第47話 森辺・十四条・軽海の戦い(前編)
永禄4年(1561年)5月13日、織田信長は木曽川、飛騨川(長良川)といった大河を3つの渡し場を経由して越え、西美濃へ攻め込んだ。
信長軍は清洲から北西に4里半(約18km)ほどの勝村(勝賀村)まで進出し、ここに本陣を置いた。
翌14日、敵軍が押し寄せて来るとの報告が入った。
(どの程度の数かわからんけど、遠征軍であるこっちよりは多いやろなぁ・・・。せっかく苦労して運んできた鉄砲は使えんし、ここは天候の回復を待つのが良さそうやな。)
俺は信長の傍らで報告を聞き、空を見やりながら思った。
この当時の火縄銃は雨の影響を受けやすく、着火する火縄が濡れたり火薬が湿ったりすると、ただの重い筒でしかなくなってしまう。
この雨では、とても鉄砲は使えないだろう。
鉄砲はどちらかと言えば防衛に活躍する武器だ。
200mあまりの有効射程距離を持ち、一撃の破壊力は弓をはるかに上回る。
ただ、現代のライフル弾と違って弾が球状なので軌道に風の影響を受けやすく、命中精度はあまり良くない。
先ごめの単発銃なので、一発撃つごとに銃身内の掃除と弾ごめに数十秒から1分以上を要し、速射性に難があった。
このため、鉄砲の放ち手は味方の槍ぶすまや塀や柵などの防御設備に守られていなければ、第2撃を放つ前に敵との距離を詰められてやられてしまう。
信長は美濃国内に進出して陣地をもうけ、攻め寄せてくる敵軍を迎え撃つ作戦を構想していたため、優勢な鉄砲の火力を活かせない状況下での戦いは大きな誤算だろう。
「これぞ、天が与えた好機ぞ!!」
だが、信長の口から発せられた言葉は、簡潔で力強いものだった。
どうみても好条件には見えない。
どこが「天が与えた好機」なのか。
でも、何の根拠もないにも関わらず、桶狭間の勝者が放つ言葉は得体のしれない重みがあった。
信長軍の将兵は、降りしきる雨が自軍に味方してくれるとすぐに信じ、武器を振り上げて鬨の声をつくった。
(常勝将軍ってのは、よくわからんオーラみたいなもんがあるんかな。たった一言でここまで集団の意識が変わるものか?)
もう何年も信長の側で仕えてきた俺からして、目の前の得体の知れない光景にただ驚くしかなかった。
雨が降り、苦労して運んできた鉄砲が使えなかったが、やむを得ないと信長は判断したのだろう。
信長軍の強みは優勢な火力だけではない。
敵より長い槍を備えた歴戦の歩兵部隊に信長は絶対の自信を持っていた。
だからこそ、敵の出現を聞いて応戦を即断したのだ。
俺たち信長軍は勝村の本陣を出て北上し、1里半(約6km)ほど進んで森辺というところで敵と遭遇した。
攻め寄せた一色軍は長井甲斐守や日比野清実を大将とする一軍で、墨俣砦から出撃してきた者たちだった。
俺が遠望したところでは、敵の数はこちらより多そうだが、極端な差はなさそうだ。
「敵は小勢であるぞ!一気にもみ潰せ!!」
鼓舞する信長の声が響き渡り、矢や石つぶてによる投射攻撃が一通りなされたあと、槍による接近戦となった。
こうなると、俄然俺たち信長軍が優勢となった。
敵も退かずに懸命に戦っているが、戦闘経験の違いからくる戦技の差は明らかだったし、士気の高い信長軍の勢いに到底抗えるものではない。
特に津島衆と呼ばれる津島近郊の土豪たちの活躍がめざましかった。
数時間の激闘の末、長井甲斐守を服部平左衛門が、日比野清実を恒河久蔵が、神戸将監を河村久五郎がそれぞれ討ち取り、敵は170人あまりを失って総崩れとなって敗走をはじめた。
敵将を討ち取った彼らはすべて津島衆だった。
また、陣借り(家臣ではない者が陣地の隅を借りて加勢すること)して参戦していた信長の元側近・前田利家の活躍も目立った。
首級2つをあげ、しかもそのうち1つは「首取り足立」との異名を取った足立六兵衛という豪傑のものだった。
利家は信長の寵愛深い同朋衆・拾阿弥と不仲となり、ついにこれを斬って出奔していた。
その後織田家への帰参を望み、桶狭間の戦いでは敵の首級3つをあげて信長にアピールしたが、このときは許されなかった。
おそらく、無断で抜け駆けした佐々・千秋隊に属して戦っていたため、信長の中で評価が割り引かれてしまったのだろう。
しかし、今回はその活躍が大きく評価され、めでたく側近に復帰することになった。
俺たちは敗走する敵軍を追って北上し、いくつかの小川を越えて進撃した。
敵軍は森辺の北方約1里(約4km)に位置する策源(策源地。作戦の起点となる後方基地のこと。)・墨俣砦で踏みとどまろうとしていたが、俺たちの追撃が急だったので果たせず、砦を捨てて散り散りになって逃げていった。
信長は墨俣砦を占領すると、すぐさま砦の増強を命じた。
ここは木曽川・長良川・犀川の合流点に当たる戦略上の重要地点であり、舟を用いての進撃や補給のためにはぜひとも押さえておきたい場所だ。
信長は墨俣砦を西美濃侵攻のためのさらなる拠点としてしっかりと確保し、作戦を継続するつもりだったのだ。
「ハゲネズミ、そちに墨俣の普請奉行を命ずる。ただちにかかれ!」
「ははっ。ありがたき幸せにございまする!頑張りまする!!」
滑稽なほど大仰な感謝とやる気を見せてこの重要任務を拝命したのは、木下藤吉郎秀吉だった。
顔を上げた秀吉は、笑顔を浮かべながら俺の方を見て、軽く目をつむってみせた。
2千近い信長軍が駐留できるだけの規模に砦を拡張するため、大量の柵木の設置や堀の掘削、土塁のかき上げ、兵が寝泊まりする小屋の増設など、彼が短期間でしなければならない仕事は多岐にわたる。
味方の主力に守られながらとは言え、敵地での土木工事はかなり大変だ。
だが、秀吉はそんな苦労より、重要任務を託すにあたって自分が信長のファーストチョイスとなったことを素直に喜んでいる様子だった。
(しかし、ハゲネズミって・・・。とんでもなくひどいあだ名やな。ナンボ秀吉が若ハゲやからって、よう付けたもんや。けど、ヨシローはあだ名を付けられて重要な仕事を任されるほど、信長の信任を得はじめてるんやな。これは素直に嬉しいな。)
俺は機会を見て秀吉を信長に推挙しようと思っていたが、どうやらそんな必要はなかったらしい。
秀吉は持ち場ごとに人夫をいくつかの作業グループに分け、それぞれにリーダーを決め、期間を設定して成果を競わせた。
最も成果を上げたグループには褒美を出すとしたので、指示も出してないのに夜遅くまで作業を行うグループが続出し、驚くような作業スピードで砦の設備が出来上がっていった。
ただ、各グループのリーダーが「隊長!」と呼ばれていたのには苦笑してしまった。
この時代の呼び方に合わせれば、「組頭」と呼ばせるのが良いだろうか。
秀吉をつかまえて聞いてみると、
「いやぁ、前世で俺の上司に「エリアマネージャー」ってのがおって、いっつもノルマ押しつけられてたから、同じやり方やってみたんよ。さすがに「エリアマネージャー」って名前言ってもわからんやろうから、呼び名を「タイチョー」にしたんや。」
「・・・あんまり現代の技術とか持ち込みすぎん方がいいぞ!?歴史変えてしもたら、訳わからんことになるし。」
「ラジャー!!」
本当にわかってるのかどうか。
思わず俺の口から出たため息は、幼なじみへの感嘆も混じっていた。
秀吉が前世でヨシローだったころ、本人いわく「ブラック」なコピー機販売会社に営業として勤めていた。
毎月ノルマを上司から割り当てられ、大変だとよく言っていたが、その手法をアレンジして成果主義を導入したらしい。
(けど、意外と現代のブラック企業の手法って、戦国時代でも充分に通用するんやな・・・。戦国大名の家中もたいがいブラックってことやな。)
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※森辺・十四条・軽海の戦いの経過を図解しました。
☆森辺・十四条・軽海の戦い経過図




