉を吐いた。
「役目を果たせ」
「………」
薄く目を開いた夕影の蒼い瞳が私の視線を受け止めた。返ってくる感情は、怒りと憐れみだろうか。
そして苦悩するように眉を顰めた後、ようやく夕影は私の手を離し、立ち上がる。そのまま、刀を抜き放った。
「………御意に。しかし姫様、このような手段、国主が取るべきものでは無い。これは貴女の恥そのものです」
そして、続く。
「貴女の罪でもある。背負う覚悟は御有りなのですね?」
「くどい。そしてくだらない。私の首が落ちる様を見たくないのであればさっさと私の命令に従いなさい」
「………田村殿。引いてください、私は華樂様と姫様の命により、姫様を脅かすものを殺さざるを得ない。例え味方であろうとも」
「正気か夕影!?」
「ええ。どうか、ここは穏便に―――」
「ならん!!」
夕影の説得は残念ながら空振りに終わったようだ。怒り心頭のまま刀を振りかぶる田村に対し、私は溜息を。そして夕影は謝罪の言葉を発した。
「貴様は六櫻の猛毒姫だ!!ここで」
「………御免」
剣筋が一瞬だけ煌いて、田村の首が畳の上に落ちる。そして、一拍遅れて頭を喪った首から血が噴き出した。
噴出する血は執務室の天井にまで到達し、血の雨を滴らせる。
………私の命令で命が一つ消えた。
私は眼を閉じて、その血の雨を受け止める。そして再び目を開いた。
「こうなりたくなければ、私の命令に従う事です」
痛む腹を無視し、ようやく止まった鼻血をさらに乱暴に拭ってから立ち上がる。
唸り声をあげる家臣団を無視して、私は執務室を後にした。




