第42.5話 桶狭間の戦いって奇襲なん?
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第43弾です。
今回のテーマは、桶狭間の戦いって奇襲なん?です。
桶狭間の戦いの経過や場所などについて取り上げました。
ぜひご一読ください。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「桶狭間の戦いって奇襲なん?」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
今回も桶狭間の戦いについてか。結構深く取り上げるんやな。
大田勇介
まぁ、そんだけ有名な戦いやからな。
ヨシロー
で、今回は奇襲?についての話?
マタスケ
それもあるけど、全部で次の3つについて見ていく。
①桶狭間の戦いは信長による奇襲やったん?
②信長は迂回攻撃をしたん?
③桶狭間の戦いがあった場所って、現在のどこなん?
ヨシロー
まずは①からやな。信長が奇襲したかどうかってことやな。
マタスケ
うん。奇襲ってのは、思いもかけない突然の攻撃のこと。つまり、これまで主流やった説では、信長が今川軍に対して思いもよらぬ攻撃をかけた、だから圧倒的少数やった信長軍が大勝利して、敵のボスである今川義元まで倒せた、とされていた。
ヨシロー
そういや、信長軍より今川軍の方が10倍とか20倍多いって話やったんやっけ?そりゃ、普通の戦い方では勝たれへんって話になるよな。
マタスケ
そういうこと。けど、『信長公記』を読んでも、奇襲をかけたという記述はない。信長は「相手は疲れ切ってる兵隊やけど、こっちはフレッシュや。数が少なくても十分勝てるぞ!」とは言ってるけど、相手の意表をついて攻撃するとは全然言ってない。
ヨシロー
『信長公記』が間違ってるってことはないんか。
マタスケ
奇襲説の大元をたどったら、江戸時代初期に小瀬甫庵という人が書いた『信長記』という本に行き着く。これは太田牛一の『信長公記』をベースにして書かれた「小説」で、かなり話を盛って書いてある。だから、実際に信長の家臣やった牛一の『信長公記』に比べて、甫庵の『信長記』は資料的価値が低いとされてる。甫庵の『信長記』の方が牛一の『信長公記』より話は格段にオモロイんやけどな。
ヨシロー
つまり、甫庵の『信長記』は話盛ってるから、ウソの可能性が高い。せやから、奇襲説の方が根拠が怪しいってことか?
マタスケ
そう。牛一は実際の桶狭間の戦いに参加してた可能性が高い。それに『信長公記』は他の資料と突き合わせても一致する点が多いから、記録者としての牛一への信用は厚い。総合的に考えれば、牛一が書き残した「普通に正面攻撃した」って話の方が事実だった可能性がはるかに高いってことや。
ヨシロー
今川軍が油断してたから、奇襲になったって話はないんか?
マタスケ
その可能性はあるけど、それは信長が狙って奇襲をした話とは言えんよな。あくまで信長は正面から普通に攻撃した結果、相手の都合で思った以上にうまくいったってだけの話や。
ヨシロー
じゃあ、②の迂回攻撃の話は?
マタスケ
これも甫庵の『信長記』が元になっている説やな。その話を簡単に説明すると、信長は正面からでなく遠回りして今川軍の目につかない山側を通り、今川義元の本陣に奇襲をかけた。突撃の直前に大雨が降りだし、より奇襲の効果が上がった。だから、攻撃は大成功し、圧倒的多数の今川軍に勝ち、敵のボスである今川義元も倒すことができた、となる。奇襲の話とセットになる話やな。
ヨシロー
甫庵の『信長記』が元ネタってことは、これも怪しいってことか?
マタスケ
そやね。むしろこっちの方が非現実的やね。中島砦から出撃し、今川軍の目から姿を消して進撃するのはいいとして、その間は逆に信長軍からも今川軍の状況がわからんことになる。せっかく道なき道を走破して、いざ今川の本陣に攻め込んでみたら、相手は1時間も前に移動した後でした!なんてことにもなりかねん。それに敵がまだ動いてなかったとしても、重装備でさんざん山の中を歩き回った後なら、信長軍の方が消耗してボロ負けする可能性もある。「小説」としてはオモロイけど、実際にやろうとしたらかなり無理がある説やな。
ヨシロー
けど、それやったら、信長はたいしてスゴイことしてないって話にならんか?
マタスケ
単純に倍の人数の今川本軍に勝ってるし、信長軍の強さとそれに対する信長の自信はスゴイやろ。普通は明らかに数が少ない方から積極的に攻撃できんで!今川軍もそんなにあからさまに油断してる様子もないんやしさ。それに、信長の柔軟な作戦と決断力もスゴイと思う。
ヨシロー
どういうこと?
マタスケ
丸根・鷲津の陥落や佐々・千秋隊の惨敗で、当初の戦況は信長の予想よりはるかに悪かった可能性がある。けど、刻々と変わる状況の中でも信長はあきらめることなく打開策を見つけ、瞬時に決断して行動し、結果的にビックリするような大勝利をあげた。相当な強運もあったけど、それを引き寄せたのは信長の作戦修正力と決断力のおかげやからな。奇襲とか迂回攻撃とか関係なしに、信長が優れた指揮官やってことや。
ヨシロー
なるほどな。そう言えば、③がまだやったな。桶狭間の場所ってわからんのか?
マタスケ
正確に言うと、有力な候補地が2つあって、どっちかわからんってことや。
ヨシロー
それはどことどこなん?
マタスケ
ひとつは現在の愛知県豊明市の「桶狭間古戦場伝説地」、もうひとつは名古屋市緑区の「桶狭間古戦場公園」やな。
ヨシロー
筆者はどっちが正解やって考えなん?
マタスケ
結論から言うと、「どっちも」やな。
ヨシロー
それはズルいやろ!!
マタスケ
いや、ちゃんと理由があんねん。『信長公記』を読むと、今川義元は本陣で戦死したんやなくて逃げてる途中で追いつかれて戦死したって書かれてるし、他の今川軍の兵たちも逃げる途中に深い田んぼにはまったりして戦死したと書かれてる。そこから相当広範囲で戦闘が行われたことがわかる。2つの候補地は直線距離にして1kmくらいしか離れてないし、その辺一帯で戦闘が行われてたっていうのが筆者の考えやな。
ヨシロー
最初に今川義元がどのへんにおって、どこでやられたとかの目星もついてないんか?
マタスケ
今作では次のように書いてる。
①現在の豊明市辺りにあった「桶狭間山」に義元が本陣をおく。
↓
②信長軍の攻撃で味方が大混乱したから、義元は安全のために味方が大勢いる大高城方面へ逃げ出す。
↓
③深い田んぼや生い茂った木のせいで逃げ切れず、現在の名古屋市緑区の辺りで追いつかれて戦死。
ヨシロー
どっちの顔も無理矢理立てた、「しょうもない説」やな・・・。
マタスケ
所詮は「小説家(笑)」の妄想やからな。
ナレーション
お後がよろしいようで。
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※桶狭間(山)の位置を図解しました。
☆桶狭間位置図
桶狭間の戦いの戦闘経過については、『信長の戦争』(藤本正行著 講談社)をベースにしました。
この本は『信長公記』を優れた軍事資料として取り扱い、信長の戦争についてアプローチした良書です。
筆者は色々な戦国関係の本を読みましたが、信長の戦いについて最も説得力がある本だと考えています。
今作は『信長の戦争』と同じスタンスで信長に向き合おうとしているため、今後も今作は『信長の戦争』の主張と同じような戦闘風景が描かれることになるでしょう。
もちろん、丸パクリをするつもりはありませんが、筆者の考えを若干加えた「マイナーチェンジ」になってしまう可能性が高いです。
分量もコンパクトなので、リアルな信長の戦いについて興味がある方は、手にとってみることをおすすめします。




