勇者誕生
しばらくは配下達の育成とヒトの調査とで、魔族領とヒトの街を行き来する生活が続いた。
買った使役獣は、試しに幻術で使役獣とは分からなくした上で『ヒトとして振る舞え』と命じ、商売をやらせてみた。
商品は魔族領で採れた植物や鉱物。一応幾つかの店舗で売られているのを確認した物を用意している。
それでもヒトの領域では手に入り難い物な為か、偶に厄介事に発展する。面倒臭いが、そうなった時のヒト族の挙動は興味深く、なかなか良いデータが取れた。
下調べが一段落すると、魔王は侵攻を開始した。
境界線付近に暮らす魔族に加護を与え、強化すると共に魔王の指示に必ず従うようにする。
これは《名付け》とは別だ。《名付け》れば自我が芽生え、思考し、判断出来るようになるがそこまでが長く、導くのも大変だ。正直、既に手一杯なのだ。
なので簡易的な、細かく指示を出さなければいけないが、育てる手間もない加護にしたのだ。
これといって苦労する事も無く、境界線は西に動く。
元より魔族の性能はヒトのそれを大きく上回る。一人の魔族にヒトの精鋭が十数人がかりでようやく仕留めるのが常なのだ。
それでヒトが優位に立てるのは、魔族に協力とか作戦といった概念が無かったから。
どれ程優れた身体能力と強力な魔術があっても、無策にただ暴れるだけでは先を見据え工夫を凝らし物量で攻めるヒトには勝てない。
それは逆に言えば、そうした事を考え実行出来る指揮官が居れば状況は大きく変わるという事。
なので魔族側が圧倒的有利、勝利するのは当然と言えば当然なのだが……。
「ちょっと脆すぎだろう、ヒト族よ……」
そこはヒトの領域の端、魔族の領域に隣接する元王国。
一月も掛からず、あまりにもあっさりと占拠出来てしまった王宮で、魔王は呆然と呟いた。
勝利の余韻も目的を達成した充実感もなにもない。
ただただ、失望と(精神的な)疲労だけがあった。
これはさすがに想定外だ。
どれ程有利な条件が揃っているとはいえ、ヒトには他を圧倒する数の暴力という武器があり、学び、対策する知恵があり技術がある。
もっと善戦出来た筈なのに、この体たらくは何事か。
原因は呆れだものだった。
以前の下調べの際、魔王は各国の王宮・王城に盗聴・盗撮的な魔術を仕込みまくっていた。市井は紛れ込めるが、さすがにそうした所に紛れるのは難しかったので観察に留めたのだ。
その時に仕込んだ魔術は「王候貴族は理解不能」と結論を出した後は放置していたのだが、その仕掛けが拾った諸事情がこちら。
魔王によって滅ぼされた国の王候貴族達は交流のあった国に逃げ込んでいたのだが、その先である騎士が糾弾されていた。
罪状は「妄言によって戦況に混乱をもたらし、敗退に追い込んだ」というもの。
どういう事かと聞いてみると、その騎士は滅ぼした国でそれなりの地位にあった騎士団長らしい。
彼は魔族の侵攻に、早い段階で異変を感じ上層部に警告を発していた。
これまでの魔族の攻撃は散発的でワンパターンだった、けれど最近の魔族の動きには一貫した意思を感じる、指揮官と呼ぶに値する個体が現れた可能性がある、と。
大正解である。
けれど国はその訴えを退けた。魔族は能力こそ高いものの知恵は無い。いや、魔族に限らず知恵はヒトにのみ与えられた特権である。魔族ごときに知恵があるなど妄言も甚だしい、と。
バカである。
魔王は呆れると共に納得した。あの手応えの無さは、魔族を侮りきっていたが故だったのか。やっぱり王侯貴族は理解不能だ。
とりあえず件の騎士さんは気の毒過ぎるのでこっそり救出。今後は賢く生きて。
しかし頭の痛い話だ。訂正したい気持ちになるが、そんな事の為に名乗り出るのもアホらしい。
魔王は悩み、結論を下した。
よし、放置しよう。
付き合ってられるか。魔王はヒト側の事情はスルーして侵攻を進めた。配下達の育成と大地の修復優先で。
その片手間でも、ヒトの生息圏はジリジリと狭まって行った。
ちなみに大地の修復とは、ヒトの開発によって機能不全に陥ったこの大陸のツボ的な場所の修復だ。
これは可能だったら、と言われたもので必須ではないが、せっかくなのでやっておく。
そんな風にしてのんびりと侵攻を続けて数年経った頃。
遠い地で、勇者が産まれたのを感知した。
まぁ、何もしないんだけど。最終目的は勇者から勇者の力を奪う事。そっちは神が何か仕掛けている筈で魔王の出番は無い。
魔王の仕事はヒトの集合無意識にストレスを掛けて勇者の誕生を促す事。そして神が勇者から力を取り上げる前に倒されないよう時間を稼ぐ事。
魔王はその具体的な計画は知らされていない。『私』は腹芸が苦手な質で、下手に知っていると勇者に勘付かれて計画に支障を出しそうな気がしたからだ。
もう一つ挙げるなら、『勇者の能力を警戒して』だ。
なぜか魔王は勇者の誕生を察知でき、その居場所もなんとなく分かった。勇者にも同じような機能が無いとも限らない。
なので勇者には不干渉だ。
そして変わり無くチマチマと侵攻を続ける事十五年。
勇者が動いた。産まれてからずっとほとんど居場所を変えなかった勇者が大きく移動した。
行き先は王都。どうやら国の中枢が勇者に気付き呼び出したらしい。
勇者は数ヶ月ほど王都に留まり、修業なのかあちこちへ移動を繰り返し、その後こちらへ――前線へとやって来た。
さぁ、いよいよご対面だ。勇者はどんな子かな?
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
巨大な獣が前足を振るう。その一薙ぎで四人の騎士が吹き飛ばされた。
金属製の鎧で全身を覆い、大きな盾を装備した大柄な騎士が紙切れのように宙を舞う様に、後衛の騎士達は凍り付いた。
元より相手は人間より遥かに強靭な魔族。作戦を練り、事前に準備をしてようやくまともに戦えるのに、移動中に不意打ちを食らった。彼等の敗北――死は確定したと言っていいだろう。
悍ましい獣は、前衛を薙ぎ払うと後衛の魔法を使う騎士へと飛び掛かった。
死。
それが理解する間も覚悟する間も無く彼等を呑み込もうとしていた。
だが。
ゴウ。
凄まじい力の奔流が、騎士達の頭上を越えて魔族に襲い掛かった。
耳障りな雄叫びを上げ、吹き飛び転がる魔族。
茫然とする騎士の横を一人の少年が駆け抜ける。同時に後ろから複数の足音が。
「ご無事ですか?」
「あ……」
先程駆け抜けた少年、今声を掛けた魔導師風の男、そして真っ先に重傷者の元へ向かった少女。
これ程近くで相対するのは初めてだが、騎士は彼等の顔を知っていた。
神託によって選ばれた勇者に聖女。そして彼等のお供に選ばれた精鋭達。
助かった。
安堵のあまり泣きそうになる。
だが安心するのは早かったらしい。
直後、凄まじいプレッシャーがその場を支配した。
訓練された騎士が集団でどうにか斃せるレベルの魔族も、勇者ルイスには最早単独で無理なく屠れる相手。
周りを巻き込まないよう引き離した後、着実にダメージを与え、落ち着いて止めを刺そうとした時だった。
ぞわり、と総毛立つ。ルイスの中の何かが知らせる。
来る。
ガキン、と魔族の首へ振り降ろした剣が弾かれた。確かに何も無かった場所に、それは現れた。
身の丈は大柄な人間ほどか。シルエットこそ人間のそれと近いが、頭部は角を生やした動物の骸骨のよう。
本能が告げる。
あれが魔王だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
あっぶねー!!
ギリギリで割り込みに成功した魔王は平静を装いながらも内心は冷や汗だらだらだった。後一瞬遅ければ、この子の命は無かった。
……いやまぁ、戦争の駒として配置した子だけど。つい助けちゃった、気付かぬうちに情が移ってたかな。
まぁいいや、今は目の前の事に集中だ。
勇者は魔王の出現に目を瞠り、即攻撃態勢に入った。
連撃。凄まじい速度で剣が振られる。って君ヒトだよね? 構造的にそんな速度や動き出せる筈ないんだけど???
想像より突き抜けたチートっぷりに魔王が呆れる中、勇者の仲間達が慌てた。
「ルイス様!?」
「待て! そいつは普通じゃない! 一旦引け!!」
倒れた騎士達を介抱しながら勇者を引き留めようとする仲間達。
残念ながらその言葉は勇者には届いていない。
勇者は今、一つの事で占められている。
『帰りたい』
相対する魔王はその特性もあって、勇者の心情を正確に感じ取っていた。
『帰りたい』
『早く帰りたい』
『こいつを倒せば』
『こいつさえ倒せば』
望郷の念か、想い人でもいるのか。切ないほどに、勇者は『帰りたい』と願っていた。
どうやらこの場に居る事自体が不本意なようだ。強く帰りたがっていて、帰る為の条件である魔王を目の前に冷静さを欠いている。
……持て囃されて上流階級に染まったなんて話もあったが、この様子ではそれはないな。
可哀そうに。
どうやら勇者は一日も早く帰りたい一心で戦っているらしい。けれど盗聴した上層部の話を聞く限り、勇者の帰る場所は既に無い。
故郷そのものは今もある。けれど、こんな戦力を持った個人が野に放される訳が無いのだ。
話には聞いていたが、こうして相手をすれば嫌でも分かる。勇者の強さは異常だ。ぶっちゃけ神でも倒せるレベル。あの神イチ個人になんて能力付けやがった。
ともかく、こんな異常な能力を持った個人を、国が放置する訳がない。今、それなりに自由に動けるの魔王が居るから。
魔王を斃させるまでの、束の間の自由。
……色んな意味で負けてやるわけにはいかないな。
幸い現時点では魔王の方が強い。徐々に追い詰め、頃合いを見て派手に吹っ飛ばした。
「……ふむ」
魔王は顎に手をやり、倒れた勇者が起き上がろうとするのをのんびりと眺めた。
「弱いな」
「なんだとっ……!?」
「しゃべった!??」
え、喋れないと思われてたの? あ~、そういや普通の魔族は会話しないんだっけ。
「貴様は勇者の筈だろう? なんだその脆さは」
嘘半分本音半分。今のままでも化け物じみてるけど、勇者の能力を使い熟せていないのも本当だ。
「…………!」
勇者くん、めっちゃ悔しそうな顔で魔王を睨み付けている。周りのお仲間さんも愕然、信じたくないって顔だ。けれど実際に劣勢だから否定出来ない、ってところか。
「つまらぬ。精進せよ、次に相見える時までに腕を上げておけ」
煽るだけ煽り、傷付いた魔族を連れて転移する。
魔王が消えた瞬間、その場は騒然となった。
魔王は自陣の安全な場所に転移すると手早く負傷した魔族の治療をした。
治療を終え、配下達に指示を出して魔王は一息つく。
あんな対面になるとはなぁ。
溜め息をつく。先程の遭遇は想定外の事だった。
変わらず侵攻を進めつつ、魔王vs勇者イベントの準備をしていた所である魔族の危機を察知し、あの流れとなったのだ。マスク先に用意しといて良かった。
これは後に判明した事だが、ヒト陣営に取り付けた盗聴器からの話を拾った所、あの魔族と騎士達の遭遇はほぼ事故だった、という事が分かった。
なんでも、あの騎士達迷子だったそうな。
うっかり巡回ルートを外れて、しかもなかなかそれに気付かず魔王陣営に迷い込み、やはり巡回中の魔族と鉢合わせしたとか……。
……あっちの騎士大丈夫か……?
で、戻らない騎士に異常事態発生と判断、勇者も呼んで巡回ルートを捜索、戦闘の気配を察知し急行、というのがあちらの流れ。
ついでにもう一ついえば、この件を探った際に勇者に感づかれて以降の情報収集は断念した。
感が良いのかやはり魔王の何かを探知してるのか……。
ともかく、そうして魔王と勇者の初対面となったのだ。
「う〜ん、ビミョー」
魔王vs勇者の場面はもっとこう、演出したかったのに。カッコイイ感じにしたかったのに。
まぁ、過ぎた事は仕方がない。この先の事を考えよう。
直接相対して分かった事が幾つかある。
一つは勇者達の実情。
魔王はヒトの感情を読み取るが、それは直に会った相手限定だ。でないと無数の感情の波に呑まれて何も出来なくなってしまう。なので道具越しの情報は、『そう言われてる』というだけのもの。当事者の心情は不明だった。
勇者の人物像は様々な噂が錯綜して掴めていなかった。
他の仲間達もだ。案の定、それぞれ思惑を持っているようで、真摯に魔王討伐を願っているのは勇者と聖女だけだった。
聖女の方は信仰が理由だ。彼女の感情は神への忠誠心で満たされていた。
……。
あの子は神の実態を知らない方が幸せだろうな……。
それと、魔王が異界に外注された理由が分かった。
いつもの事だったんで深く考えていなかったが、この世界の者ではいけない明確な理由があったようだ。
それは勇者の【再現能力】。
コピースキルと言ってもいい。技術の様な、普通に模倣可能なものはもとより、筋力、自然回復力といった真似しようのないものでも自身の能力にしてしまえるのだ。
その能力を見る必要はあるし、飛翔のように存在しない部位が必要な能力は無理など一応制限はあるが――要するに、数十年間掛けて剣を磨いて来た者と戦えばその数十年の成果を、馬と競走すればその脚力や持久力が身に付くのだ。
当の勇者もその能力を把握しているのだろう、先程魔族と戦った際に、その筋力やら皮膚の硬さやらも取り込んでいた。
植物の再生能力も取り込めるが、それは無かったな。さすがに思い付かなかったのか、敢えて取り込まなかったのか。
ともかく、どんな強者を用意しても意味が無いのだ。片っ端から取り込まれて勇者を強化するだけの結果に終わるから。
で、ここから魔王の――『私』の――話になるのだが、この【再現能力】の制限、というより限界として『ただしこの世界のモノに限る』のだ。
その能力は『この世界の』神の手の届く範囲にしか適用されない。
『私』の魂は異世界産。
使う技術も使用するエネルギーもこの世界とは無関係――この世界の神の『管轄外』。
『私』が喚ばれたのは、勇者に再現されない戦力を求めての事だったのだ。
用意された肉体がヒト族に準じていたのも勇者対策だったのだろうか?
魂はともかく、肉体はこの世界で用意されたものなので【再現能力】の対象になる。再現されても良いように、肉体のスペックでは下から数えた方が早い種族であるヒト族を選んだのかも知れない。
――一応この世界の魔術も武術も学んだけどあんまり意味無かったかもな。