第9話 「魔術師ミーメイ/エピソードゼロ」
人生に丁寧な伏線なんてものはない。
自分の意思とは言え、就活中に突然地球を離れて異世界で暮らすことになることになるなんて、前日まで何の前触れもなかった。
しかしそれは私視点での話だ。実際にはそうじゃない。
例えば突然隕石が降ってきて地球が滅亡したとする。今は地球の住民ではない私がこのたとえを使うのはどうかと思うけど、とにかくそれはとても唐突に感じるだろう。
しかし隕石が落ちるまでには、多分遠くの星の一部が欠けて、色々なところを通ってくる。詳しくないけど多分そんな感じだと思う。きっと何年も、場合によっては私が生まれる前から、その隕石が落ちる因果は始まっているのだ。地球の生き物からしたら唐突に感じるだけで。
私からしたら私が異世界に堕ちるのは唐突だった。たまたま一目惚れした相手が日本語を習得していて、たまたま私を気に入って養ってくれるなんてのも突然身に舞い降りた幸運だった。
しかし視点を変えれば、それはきっとただの唐突な偶然じゃない。何年も前から、ひょっとしたら何百年も昔から前触れのあった出来事なのかもしれない。私が知らない、これからも知ることはないだろうというだけで。
何となくそんなことを思ったのは、異世界に来て一か月たったころ、見知った顔の訪問があったからだった。
その男は2メートル近い巨躯を丁寧に折り曲げてこう言った。
「お久しぶりですね、お嬢さん。そしてやはり……またお会いしましたね、メイリー・レイ・ミーメイ。慧眼の魔術師よ」
「そうだね、そういえばもうそんな時期だったか。案内人のお兄さん」
メイリーは私をこちらに送り込んだ案内人に、何事もなかったようにそう返した。
「……え、知り合い?」
1.
生まれながらの才能、というものがある。体格が優れている、頭がいい、容姿がいいとかそういう。
ボクは生まれながらの天才だった。周りはそういってもてはやしたし、客観的に見てボクもそうである自覚があった。
体格や容姿は時勢や目的によって大きく左右されるので一概に優劣が付けづらい側面がある。頭脳に関しても一概に優劣は付けられないことも多いが、ボクはまず単純に記憶力がよかった。それも異常といっていいレベルで。加えて記憶したものを即座に自分の知識として引き出せる頭の回転の速さも同時に持ち合わせていた。
学校のテストで暗記を必要とするものなど、ボクにとっては一度試験範囲のテキストを眺めておくだけでよかった。言語習得も簡単だ。膨大な単語、例文、実際にそれが使われている状況の会話音声や動画を一通り見れば、発音も含めてほぼ完全に記憶し、そこから言語の特性なども理解し、実際に自分で使うこともできた。数度の会話で細かいズレを修正すれば、「習得した」といって差支えないレベルになった。自分の能力を試す一環として必要以上に多くの言語を習得したので、今では初見の言語でもある程度対応できる。
数学や物理、後にボクの職業となる魔術に関することも基本的なことはすぐに理解できたし、特に魔術に関しては歴史にあるどの魔術師よりも繊細な魔力制御が可能だった。
しかし当時のボクにはその先の展望がなかった。ひっきりなしに依頼が来るのでそのうちの何割かを適当にこなせばお金には困らなかったし、時折戯れに軽い発明をすることもあったが、あの頃のボクは今振り返ると割と無気力だったと思う。
まだ若いがもう子どもではない。そんな年齢。これ以上人生に大きな変化は訪れないような気がしていた頃。ふと、空が奇妙な輝き方をしていることに気が付いた。
原因は月だった。月が異様なほどに金色に輝いているのだ。
魔術師であるボクには、それが空気中の魔力に異常な影響を与えていることに気づいていた。
そして直感的にわかった。
どこかから、何かが来る。
魔力。それはこの世界に当たり前に存在しているもの。方向性や繋がりを操作するのに便利で、電気制御や機械の発達によって一気に発展した魔力を利用した技術、「魔術」なしの生活はもう考えられないと言っていい。
詳しいことはわからない。当たり前に存在し、当たり前に利用している。
だが魔力制御に特化したボクの中には一つの仮説があった。少なくとも現段階では論文にして発表できるようなものではないけど。
魔力は、次元を超えて存在している。恐らく一つ上の次元とこの次元を結びつける存在なのだ。
例えば一枚の紙があって、そこに書いた二点ABを紐でつないだとする。それは紙という平面上では結ばれていないように見えるが、三次元的視点を持っていれば実際は繋がっていることがわかる。もしくは紙自体を折り曲げてくっつけることだってできる。物質的な繋がりがないのに干渉できる魔力は、これと似た事が三次元のこの世界と上位次元との間で起こっているのではないかと考えている。その可能性を強く感じさせることの一つが、この時も起きた。
すなわち、どこかとどこかが突然空間的に「繋がって」しまう現象。
この世界の歴史を見ると、何度かそういった事例が語られている。共通するのは大気の魔力に揺らぎが発生すること、空の金色が強く感じられること。どれも魔力制御に長けた人物によって語られた証言で、一般人にはほとんど差は感じられなかったそうだが、実際にボクは肌でその異常を感じ取ることができた。
恐らく今この近くの空間が遠くと「繋がった」。そこを何かが通ったかは定かではないが、何かここら辺にあって違和感のあるものはないだろうか。
そう思ってあたりを徘徊していると、特別奇抜というわけではないけどあまり見たことのない感じの服装の少年が一人で顔を伏せて震えていた。年のころは10歳とかそんな感じだろうか。
よりによって人か。しかも子供か。
普通に考えてこれは大事件だった。恐らくこの少年は遠くから突然来た。子ども一人だけで見知らぬ土地に投げ出されたらどうやって生きていけばいいかわからないだろう。
人と会話するのはあまり得意な方ではなかったが、多くの言語を習得している自分以上の適任はそういないだろうと考え、恐る恐る少年に話しかけた。
「こんにちは。えーと、大丈夫?」
すると少年はおっかなびっくりといった様子で顔を上げ、何かを呟いた。
正直驚いた。少年の喋った言語は、主要言語どころか割とマイナーな言語まであらかたマスターしたボクが聞いたことのない言語のようだったから。
しかしどう見ても未開人といった風体ではない。清潔だし、靴も履いている。何やら機械も手に持っているし、発達した文明の出身であることは間違いないだろう。
ボクが首をかしげているのを見て、少年はなおも半泣きで何事かをぼそぼそとつぶやいている。恐らくそんなに複雑なことはしゃべっていないと思われるがわからない。
そこでボクは一つの大きな違和感の正体に気が付いた。少年の体からは魔力が感じられないのだ。
しばらく何かを話していたが、少年は途中で疲れたのか座り込み、そのまま意識を失ってしまった。
慌てて駆け寄ると、その体に魔力が満ち始めているのを感じた。
この変化。信じられないことに、この少年は魔力のない世界から来たらしい。そして恐らく急速に魔力に適応しようとして一時的に意識を失ったのだろう。呼吸や心音は安定している。間違いなくただ寝ているだけだ。
ボクはその少年を魔力で運び、近くの宿泊施設に預けることにした。お金には困っていない。人助けのために多少の出費には眼を瞑ろう。それにこの少年はボクの知らないことをたくさん知っている。
目を覚ますまで少年を見守るついでに、何か少年の身元を確かめられるものはないかと思って持ち物を物色した。異文化の貨幣と思われるもののほかに、機械が二種類。一つはこちらの世界の携帯電話に似ている。恐らく似たような機能の通信機器だろう。開いてみるとやはり見たことのない文字。魔力のない世界、全く知らない高度に文明的な文字や機械……まさか、別の星から来た宇宙人とでもいうのだろうか。
そしてもう一つの機械は、最初なんだかわからなかった。携帯電話に似た通信用の機械よりも数倍大型で、しかし起動してみた感じは通信機器のように見えなくもない。ここでは動作していないが、通信機器と同じく何らかのネットワークのようなものに接続する機能もあるようだし。それにしても自分が使っているものより画面の性能が数段上のように感じる。少し恐ろしく感じると同時に、わくわくした。
簡単なボタン操作で動くようなので少しいじってみると、明らかにメイン画面と思われる華やかな画面が表示された。決定キーを押してそれを起動させてみる。
その時、今度こそ言葉を失った。
理解できてしまったからだ。それがゲームだと。恐らくボクでなくても理解できるほど、それは疑いようもなくゲームだった。しかもただのゲームではない、なんと見たこともないほど高度な三次元データを自分で自由に操作できるのだ。
どういうことだ。こんな技術があれば大騒ぎになっているはずだ。ゲームだけではない、多くの技術に応用され、今のコンピューターは瞬く間に数段進化するはずだ。それをこんな子供が持っていて、しかも手のひらサイズの機会に搭載されている?
それは、自分たちの文化と全くつながりのない文明が確かに存在するということの、ゆるぎない証明に他ならなかった。
ボクは数時間無心でそのゲームをプレイした。異文化……いや、もう異世界と言い切ってしまっていいだろう、異世界の文字や音声が美麗な3Dデータを彩り、言語を理解していない自分でも直感的にプレイすることができた。
少年の服装を見るに、このゲームは異世界におけるファンタジーゲームなのだろう。カッコいい剣士が自分の操作するキャラクターとなり、戦闘を交えながらストーリーを進めていく、オーソドックスなタイプのゲームだ。
少年が持っていた通信機器には簡易な辞書ソフトも入っていた。それと合わせて音声データもあるゲームをプレイすることで、数時間ゲームをプレイし、何人目かの大ボスを倒した時点でボクはその言語、つまり「日本語」をある程度習得していた。
そして少年は気が付いた時にはとっくに目を覚ましていた。
集中してゲームをプレイしてるボクに呆気に取られて中々声をかけられなかったらしい。
ボクは額の汗をぬぐい、少年に声をかけた。
「君の持ち物、勝手に触って悪かったね。君、名前は?」
少年は目を丸くした。さっきは言葉が通じなかったのに突然「日本語」で話しかけられたのだから当然か。
「僕、タカシ。なんか落っこちちゃって……気づいたら知らない場所で。ここどこ?」
「多分遠い場所。言葉も違うし、えーと多分かなり遠い」
「そうなんだ。そうだよな、空の色ヘンだし」
少年はがっくりとうなだれたが、思ったよりパニックになったりはしなかった。
「どっか行っちゃいたいって思ってたから」
「あー、そうなんだ。何か嫌なことあったとか」
「色々あった」
少年……タカシ君は涙ぐみながらも嫌なことの具体的な内容は喋らなかった。
「えー、じゃあどっか来たわけだけど、ここで暮らしたい?」
タカシは首を横に振った。
「……やっぱ帰りたい。帰れるんなら」
「わかった。手伝うよ。お礼」
「なんの?」
「うーん、色々」
その日から毎日一回ボクはタカシの様子を見に行った。
タカシはその年齢の少年としては本当に物静かで落ち着いていた。ボクはつきっきりで相手をしたわけではなかったが、ゲームをしながらお話したりした。ボクの日本語は多分タカシの影響を最も強く受けていると思う。日本語には一人称が複数種類あって、その中で「ボク」を選んだのは響きが一番気に入ったからだ。これに関してはタカシが使っていたというのもあるけど、ゲームで一番気に入った女の子のキャラクターが「ボク」とカタカナで使っていたのでそれを意識している。タカシの「僕」とは何となくイントネーションが違う……気がする。
とはいえタカシとはほとんどゲームの話しかしなかった。数回気晴らしに散歩に付き合ったが、それくらいだ。タカシはあまり外に出たがらなかったし、食事とかを届けるついでに毎日一緒に数時間ゲームをする。それを一か月繰り返すだけの毎日だった。
そしてその日はやってきた。
あの日と同じ大気の魔力乱れ。ボクは急いでタカシのところに行き、同じ場所に連れて行った。
確信がなかったからタカシには言ってなかったけど、実はこの日に来るんじゃないかとあたりは付けていた。
タカシが来てから、この魔力乱れによる空間接続を予測することはできないかと少し本気を出して記録をあさっていたら、いくつかの記録で「一か月後にもう一度似た乱れがあった」と記されていた。他にも「満月」に言及する記録がいくつかあった。それぞれが書いてあるのが別の記録であったことや、魔力乱れがあっただけで特にもう一度何かが現れたり来たものが帰ったりという記録ではなかったからぬか喜びになってはいけないと伝えなかったのだが、乱れが観測できた以上はたとえ結果帰れなかったとしても連れていくしかない。
月はいつもより強く金色に輝いている。
ボクは月を見上げた。
激しい魔力の乱れ。まるで大気中にあふれる魔力は、この現象のついでなのではないかと思えるほどだ。本質が高次元の一端なのだとすれば実際そういうことなのかもしれない。
空間がつながったとしてもと来た場所に送り返す手段があるかはわからない。少しでも何かわからないかとボクは真剣に観測した。
そしてひときわ大きな魔力のうねりを感じた時、先ほどまでそこにはいなかった巨躯の男がそこに立っていた。
男は自らを案内人と名乗り、少年は案内が終了していないうちに、半ば事故のような形でゲートを通ってしまったこと、そしてとどまるか帰るか、もう一度少年の意思を確認しに来たことを告げた。
少年は帰ることを告げ、案内人とともに向こうの世界に消えていった。
別れる前に、少年は私に携帯ゲーム機を手渡した。
「これあげる。お世話になったから、お礼」
ボクの真似をしたのか、それだけ言うと去っていった。
そして少年を送り届けた案内人が、一瞬こちら側に戻ってきて、金色の帽子を脱いで一礼した。深々と頭を下げてなお頭の位置がボクとほとんど変わらない。
「この度は僕の不手際をフォローしていただく形になり、誠に申し訳ございませんでした。そして心からの感謝を。稀代の天才魔術師、メイリー・レイ・ミーメイ」
「ボクを知ってるってことは、こっちの人なんだね。こんな職業の人がいるなんて知らなかったよ」
「職業というより、生業でしょうか。しかし魔術師ミーメイ、あなたの眼には恐れ入る。その金色の瞳は一体どこまで見通しているのか。いつかまたお会いする日が来るような気がします。その日まで、どうかお元気で」
そういって男はまた向こう側に消えていった。
それからのボクがどうなったかは世間が知ってる通りだ。ゲームを開発し、世界的に有名な魔術師となった。当然その携帯ゲーム機のおかげだ。だから僕の名声は、異世界からのギフトで得たチートの名声なのである。
ただ、ボクはそのゲームをプレイするだけで、機械を分解したりはしなかった。だから恐らく使っている技術は本来の技術とは大きく異なるだろう。そもそも向こうの世界に魔力はないのだ。ボクは「どんな魔術回路を作れば、この技術に迫れるか」、日夜そればかりを考えていた。約半年でおおよその構造を思いつき、もう半年かけて持ち込めるレベルになった。我ながらあの一年は凄まじい熱意と集中力を持って取り組んでいたと思う。
そしてその後しばらくは実際のゲーム会社と協力してボクの開発した技術を使用した新しいゲームハードでのソフトウェア開発にも参加していた。今までやったことのないタイプの体験で、それなりに充実はしていたが、やはり自分にチームプレイは向いていないということも実感する日々だった。
そしてそれまでとは比べ物にならないほどの大金持ちとなった後、一人静かに魔術回路の開発を行っていた日々の中。
久々にあの感覚を肌に感じた。
魔力の乱れ、大気の揺らぎ。時空のねじれだ。
ボクは外に出て月を見上げた。
あの日と同じ大きな金色の月は、「繋がった」と感じさせるには十分だった。
一個人の魔力操作が月に届くとは到底思えない。
ただボクは、ほんの少し目に力を入れて思った、
また誰かが来るのなら、この辺に降ってきますようにって。