第43話 桶狭間の戦い(後編)
俺たち信長が敵の陣取る低い山に近づくに従い、空を黒雲が多いはじめ、辺りは急激に暗くなり始めた。
ついに矢頃(矢の射程範囲内)に入り、俺が矢をつがえたとき、突然大雨が降り出した。
このとき、強い風が俺たちの背中を押すかのように吹いていて、降り出した雨はその風によって横なぐりの豪雨となった。
後で聞いたところによると、戦場の北にある沓掛峠の楠の大木が東に向かって倒されるほどだったそうだ。
季節外れの雹を含んだつぶてのような雨は敵の顔を直撃し、折しも俺たち信長軍の弓手(弓矢部隊)が放った矢とともに襲いかかるかたちとなった。
嵐はすぐにやみ、空にはまた晴れ間がのぞき始めたが、そのこともまた異様な何かを感じさせた。
(なんともまた・・・。信長という人は、どこまでも運の強い人や。これも天命ってやつやろか。)
俺は本気でそんなことを考えながら、何度も遠矢を射かけた。
周囲も同じように感じたようで、「これは熱田大明神の神慮による戦ではあるまいか。」などと言って信長への畏敬の念を示していた。
一方、敵から飛んでくる矢は散発的なもので、明らかに勢いがなく、混乱している様子が見て取れた。
まさか数が少なく低地にいた信長軍が、高地に陣取る自分たちを攻めてくるとは思ってもいなかったらしい。
さらにそこへ、突然の目も明けていられないような嵐だ。
混乱するのも無理はなかった。
もちろん、そのような敵の様子を見逃す信長ではない。
槍を手に大声で叫ぶ。
「やぁ、敵は臆した(ひるんでいる様子)と見えるぞ!かかれ、かかれ!!」
信長の声を聞くやいなや、槍を揃え黒煙をあげて突撃がはじまった。
対する今川軍の様子は様々だった。
勇ましく槍をとって向かって来る者、へっぴり腰で矢を放つ者、早くも逃げはじめる者。
戦闘への意識統一ができていなければ、何人いようと勝てるわけがない。
たちまち今川軍は崩れ、水をまくように後方へ逃げ出した。
後には弓、槍、鉄砲、幟、差し物(背中に差す旗)が散乱し、まさに算を乱して逃げるといった風景だった。
今川軍前衛部隊の潰走は後方の部隊にも次々に波及し、今川軍は総崩れとなっていった。
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信長軍の先頭を切って進んでいたのは九坪領主・梁田弥次右衛門だった。
この男、かつて萱津の戦いにおいて那古野弥五郎らとともに清州軍を裏切り、信長に勝利をもたらした男だ。(第15話参照)
以後信長に忠誠を誓い、今回の戦いでも手勢を率いて参戦し、抜群の働きを見せていた。
弥次右衛門は今川軍を蹴散らしながら進み、やがてひときわ立派なまん幕が張られた一角に達した。
(これは・・・かなり高名な将の陣と見えるな。さて、誰であろう。)
突然現れた立派な陣営に、弥次右衛門は驚き、誰の陣地かと怪しんだ。
中には人の気配はなく、陣の主は逃げ出した後のようだ。
何か手掛かりはないかと探すうち、弥次右衛門は打ち捨てられた朱塗りの輿を発見した。
(なんと贅沢な輿じゃ。かような物に乗るは、ひとりしか考えられぬ。ここは今川治部大輔(今川義元のこと)の本陣であろう。)
大名クラスの身分が高い者だけが使う輿を見て、弥次右衛門はここが今川の本陣であると確信した。
ただちに周囲の数人に命じ、後方の信長へ知らせに走らせた。
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「何、今川の本陣を見つけたとな?でかした!」
梁田弥次右衛門からの知らせを受け、信長は文字通り狂喜した。
それを見て、俺はやはり信長が今川本軍を狙って攻撃したのではないことを知った。
「みな、ついて参れ。雑兵など捨ておけ!今川治部大輔の首をあげるは今ぞ!!」
「おうっ!!」
信長の大声に対し、周囲が力強く応える。
何とか食い止めようとわずかに立ちふさがる今川兵を突き崩し、今川本陣を越えて、俺たち信長親衛隊はどんどん進んでいった。
しばらく進むと、前方に3百人ほどの整然と退いていく敵集団が見えた。
「義元の旗本はあれぞ!あれにかかれ!!」
信長の大声が響く。
それを聞き、猟犬のように我先にと馬廻りや小姓たちが襲いかかる。
たちまち敵は数を減らし、やがては50人ほどとなった。
敵兵の囲みの中に、ひときわ立派な出で立ちの武将の姿も見えるようになった。
信長も馬を下り、槍を取って、周囲を固める若武者たちと先を争うように敵を突き伏せ、突き倒していく。
信長軍全体の興奮は最高潮に達していた。
みな血相を変えて敵に襲いかかり、火花を散らすようにして戦った。
不思議と旗指物の確認については理性が働き、同士討ちをはじめる者はほとんどいなかった。
いまや敵も必死であり、信長の馬廻りや小姓にも多数の犠牲が出たが、誰一人戦いをやめようとする者などいない。
ついに、敵の旗本はほとんど打ち倒され、俺の視界に総大将らしい敵武将へ向かっていく味方の姿が映った。
「服部小平太、参る!」
と言って一番槍をつけた者は膝のあたりを切られ、倒れ伏したが、
「毛利新介、推参!!」
と叫んで迫った者の槍が敵将の胴に吸い込まれるのが見えた。
崩れ落ちた敵将に毛利新介がのしかかり、次の瞬間手に何かをつかんで叫んだ。
「今川治部大輔、討ち取ったり!!」
(ああ、やっぱりあれが今川義元だったか!)
その声を聞いた瞬間、俺は身体の奥深くから何かが突き上げてくるような感じにとらわれた。
信長が今川義元を討ち取った強運にも感嘆する思いもあったが、何より歴史的な瞬間に立ち会えた感動が大きかった。
「おおう!!」
「聞こえたか、我らの大勝利じゃ!!」
周囲にこだまし始めた味方の歓声にシンクロするようにして、俺も言葉にならない叫びを発し、腕を天に向かって突き上げていた。
直後、戦場の空気は一変した。
勝利を確信し、疲れも忘れて敵に襲いかかる信長軍に対し、今川兵は我先にと逃げ出した。
しかし、深田にはまったり、起伏に富み木々の生い茂った地形に迷い、次々に追いつかれて命を落としていく。
少数ながら立ち向かってくる今川兵もいた。
なかでも、2百人くらいの統制の取れた敵部隊の反撃が目についた。
彼らは先頭に立って突撃してくる敵将に従って勇敢に戦い、最後のひとりまで逃げずに玉砕してしまった。
後で聞けば、遠江国二俣城主・松井宗信とその手勢だったと言う。
また、単騎で突撃してきた、ひとりの敵兵の奮戦も目立った。
「日頃たまわった恩に報いん!!」
と大声で叫びながら槍を振るい、暴れまわったので、ようやく数人がかりで倒すことができた。
後で確認したところ、山田新右衛門という日頃から義元が目をかけていた駿河の武士だったそうだ。
この時代、武士のなかには日頃主君から受けた恩や先祖代々主家から受けてきた恩のため、命を捨てる者が珍しくない。
もともと現代人の俺にはない発想ではあるが、そのブレない潔さは目の当たりにした俺に感動を与えた。
彼らは主君だけでなく、己の信念にも殉じて散っていったのだ。
俺は彼らの散りざまを忘れてはならないとの思いに駆られ、記録に書き残すことにした。
戦場にほのかに夕闇が色を添えはじめたころ、すべての戦闘が終わった。
信長はその日のうちに清州へ帰ることを決め、首実検は明日清洲で行うと布告した。
ただ、義元の首だけを確認し、勝鬨をあげた。
引き上げを開始していく味方のなかに、俺は今朝知り合った足軽組頭の姿を見つけた。
お互い無事だったことに安堵し、声をかけた。
「ご無事で何よりです。手柄は立てましたか?」
「いや、サッパリ。雑兵首ばかりですわ。」
組頭は照れたように笑う。
俺はあまり口数が多い方ではないし、いつもならその辺で会話が終わるところだ。
だが、興奮冷めやらぬ俺は、話を続けた。
「大丈夫。兜首をあげるだけが手柄ではありません。いずれチャンスがありますよ!!」
組頭は一瞬驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になり、会釈をして去っていった。
清州に帰る途中、熱田の方角が騒がしかった。
信長が人をやって確認すると、今川に味方する二之江・鯏浦の領主・服部左京進友定が熱田に攻め寄せたが、熱田の町衆が撃退したとのことだった。
服部は大高城の沖合に千艘と称する船団を浮かべていたが、信長軍が鳴海城方面へ進んだのを知り、熱田が手薄であると考えて攻め寄せたのだ。
伊勢湾西部に勢力を張る服部家にとって、熱田は手ごわい商売敵だった。
ドサクサにまぎれて攻撃したものの、熱田の町衆は十分に引き付けてから反撃し、数十人を討ち取ったのだ。
清州に帰り着くと、信長は翌日首実検を行った。
捕えた義元の同朋衆(大名などに仕えて奥向きの用を担う僧侶)に証言させ、義元の最期の状況を聞き出すとともに、討ち取った首が誰であるか確認した。
また、鳴海城の岡部元信がすぐに去りそうになかったため、首実検に立ち会わせた同朋衆ら10人の僧に義元の首を持たせて鳴海城へ行かせ、首と引き換えに鳴海城を明け渡させた。
同じように大高・沓掛・池立鮒(知立)・鴫原(重原)の城兵たちの退去を許し、諸城を接収した。
信長が得たのはそれだけでなく、今川義元が腰に差していた「左文字」という名刀を試し切りしたうえで差料(自分が常に差す刀)とした。
最期に、今川義元の供養のため、清洲城の南20町(約2.2km)の須賀口に「義元塚」を作らせ、大きな卒塔婆を立てて千部経をあげさせた。
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その後の数日、清洲城下は戦勝に沸いていた。
どこへ行っても過去に例のない大勝利の話題で持ちきりだった。
それは我が太田家も変わりがなく、常にないにぎやかさだった。
俺が部下の手柄話に耳を傾けていると、側近の右近が来客について知らせてきた。
「殿、木下藤吉郎という者が目通りを願っておりまする。」
(木下・・・藤吉郎!?豊臣秀吉やないか!!何で突然やって来たんや!?まぁ、いい。こっちがぜひとも会いたいと思う人物が、向こうから来てくれたんや。会おう。)
「丁重にここへお通しせよ。」
「・・・は?たかが足軽組頭にございますぞ!?」
「いいから、通せ!」
やがて右近に案内されてやって来たのは、先日の桶狭間の戦いの際に知り合った足軽組頭だった。
なるほど、本物の秀吉なら、あの人懐っこさは理解できた。
何だかわからないが、引き込まれるようにこちらから口を開いてしまうような不思議な人柄なのだ。
「お会いいただき、ありがとうございまする。木下藤吉郎にございます。」
「よう参られた。太田又介にござる。」
「先日は太田様とは存じ上げず、ご無礼をいたしました。」
「いやいや、さようなことは気にしておりませぬ。して、本日は何用で?」
「それには・・・お人払いをお願いしたく!」
何の用事か知らないが、秀吉は2人だけで話したいらしい。
「わかりました。右近、遠慮せよ。」
「しかし・・・」
「いいから、下がれ。」
右近は主君を得体の知れない男とふたりきりにすることへの不安を露骨に見せながら、しぶしぶ下がっていく。
「で、木下殿、いかなる御用でしょうか?」
すると、秀吉は大きく息を吸い込んだ後、打って変わって低い声を出した。
「なぁ、お前、マタスケやろ?」
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※信長の進路(中島砦以後)を図解しました。
☆桶狭間の戦い 信長の進路(中島砦以後)
今作では「簗田弥次右衛門=簗田出羽守政綱」としており、梁田が「戦闘中に」今川本陣を発見し、これを信長に通報したとする話を創作しております。
清洲城北方の九坪領主だった梁田政綱は、桶狭間の戦い後に沓掛城を与えられていますが、どういう戦功で与えられたのかが不明です。
小瀬甫庵の『信長記』では梁田が今川本陣の所在地をつかむ大手柄を立て、それによって奇襲攻撃が成功したことから「戦功第一」とされたとあります。
しかし、今作では信長が今川本陣を奇襲したとする説を取っていないため、清州軍との戦いの際に信長へ寝返った功績と桶狭間の戦いにおいて交戦中の敵が実は今川本軍だったとの情報をいち早く信長へ報告した功績によるとしました。




