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第42話 桶狭間の戦い(中編)

 永禄3年(1560年)5月19日未明、信長は熱田へ向かって駒を進めていた。

 従う者はわずか5騎しかいない。

 岩室長門守(いわむろながとのかみ)、長谷川橋介、佐脇(さわき)良之、山口飛騨守、加藤弥三郎という小姓たちであった。


 いつもながら、急すぎる信長の行動に、ピッタリついて行くことは難しい。


 わずかに遅れて城を出た俺も、必死に追いかけたが、歩兵を含む部隊では、騎馬に追いつくのは難しい。

 結局、一度も信長の姿を見ることなく、熱田への3里(約12km)の道を急いだ。


 そんななか、足取り軽く俺たちを抜いて行く徒歩の集団があった。

 20人ほどの足軽部隊で、長い槍を持ちながら驚くほどのスピードで走る。


「殿はまだ先ですか〜?」


 集団の頭らしい男が聞いてきた。

 人懐っこい笑顔を浮かべていて、初対面ながら親しみやすさを感じる。


「ええ、騎馬ですから、我々も随分離されたと思います。でも大丈夫。行き先は熱田ですよ!!」


「へぇ、それはええこと聞いた。なら、先を急ぎますわ。じゃ、また!」


 頭は礼をのべると、ズンズン行ってしまった。


「我らも急ぐぞ!」


 俺は部下たちを励まし、道を急いだ。


 辰の刻(午前8時ごろ)に熱田へ着くと、俺たちは信長がいる熱田神宮(上知我麻(かみちかま)神社)に向かった。

 信長は戦勝祈願を行っているらしい。


 行ってみると、そこにはすでに2百人ほどが集まっていたが雑兵(ぞうひょう)ばかりで、騎馬武者は信長含めて6騎しかいない。

 これから戦いに行くには少なすぎる人数だった。


 さっき出会った足軽組頭を見つけたので、信長の様子を聞いてみた。


「いや、別に普通にお参りしてはりましたで?シーンと静かなもんでしたわ。」


 どうやら、こういう時につきものの、奇跡みたいなものはなく、粛々とお祈りが捧げられたらしい。

 ただ、社から海の向こう南東の方角に煙が立ち昇っているのが見え、どうやら丸根・鷲津の両砦が落ちたらしいと囁かれていた。


 やがて、俺は小姓に取り巻かれた信長の姿をみつけ、膝をついた。


「又介、よう参った。他の者どもはまだのようじゃ。情けないことよ。」


「ありがとうございます。どうやら・・・丸根・鷲津が落ちたようで。」


「うむ。大学(佐久間盛重)や叔父御(織田秀敏)らは生きてはおるまい。仇を討たねばな。」


「では、さらに進撃を?」


「まずは丹下へ向かおうぞ。今は潮が満ちておるゆえ、山手の道を取るのじゃ。」


 信長の命令のもと、山手の迂回路を取って丹下砦へと向かった。

 山と言っても丘のような高さであり、特に高低差が厳しい道のりではない。


 丹下砦に入ると、付近はまだ平穏な雰囲気に包まれていた。

 今のところ、鳴海城方面には敵の軍はまだやってきていないらしい。


 続々と追いついてくる兵をまとめ、砦の守兵の一部を引き抜いて1千ほどになった軍を率い、信長はさらに南下を指示した。

 次の目的地は鳴海城の東、同じ台地上にある善照寺砦だった。

 ここは5つの砦の中で最も広く、佐久間信盛・信直兄弟が守っていた。


 善照寺砦に入ると、信長は出迎えた佐久間信盛に周囲の状況について尋ねた。


「丸根や鷲津はどうじゃ!?敵はいずこにおる?」


「無念ながら、両砦とも落ちましてございまする。大学殿や玄蕃允様らの生死は知れず。敵の先手(前衛部隊)が向かいの山にまで出張っておりまする。」


「であるか。」


 その時、はるか遠くの方で大きな喚声があがった。

 敵襲だろうか。


「何ごとじゃ?いかがした!?」


「はっ。佐々(さっさ)孫介(政次)殿、千秋(せんしゅう)四郎(季忠)殿らが殿に手柄見せんと敵に挑まれたよし。」


「人数は?」


「3百ほど。」


「たわけめが!さような小勢で戦うて、どうなるものでもないわ。早う呼び戻せ!!」


 佐久間信盛の報告を聞き、信長はいらだちを露わにした。


 信長はこれから今川軍と一戦交えようと考えていた。

 そのため、清洲城から追いかけてきた兵や、丹下砦や善照寺砦の守兵の一部を引き抜き、一兵でも多く人数をかき集めようとしていた。


 それなのに、一部の将兵が抜け駆けをし、たった3百人で今川軍の前衛部隊に攻撃をしかけたという。

 作戦の前に貴重な兵を無駄死にさせたくない信長は、怒りを爆発させたのだった。


 しかし、もはや交戦中の彼らをすぐに呼び返すことなどできない。

 結局、佐々や千秋ら50人あまりが討たれ、抜け駆け組は無惨に逃げ崩れた。


 その様子を遠望した信長は、命令をくだした。


「これより中島へ行く。みな、ついて参れ!」


「お待ちくだされ。中島への道は細い一本道。しかも両側は深田にして、足を踏み込めば動けず、一列で進むしかございませぬ。」


「今ここを出れば、敵の目に味方の少数なることを(さら)してしまいまする。」


「左様、今は動くべきではございませぬ。」


 信長がくだした中島砦への移動命令に対し、周囲に控える重臣たちは口々に反対した。

 彼らの反対理由はもっともなことだった。


 今いる善照寺砦も中島砦も、向かいの山に陣取った今川軍の視界のうちにある。

 まだ明るいうちに移動したら、敵にこちらの正確な人数を教えてしまうことになるのだ。


 それに、中島砦は川の中洲のような低地にあり、進むのも退くのも難しい場所だ。

 軽はずみに向かうのは危険だった。


 だが、信長は強行した。

 中島砦へ入り、ようやく兵力は2千弱となった。


 その頃、今川本軍は午の刻(正午ごろ)までには桶狭間山に到着し、北西に向けて陣取っていた。

 また、警戒のため、鳴海城方面の丘陵に前衛部隊を出していた。

 信長が目にした今川軍はこの部隊だった。


 ここまで今川軍は絶好調だ。

 夜明け前に丸根・鷲津の両砦を落とし、大高城の包囲を解いて兵糧等の搬入に成功した。

 そして、つい今しがたも信長軍の攻撃を退け、数十人を討ち取った。


 今川義元は味方の戦果に上機嫌だった。

 丸根・鷲津の攻略を聞くと、「満足これに過ぐるものなし。」と言って(うたい)を三番もうたい、佐々らを討ち取って「余の矛先(ほこさき)には天魔・鬼神すらかなうまい!!」と言いながらまた謡をうたった。


 激戦により三河衆・遠江衆には大きな被害が出ていたが、織田軍の方が痛手を受けている。

 圧倒的に有利な状況に、今川軍の緊張も少しやわらいだ状態にあった。


 信長が中島砦を出て、いよいよ今川軍に戦いを挑もうとしたのは、そんな頃合いだった。

 信長はまたもや馬にすがりついてとめる重臣たちを振り切り、大音声で部下を鼓舞した。


「みな、よく聞け!あれに見える今川の兵は、昨夜に腹ごしらえをして夜どおし行軍し、丸根・鷲津の我が兵に手を焼き、大高へ兵糧を入れ、疲れ果てたる者どもじゃ。しかるに、こなたは新手(あらて)(疲れていないフレッシュな兵隊)ぞ。」


 名演説だった。

 敵はこっちより疲れており、恐るに足りない。

 そう言われて、周囲の味方の様子が変わり、明らかに士気が上がった。


 信長のスピーチは続いた。


「小勢に過ぎぬとて、多勢の敵を恐れるでない!勝敗の運は天命によるものぞ!!敵が掛かってくれば引き、敵が退けば追え。何としても敵を練り倒し、追い崩せ!!容易いことであるぞ!!」


「おうっ!」


 将兵たちが大声で応じる。


「敵の武具など分捕るな、捨ておけ!勝ちさえすれば、参じた者はみな、家の名誉、末代までの高名ぞ。ただ励め!!」


「おぉうっ!!」


 信長の演説が終わると、さらに大声でみなが応じた。


 その時、佐々らと出撃していた前田利家、毛利長秀、毛利十郎、木下嘉俊(よしとし)、中川金右衛門、佐久間弥太郎、森小介、安食(あじき)弥太郎、魚住隼人(はやと)らが討ち取った敵の首を持って帰還してきた。


 信長は彼らにも同じ内容を伝え、休息を終えたら戦線に復帰するよう言い含めた。


「出陣!」


 信長のよく響く声を合図に、砦の守兵を残して全軍中島砦を出撃した。


 いよいよ迫った決戦を前に、俺は胴が震えるのを感じた。

 これが武者震いというものか。

 高揚感を感じながら、俺はひとつの事実に気づいていた。


(信長はこれから戦う敵軍が今川の本軍とは言わなかったな・・・。むしろ戦い疲れた兵やと言って味方を励ましてた。これは、最初から義元の首を狙ってはないってことやな。)


 信長の作戦とは、今川軍のいずれかの部隊を野戦で撃ち破ることであって、本軍にこだわらないようだ。

 現代で聞いた話と違うなぁ、と思いながら、俺は歩を進めていた。


 今川軍へ向けて近づきつつあるころ、急速に空がかき曇り始めた。

 それは何かの前兆のようだった。


 ……………………………………………………………


 ※信長の進路(中島砦まで)を図解しました。


 ☆桶狭間の戦い 信長の進路(中島砦まで) ※3D

挿絵(By みてみん)


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