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第45話 天沢

 桶狭間の戦いの大勝利により、織田信長の武名は多いに上がった。

 これまでは尾張国やせいぜい隣国程度にしか知名度がなかったが、一躍他国にその名が鳴り響くようになったのだ。


 俺がそのことを実感したのが、信長に謁見(えっけん)(偉い人に会うこと)した、天沢(てんたく)というお坊さんの話からだった。

 彼は清洲から50町(5.5km)東、春日原の外れの「味鏡(あじま)村」にある天永寺という寺の住職だ。

 すべての経典を2度読破したという高名な僧でもある。


 現代では、お坊さんと会うのは法事のときくらいだろう。

 よほど信心深い人でなければ、日常でお坊さんと会う機会などほとんどない。


 だが、戦国時代では、なかなかどうして、会う機会が多い。


 まず、数少ないインテリ層なので、政治顧問や秘書官、行政官として大名家に仕える者が多く、日常的に城内で出会う。


 また、有力な寺の僧の場合、貴族や有力武家など支配層の出身者が多い。

 当然ながら彼らは支配階級の一員であり、無視できない勢力を持っていた。

 彼らは文化の担い手という一面も持っている。


 そして、天沢和尚(おしょう)のような地域の寺の住職も、重宝される存在だ。

 彼らは俗世を離れた、しがらみがない存在とされてるので、色んなところに割と自由に出かけて行くことができる。

 だから自然と情報通になり、信長のような有力大名が何かしらの情報を求めて会いたがるのだ。


 その日、信長は天沢に会い、東国の情報を聞いていた。

 天沢が所用で関東に行き、帰ってきたばかりであることを知っていたからだ。


「何ぞ、珍しい話はないか?」


 ひと通り諸国の情勢について聞いたあと、信長が聞いた。


「実は・・・甲斐(山梨県)の信玄公にお会いいたしましてな。ずいぶんと上総介様(信長のこと)にご関心深く、色々と問われ申した。」


 天沢の話はどれも興味深く、俺も聞き入っていたのだが、突然武田信玄の名が出てきて、より興味が増した。

 歴史上の有名人と会ったり、話をリアルタイムで聞くことほど、この世界で楽しいことはない。


「ほう・・・。どのような?」


 信長も大いに興味をそそられたらしく、食いついてきた。


「まずは上総介様の形儀(ぎょうぎ)(普段の行状、日常生活のこと)について聞きたいとの仰せでございました。拙僧から、朝は常に馬に乗られ、橋本一巴を師に鉄砲の稽古、市川大介を師に弓の稽古、平田三位を師に兵法(剣術)の稽古に励まれておられるよしを申し上げ、しばしば鷹狩り(鷹を使って鳥や小動物をとる狩り。軍事演習としても活用された)を催されるとも言上つかまつりました。」


「さようか。それを聞き、信玄公はいかなる容儀(様子)でおわしたか?」


「さほどご関心示されず、他に数寄(すき)(趣味)は何ぞないかと重ねて問いがござったゆえ、舞と唄を好まれると申し上げてござる。」


「であるか。」


「しからば、幸若舞の上手(名人)を召すのかと問われ、清洲の町人・友閑(ゆうかん)と申す者を師に、「敦盛」を舞い、唄われると申し上げてござる。すると、妙なものを好かれるのじゃな、いかなる唄か、唄ってみせよと言い出し、拙僧はついに真似をさせられ申した。」


 信玄は、戦死した今川義元の義弟にして同盟者だ。

 やはり、義元を討ち取った信長のことが気になって仕方がないらしい。

 信長の日常生活や趣味などの情報を聞き出し、「プロファイリング(他人の人物像を分析すること)」を行おうとしたのだろう。


 ただ、信長の日常は武士としてはありふれたものだし、舞を好むというのも、別に珍しいことではない。


(信玄も、とらえようがなくて困ったやろうな。それだけの情報なら、何で信長が大勝利を得たか秘密がわからんもん。それにしても、天沢さんも可哀想やな。「敦盛」の唄まで歌わされるなんて。それだけ信玄の信長に対する関心が高いってことやろか。)


「他に、どのような話をされたか?」


「されば、上総介様の鷹狩りの話をば、いたしました。鳥見の衆や向かい待ちのお話など、詳しく言上いたしましたぞ。」


 信長の鷹狩りは一風変わっている。

 他の鷹狩りと違い、リアリストの信長の性格がよくあらわれていて、優雅さなどまったくないが効率的だった。


 まず、「鳥見の衆」という者たちが20人、先発する。

 軍隊でいうところの「偵察部隊」だ。

 2人1組で獲物を探し、時には2,3里(8〜12km)も先行する。


 獲物を見つけると、ひとりはその場に残り、見逃さないように見張る。

 そして、もうひとりは戻って報告するのだ。


 報告を受けた信長は、「馬乗り」を務める山口太郎兵衛とともに現場へ向かう。


 手に鷹をとまらせた信長は馬の体に隠れ、獲物からは見えないようにして近づく。

 馬に乗る山口は、ワラにアブをくくりつけたものを持ちながら、ゆっくりと獲物との距離を詰める。

 やがて頃合いを見て、死角から信長が鷹を放ち、獲物を捕まえるのだった。


 しかし、鷹が獲物につかみかかっても、逃げられてしまう場合もある。


 そうした場合を考えて、信長は「向かい待ち」という役を配置していた。

 これは面白いことに農夫の格好をしていて、実際にクワを持って田を耕すマネをさせていた。

 そうやって待機していた彼は、鷹が獲物に飛びかかると、獲物を押さえる役を務めるのだ。


 見慣れた農夫姿に安心していた獲物は突然鷹に襲われ、さらに向かい待ちにも押さえつけられ、多くが成すすべもなく捕まるのだった。


 こんな鷹狩りをしているのは、信長くらいだろう。

 特に向かい待ちの農夫姿なんて、武士がやるような格好じゃない。


 そんな鷹狩りの話を聞いた信玄は、どんな反応を示したのだろうか。


「信玄公は、何と申された?」


 どうやら、信長も信玄の反応が気になったとみえる。


「上総介殿は戦上手と聞くが、その通りにござるな、と仰せでございました。」


 天沢によると、信玄は信長が評判通りの戦上手だと評価したそうだ。


 鷹狩りは軍事訓練でもある。

 普段の陣立てと同じ形で陣地をつくり、人を動かすからだ。

 効率的な鷹狩りは、統制のとれた軍隊を作るのだ。


 信玄もその点をふまえ、信長が戦上手だと評したのだろう。

 そして、信玄の口ぶりから推察するに、信長が戦上手だとの評判がかなり広まっているようだ。


(もはや、信長も「尾張の大うつけ」やないよな。たぶん、次はどこを攻めるかとか、周囲の勢力からは随分注目されてるんやろな。)


 桶狭間の戦いでは、信長軍にも多数の死傷者が出た。

 すぐには大規模な軍事行動に出られない状態にある。


 キズを癒しながら爪をといでいる信長が、次にどこへ兵を向けるのか。

 周囲が固唾(かたず)を飲んで見守るなか、その答えはただ信長の頭の中でとどまったまま時は過ぎていき、戦機が熟そうとしていた。

天沢長老の話は本編の大筋とは直接関係ないので丸々削ることも考えましたが、せっかく武田信玄が絡む話なので残しました。


『信長公記』の首巻に登場しますが、いつの時分の話か不明です。


ただ、信玄が信長を「戦上手」と認識しているので、桶狭間の後に持ってきました。


旅のお坊さんにモノマネを強要するなど、ムチャぶりする信玄という意外な一面が見られます。


筆者はこのエピソードで武田信玄に少し親近感を持ちました。

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