つまるところ、一触即発 ~stress~
異世界へ転生して――概ね三日目。ヴィルはもらったパンを貪りながら、この世界、いや……この国の現状がようやくわかってきた、と思考に耽る。
どうやら魔族がこの国の近くにまで進行しているらしく、使える土地もだいぶ少なく、今やこの王国に住んでいた住民たちをこの城に非難させているようだ。
――どうりで、あんな狭い部屋を客室と呼んでいるわけだ。
カリンはついにヴィルへの愛想を尽かしたのか、今はどこかへと出かけているらしい。
「……勇者様」
パンを口に放り込んでいると、長く青い髪を垂らした、髪とは正反対に背の低い幼い魔導士――ルーが話しかけてくる。
「……今日も来たのかよ、言ったろ、俺は魔王討伐には行かない」
「わかっています……ですので、せめて魔族の退治くらいはお手伝い頂けないかと……」
「それくらい兵士たちがいるだろ、そいつらで何とかしろよ」
「その兵士たちも、もうすでに数々の場所で戦っておりまして……もう人員が……」
「……」
ルーは、度々パンの配給と同じ時間くらいに警備の兵士たちとここに訪れては魔王の討伐を依頼する。しかし、ヴィルの返答は変わらず、自分は一般人として生きる、魔王は倒さない、の一点張りだ。
「今や農場ですら占領されてしまい、穀物すら取れず……何とかしていただけないでしょうか……」
「お前は商売が下手だな、報酬もなしに動く人間なんていねぇよ」
まぁ、人のことを言えたことではないが……と、内心自分にも傷を負いながら、ヴィルは吐き捨てるようにそういう。
「……わかりました、また来ます」
そういうと、ルーはその場を立ち去っていく。その光景を見ながら、だが――と、ヴィルはルーの周りを守るように囲う兵士たちの反応を見て考える。
自分が使えないと見るなり、兵士たちの視線も痛いものへと変わっていくのがわかる。そろそろ潮時ではあるか――
当然、ヴィルに対して言いたいこと、文句はあるのだろう。しかし、実力差があるため下手に口出しもできない。機嫌を損ねたらどうなるものか、内心は冷や冷やしている。だからこそ、兵士たちの中でヴィルは異物であり、同時に厄介者なのだ。そう考えているのは、ヴィルも薄々感づいていた。冷たい態度、最初の勇者様大歓迎の空気から一転し、軽蔑するような視線と嫌悪の眼差し、痛いほど見てきたその目は、他ならないヴィルが良くわかっていた。
――ここを出て自分の拠点を持つのもありか……持続的に魔力を送り込むことで魔力の壁……いわゆる防護壁だって張ることができる……ありだな。
そんなことを考えていると、ドンドンと扉の叩く音がする。またルーか?と眉をひそめてヴィルは扉に近づくと、ドタンバタンという倒れる音とともに、大きな男が入り込んできた。
「な、誰だお前!」
驚きながらもそう問うと、大男は「うぅ……」という唸り声をあげながら、床を這って近づいてくる。
「勇者様ぁ……!どうしてですか、どうしてですか、助けてくださいよぉ……!」
「……なんだ?」
「もう腹が減って仕方がない……もう家を取り戻したいなんて贅沢は言わない……!だから、せめて飯を……!生きさせてくれぇ……!」
訝しげにその怪しい男を見ていると、「何をしている!」という兵士の声とともに、その男は兵士に取り押さえられて運ばれて行ってしまう。
「うあぁぁ!勇者様ぁ!勇者様ぁ!」
情けない声を上げ、鼻水と涙でぐしゃぐしゃになった顔をこちらに向けながら訴えるその男をなだめながら、兵士は二人がかりで大男を連れて行こうとする。その中でボソリと、「だから面倒なんだ……」とつぶやく声を、ヴィルは確かに聞き逃さなかった。
暴れながらも、その抵抗虚しく運ばれる大男を見ていると、それとすれ違いながらルーがまた入室してくる。
「……ルー、なんだ今のは……?」
「……もともと、この城下町にいた住民でございます」
「あいつ……生きたいって言ってたぞ……どういうことだよ……」
「……勇者様、少しついてきて頂けるでしょうか……なるべく、お姿は隠して……」
さっきの今で状況がつかめないまま、ヴィルは素直に言うことを聞くことにし、ローブを上から被るような形でこの世界に似つかわしくない服装を隠しながら、ルーについていくことにした。
ルーはその様子を見ると、ゆっくりと歩き始め、城の下へ、下へと進んでいく。
「なぁ……どこへ向かってるんだよ」
「……」
ルーはヴィルの質問に答えることはなく、無言でやはりゆっくりと下へ進んでいく、そして階段がなくなると、次は一本道の暗がりな通路を進んでいく。蝋で微かに照らされた通路を足元に気をつけながら進んでいくと、一つの大きな扉が見えた。
「ここは……?」
「……ここは、城の地下施設……元々は弾薬などの置き場所として扱われていたものを、今は住民の避難所として活用しているところです」
やっと口を開いたルーのその言葉は震えていて、しかし決心したかのような強い目でこちらへ向けてきた。
「勇者様……今から見せるのは、この国の状況、そのものです。これを見て何も感じなければ……感じないのであれば、私たちはもう貴方様に何も言いません……しかし、そこに少しでも慈悲を感じたのなら……どうかっ……!どうか協力してはくれないでしょうか……!」
「慈悲って……一体何を……?」
疑問に思ったものも関係なく、ルーは扉を開き、叩きつけるようにその光景を見せた。
そこにあったのは、先程の大男のように項垂れているもの、八つ当たりするように兵士に殴りかかろうとするもの、泣きながらその光景を見ている子供たち、それは……地獄絵図、そのものだ。
「これは……」
「限界なんですよ……みんな……」
ルーはやはり震える声で、俯いたまま、話す。
「魔族の領地占領はすぐ近くにまで来ていて、もはや防戦一方、農場が使えなくなったのももう一か月も前の話です……」
「一か月も前……!?お前、俺にパンやら菓子やら出してたじゃねぇか!あれは何だったんだよ!」
「……奥にしまい込んでいたなけなしの物資です。今提供している食べ物は、もう食べられなくなったものを私が魔法で何とか工面し、作っています……でも、それももう限界です……」
ルーは涙を流しながら跪くと、祈るように手を組み、ヴィルを前にして頭を下げる。
「どうか……っ!どうかご協力いただけないでしょうか……っ……!」
それを前に、ヴィルはたじろぎながら、「やめてくれ……」と、情けなく声を漏らす。
「やめてくれ……っ!」
馬鹿馬鹿しくなる――自分がどれだけ身勝手で、どれだけ自己満足で、わがままであったかが分からせられる。どれだけ、自分が何も知らなかったか――
「嫌なんだ……嫌なんだよ……もうあの世界に戻すのは……あの世界にかえるのは……っ!」
だが、どれだけ自分勝手でも、何も考えてなくても――あんな思いをするのだけは嫌だとヴィルは拒否する。目の前の光景を、惨状を見てもなお――
「……俺たちの住む世界の魔法は……簡単に言ってしまえば科学のショートカットだ……」
「……?」
顔を手で覆い、口元を嚙みしめながら、突如として話し始めたヴィルにルーは流れる雫をそのままに不思議な顔をしながら見守る。
「お前の使う魔法みたいに、特別なんかじゃなく、誰でも魔力さえあって勉強さえすれば簡単に使えるもので……科学の発展した今じゃ……そんなものを持っていても意味なんてなくて、魔法を使うくらいなら機械を、魔力を減らすくらいなら体力を残せと、そんな危ないものより仕事をしろと言われる世界で……そんなことは俺にはできなくて……」
震えながら、思い出しながら話をするヴィルの口元は、強く嚙みしめすぎたのか血が流れてきていた。
「劣等感しか感じないんだよ……!おれは魔王を倒した勇者で、まさに平和を作った魔王なのに……!なんで、なんでって……だから嫌なんだ、嫌なんだよ……あんな世界はもう……!」
「……」
そんなヴィルを見ていたルーは、涙をぬぐうと、次は伏せたような目で「そうですか……」と静かに答える。
「もう……大丈夫です……無茶なことを頼んでしまい、申し訳ございませんでした……勇者様は、部屋にお戻りください……」
「な……大丈夫って、そんなわけ……」
「お戻りください」
ルーはそういうと兵士たちに指示してヴィルを無理矢理部屋へと運ばせる。両腕を兵士につかまれて持ち上げられながら運ばれるヴィルは「な、おい!」とルーに呼びかけるも、ルーは容赦なく避難所の部屋を閉めて声を通らなくしてしまう。
「あんなのが大丈夫なわけないだろ!お前らも頭大丈夫か!早く何とかしないと――」
「――っるせぇなぁ!」
暴れて騒ぐヴィルに腹が立った兵士一人がヴィルを壁に押し付けて胸倉をつかむと、睨みつけて怒鳴る。
「お前、あんな状況を見てなんであんな事があの子の目の前で言えるんだ……!俺たちだって苦しいさ!つらいさ!だけどあの子はそんな弱音も今まで吐かず、ずっとどうすればいいのか考えてきたんだ!なのにアンタは、大丈夫か……だと?大丈夫なわけないだろ!まだまだあの子は子供なんだぞ!そんな子が、最後の希望である勇者様に弱音を吐かれて、大丈夫なわけが――」
殴りかかってきそうな勢いの兵士を、もう一人の兵士が「やめとけって……」となだめながら抑えようとするが、その様子は本気で抑えようとは思っていないようで、やはりどこかしらヴィルに思うことがあるようだ。
「――ぐっ……放せよ!」
ヴィルは喉元に手の力強い圧がかかったのに気を悪くして、思わず強い力で兵士を突き飛ばしてしまう。その力は兵士を反対の壁にまで追いやり、のばしてしまうほどだった。
「お、おい……」
抑えようとしていた兵士がすぐにその兵士に近づき様子を確認するが、完全に気絶しているようだった。
「……っ」
居心地の悪さを感じたヴィルは、逃げるように階段を早歩きで登ろうとすると、後ろの方向から大きな崩れるような音と振動を感じる。
それは兵士も同じようで、すぐさま避難所の扉を開くと「大丈夫ですか!?」と呼びかける。
扉を開けた先、そこは先程までの真っ暗で陰湿な雰囲気のある部屋ではなく、むしろ通風がよく――いや、天井が土ごと大きな手で剥がされ、そこから目に入ったのは、大きなサルのような魔獣と、青く澄み渡った空だった。