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第20話、迷子(遭遇)

「・・・ここは何処じゃ?」


 少女に忠告という脅しを告げた後、賢者は一人両親の下へと戻ろうとしていた。

 ここまで案内をしてくれた使用人は居ない。人払いのついでに賢者が帰してしまった為だ。

 行きはともかく帰りは自分で何とかなると、そう思っていたのが甘かった。


「帰りも頼むべきだったか・・・この辺りは人通りが無いのぉ」


 城の中とは常に人が多い場と思っていたが、居ない所もある様だ。

 そんな事を思いながら賢者は城をさ迷い歩き、ふと大事な事に気が付く。

 熊の移動魔法を使えばすぐに戻れるのではないかと。


「のう熊よ、山で見せてくれたあの移動は今できるか? 父の所まで運んで欲しいんじゃが」


 精霊術は何も精霊の力を自分で使うだけが能じゃない。

 当然精霊に力を使う事を望み、自分の代わりに行使して貰う事も出来る。

 ただし問題点も幾つかあり、その内の一つは制御を完全に任せる事になる点だ。


 とはいえあの魔法は自分には使えないし、熊の魔法の制御はしっかりしている。

 この国の精霊術師なら他に問題点が複数有るのだが、賢者には問題もないので気にしない。

 ならば一つ試しにと、今後の利便も考え熊に頼んでみた。


『グゥ・・・』

「む、どうした、駄目なのか? あ、本体は山にあるんじゃし、流石に無理なのかの?」


 すると熊は頭の中で、少し困った様に鳴き声を上げる。

 顔も心無しそんな風に見え、賢者は無理を言ってしまったかと首を傾げた。

 すると熊は暫く目を瞑って悩む様子を見せ、意を決した様に顔を上げる。


『グォオオオン!』

「お」


 ぽちゃんと、水に落ちる様に地面に落ちる。あの山で呼ばれた時と同じ様に。


「何じゃ出来るのか。ならば何を悩んでおったじゃ?」

『・・・グゥ』

「え、なに、どうしたんじゃ。何で顔を逸らしたんじゃ」


 ただ熊は途中で気まずそうについっと顔を逸らし、賢者は意味が解らずに尋ねる。

 すると下に落ちていた感覚が、突然無茶苦茶に流れが切り変わり始めた。


「な、なんじゃぁ!? なんじゃこれ、きも、気持ちわるっ」 


 上下左右前後と、無茶苦茶な流れに振り回される様に流されて行く賢者。

 その流れに抗う事が出来ず、体も付いて行けずに酔いそうになっている。

 頭の中では熊が申し訳なさそうにアワアワと慌てて動いていた。


『グォウ・・・!』

「どう、なっとんじゃ、これ・・・まずい、うっぷ・・・!」


 吐き気を感じ始めた賢者は口を押え、吐かない様と何とか堪える。

 ただ突然ポーンと地上に放り出され、だがそれが解った賢者には何も出来ない。

 何せ吐き気を堪えるのが精いっぱいで、着地に気を割く余裕などなかったのだ。


「んげっ・・・!」


 どすっと容赦なく地面に叩き付けられ、潰れた蛙の様な声を出す賢者。

 そしてその衝撃のせいで、賢者はとうとう堪えきれなかった。


「おえぇ・・・!」


 かろうじて空を見ながら吐くのは防ぎ、けれど淑女にあってはならない醜態を晒す。

 勿論賢者に周囲を見る余裕などなく、ただただ吐き切って楽になりたいという想いしかない。

 そうして胃胃の中が空っぽになったのを感じた所で、初めて顔を上げて周囲を見た。


「動くな小娘。動けば斬る」

「おおう・・・」


 賢者の周囲を兵士達が囲んでおり、剣と槍を構えられていた。

 その後ろに彼らの主人らしき青年が居り、困惑した表情で賢者を見ている。


(城の中庭・・・勝手に入っちゃいかん庭かのう。あの青年の服についている紋章は見覚えがあるの・・・国王が使っていた剣についていたはずじゃ。となると国王の息子か孫か?)


 下手に刺激しない様に目だけで周囲を確認し、ざっくりと状況を理解する賢者。

 これは悪いのは自分だろうと思い、武器を突きつけられている状況は甘んじる。

 出来ればせめて立ち上がりたいのだが、今は許して貰えないのだろう。


(自分の物とは言え、吐しゃ物と近距離はきつい・・・!)


 ツーンとした臭いに泣きそうになっている賢者である。


「名を名乗れ。名乗れないのであれば拘束させて貰う」

「ナーラ・スブイ・ギリグと申す」

「ギリグ・・・成程、そういう事か」


 兵士は賢者の名乗った家名を聞き、その目が頭の上に向かったのを感じた。

 当然そこに在るのは熊耳であり、今は困った様にへにゃっと潰れている。

 それはこの状況に怯えてというよりも、目の前の自分が出した物へ対してだが。


 ただ色々な事に堪えているその様子は、はた目からは怖がっているようにも見えた。


「怖がらせた事は謝罪しよう、ナーラ嬢。手を」

「あ、す、すまんの」


 少なくとも兵士はそう思った様で、剣を収めると謝罪を口にして手を差し伸べた。

 これでやっと立ち上がれると思った賢者は、ぱあっと笑顔でその手を掴む。

 先程まで怯えていたとは思えない変わり身に、兵士は少しだけ警戒を上げてしまった。


 ただ鋭い目を向けられている賢者はというと、やっと立てた喜びで気にしていない。

 ピルピルとご機嫌に耳が動いていて、能天気さが増している様に見える。


「それで、ナーラ嬢。ギリグ家のご令嬢が、なぜこんな所に居られる。いや、先程の現象は一体何なのか、ご説明願えるか」


 兵士は訊ねつつ視線が吐しゃ物に向いていたが、それには触れない事にした様だ。


「あー、その、陛下にご挨拶した後、色々在って、その、迷子になってしもうて・・・山神様に両親の所まで送って貰おうと思ったんじゃが、何故か失敗したようでの・・・」

「・・・山神様に? そんな事が出来るのか・・・」


 賢者はそこで「しまった、言わんほうが良かったかの」と考えたがもう遅い。

 なので諦めて成り行きに身を任せ、兵士の返事を大人しく待つ。

 兵士は少しの間考える様子を見せたが、途中で背後の青年へと目を向けた。


「殿下、どうされますか」

「彼女からは精霊の気配を感じる。精霊術師な事は間違いない」


 殿下。この時点で賢者は自分の予想が合っていると確認出来た。

 ならば尚の事余計な事は言わん方が良いかと、じっと言葉を待つ。


「ならば彼女は・・・」

「本当に新しい精霊術師だろう。父に挨拶を終えたのであれば、正式に認められた者という事になる。ならば忠告はされているはずだ。下手な真似はしないだろう。それに彼女が本気で抵抗をすれば、お前達では抑えられない。下がった方が良い」

「・・・解りました」


 兵士が少し悩みながらスッと横にずれると、青年を守っていた兵士達も皆動いた。

 まるで賢者への道を作る様に避けた兵士の間を、青年が静かに歩いて来る。

 そして賢者はそこで気が付いた。この青年デカい。そして太い。


 太っている訳では無い。単純に身長が高く、そして横の太さは筋肉である。

 服がその体格を少々誤魔化していたので気が付かなかったが、良く見ると凄まじい体だ。

 まさか王家の人間はみなこうなのかと、賢者はムキムキ姫様を想像し始めた。


「初めまして。ローラル・バル・エルヴェルズだ」

「お初にお目にかかります、殿下。ナーラ・スブイ・ギリグと申します」


 青年の名乗りに対し、スッと目を伏せて淑女の礼を取る。

 すると彼は目を見開き、兵士達も少し驚いた様子を見せた。

 ここまでの良く解らない女児という印象から、きちんと貴族女児に変わった様だ。


 とはいえそれを感じ取った賢者の熊耳がピルピル動き、見事なまでに決まっていないのだが。


「・・・君は、まさか」

(あ、コレは、もしや)


 ただそんな賢者を見つめる青年の目が見開かれ、困惑したような呟きが漏れる。

 その反応に賢者は思い当たる理由が在った。国王と対面した時と同じ反応だと。

 おそらく賢者の反応を見て、王家の精霊術師に対する呪いが効いていないと思ったのではと。


「・・・父上は、国王陛下は君を精霊術師として認めたのだね?」

「はい。お認め下さりました」

「・・・そうか。ならば私から言う事は何も無い。これから励む様に」

「はっ」


 年の離れた親子なんじゃのー、等と思いながら返事を返す賢者。

 国王に対する態度よりも丁寧なのは、国王の事が気に入らないからである。

 そして何よりも今回は自分が悪いと思っているので、余計に丁寧に対応していた。


「陛下からは筆頭精霊術師の任を承りました。その信に応えられるよう、微力ながら国家の為に尽くしたく存じます」


 なのでちょっとばかしサービスと思い、逆らう気は無いよとアピールしておく。

 何せ王子からすれば、賢者は明らかに『異端』でしかないはずだ。

 だからこそ国王は賢者を処分する事も視野に入れ、けれど利点を優先したに過ぎない。


 しかし国王は元気そうではあっても老人に見えた。なら何時代替わりが有るか解らない。

 となれば王族と一人でも仲良くしておいて損は無いだろうという打算だ。


 すると突然、王子だけでなく周囲の兵士達や使用人も驚き、ざわつき始めた。


「へ、陛下は一体何を・・・!」

「い、いやだが、それでも王家には・・・」

「しかし精霊術師の筆頭という事は、そういう事ではないのか・・・?」

「だがそもそも、彼女は子供だぞ・・・!?」

(な、なんじゃ、何で皆騒いどるんじゃ。いやまあそんな役職無かったんじゃし、驚くのも無理はないと思うんじゃが・・・何か様子がおかしい気がするのう・・・)


 今までなかった役職。そして彼らの言う通りその役職を女児に与えた事実。

 どう考えてもおかしい事態であり、けれど彼らの驚き方がおかしい理由に気が付いた。

 誰も彼もが何故か、チラチラと王子を見ている。何と言えば良いのか困っている様子で。


(何じゃ、儂が筆頭になると、王子が何ぞ困るのか?)


 心の中だけで首を傾げていると、その王子が賢者の前で膝を突いた。

 突然何をと驚く賢者に目線を合わせると、彼はにこりと笑って口を開く。


「では筆頭殿。精霊術師ローラル・バル・エルヴェルズ、今後は貴方の指示に従おう」

「・・・は?」


 賢者はそこまで取り繕っていた仮面が脱げ、間抜けな顔でポカンとしていた。

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