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第41話 桶狭間の戦い(前編)

 永禄3年(1560年)5月、今川義元は本拠である駿河国の駿府館を出発し、西へ向かった。

 当初数千に過ぎなかった兵力は、駿河・遠江・三河の今川領を進むうちにふくれ上がり、5月17日に沓掛城に入城する頃には総勢2万を超える大軍となっていた。

 義元は総勢4万5千と号し、自軍を鼓舞するとともに尾張国内の動揺を狙った。


 翌5月18日朝、沓掛城内では主な今川軍の武将たちが集められ、軍議(作戦会議)が開かれた。


「では、織田の主力は鳴海・大高の辺りには見えぬと申すのじゃな?」


 議論を交わす前に細作からの情報を確認し、総大将の今川義元は意外な面持ちで聞いた。


「はっ。織田の本軍らしき影は見当たりませぬ。恐らく、まだ清洲を動いておらぬものと見受けまする。」


()せぬな。砦を守るため、鳴海か大高の辺りに陣を取るであろうと思うたが・・・。まぁ、良い。されば、敵の砦はいずれも手薄ということじゃ。」


「左様にございまする!」


「これは願うてもない好機。ただちに出陣の御下知を!!」


 織田信長の本軍との合戦を覚悟してきた今川軍首脳部だったが、意外にもその可能性が消滅したことに胸を撫で下ろした。


 公称4万5千、実数2万の今川軍だが、実際の戦闘要員は1万程度だ。

 鳴海や大高周辺で信長本軍に守りを固められ、それとの戦いで消耗すれば、織田の砦を攻め落とす余力がなくなるかもしれない。


 また、今川軍は遠征軍であり、補給の問題から作戦の短期終結を望んでいた。

 そして、現時点ではそれに都合の良い状況が生じていたのだ。


 信長本軍は見当たらず、戦略目標である織田方の砦には数百人ずつの守兵しかいない。

 急ごしらえの砦だから、数倍の兵力で急襲すれば撃ち破ることは十分に可能だろう。


 問題は、鳴海城と大高城のどちらから救援するかだ。

 言い換えれば、どの砦から攻撃するかだった。


 議論の末、進軍先として決定されたのは大高城方面。

 攻撃目標は丸根砦と鷲津砦だ。


 理由は2つある。


 ひとつは、鳴海城より南に位置する大高城周辺を作戦地域とすることで、信長本軍との遭遇を可能な限り避けたかった。


 砦への攻撃開始後、信長本軍と戦う事態になれば、今川軍に思いも寄らぬ混乱と被害が出る恐れがある。

 清洲城からより遠い大高方面に出ることで、そのリスクを少しでも減らそうとしたのだ。


 もうひとつは、信長の同盟者・水野一族に備えるためだった。


 先に大高城を解放すれば、この城は水野軍をけん制する存在として息を吹き返すことになる。

 後で鳴海城方面へ軍を進めるにあたり、後方への備えを軽減できる効果は大きかったのだ。


「では、まずは丸根・鷲津攻めをいたす。今宵出立し、夜明け前に潮が引くのを見計らって攻撃せよ。丸根へは元康(松平元康、後の徳川家康)の三河衆、鷲津へは泰朝(朝比奈泰朝)の遠江衆が参れ!元康は輜重(輸送部隊)を連れて行くのじゃ!!」


 軍議の結果を受けて、今川義元が作戦を決定した。


 松平元康の三河衆2千数百を丸根砦の攻撃部隊に、朝比奈泰朝率いる遠江衆2千数百を鷲津砦の攻撃に割り当てた。

 総勢1万の今川軍のうち、実に半数にあたる兵力を投入し、大高城の解囲作戦(敵の包囲を打ち破る作戦のこと)を実行に移したのだった。


 それに加えて、より南に位置する丸根砦を受け持つ松平元康に対し、輸送部隊を同行させて大高城への物資搬入も行うように命じた。

 しかし、これには異論が出た。


「輜重を?しかし、悪くすれば足手まといになりかねませぬぞ!?」


 非戦闘部隊である輸送部隊は行軍速度を遅くするだけでなく、戦闘時に弱点となりかねない。

 慎重な意見が出るのは当然だ。


 だが、今川義元は勝負師だった。


「いや、鳴海の城も救わねばならぬのじゃ。ぐずぐずしておっては、上総介(織田信長のこと)が出張って参ろう。一刻も早く大高に兵糧など運び入れ、鳴海へと兵を進めたい。余も中軍(本軍のこと)を率いて明朝より出立し、鳴海をうかがう。」


 信長本軍がいないうちに大高城を救うだけでなく、鳴海城の救援についても道筋をつけたいと言うのだ。

 そのため、義元自身も本軍を率いて沓掛城を出、三河衆や遠江衆らが通って安全が確保されている道をたどり、鳴海・大高両城にアプローチしやすい位置まで進出することを決めた。

 鳴海城南東の起伏に富んだ丘陵地帯がその進出地点として選ばれ、明朝出発することとなった。

 ちなみに、その進出地点とされた場所の名を「桶狭間山」といった。


 5月18日夜、三河衆と遠江衆は沓掛城を出て西に向かった。

 目的地である丸根・鷲津の砦は直線距離にして2里(約8km)離れており、夜間で輸送部隊を伴う行軍であることを考慮しても、夜明け前には攻撃を開始できる見込みだった。

 今川軍はあわよくば夜襲による奇襲効果を見越し、攻撃を行うつもりだったのだ。


 だが、この出撃はすでに織田方の丸根や鷲津の砦に知られてしまっていた。

 沓掛城に送り込まれた織田の細作が、慌ただしく出撃準備を行う城内の様子でそれと察し、攻撃目標が丸根・鷲津両砦であることまで突き止め、急報したからだ。


 丸根砦の佐久間盛重、鷲津砦の織田秀敏はこの情報を得ると、戦闘準備を進めるとともに、ただちに清洲城の信長に向けて通報した。


 ……………………………………………………………


 今川軍が出撃準備に忙殺されていた5月18日夕刻、清洲城に丸根砦や鷲津砦から相次いで今川軍の作戦についての報告が届けられた。


 丸根や鷲津から使者が来たことを知り、信長がいる大広間に重臣たちが続々と集まってきた。

 信長が召集したのではなく、使者の報告を受けている信長のもとへ自発的に集まってきたのだ。

 城内はピリピリした雰囲気に包まれており、いたたまれなくなって集ってきた者も多かったようだ。


 使者の報告を聞いても、信長は特に目立った反応を示さなかった。

 使者を(ねぎら)って返すと、集まった重臣たちと話をはじめた。

 しかし、それは作戦に関することではなく、全然無関係の世間話だった。


 いつも通り隅でメモを取りつつ同席している俺の目から見て、重臣たちがみなジリジリとしている様子なのが見てとれた。

 これは当然のことだろう。

 今この瞬間、丸根・鷲津両砦は今川軍の攻撃を受けているかもしれないのだ。

 友軍の救援のため、軍議が必要だと感じているのだ。


 だが、総大将の信長は、そんな様子を全く見せず、世間話に夢中になっていた。

 信長が作戦について何も語らない以上、誰も言い出すことはできなかった。

 時間だけが、ただただ過ぎていった。


 そもそも、信長が当主となって以来、軍議らしい軍議をしたことがなかった。

 信長は常に作戦を考える立場であり、命令を下す立場だったのだ。


「夜もふけた。みな、引き取って休むが良い。」


 信長の一言で、その場は解散となった。


「織田の家運も、もはや尽きたか!口惜しいことよ。」


「殿の知恵の鏡も曇ったようじゃ!!」


 重臣たちは信長の振る舞いを悔しがり、嘲笑いながら帰宅していった。


「又介、そちも下がって良いぞ。」


 信長は俺にも休息を命じた。


 だが、俺は信長がなぜ何の対策も打たずに過ごしているのか気になって仕方がなかった。

 この時代、救援に行かなければ、家臣に裏切られてしまう。

 重臣たちの前で見せた信長の態度は、部下の不信感を生むだけでなく,勢力の崩壊にもつながりかねない。


 では、なぜすぐに助けに行かない?


 俺は信長の人生について全てを知ってるわけではないが、さすがに桶狭間の戦いの流れについては知っている。

 信長は夜明けごろには出撃し、最終的には桶狭間へ向かうのだ。


 出撃する気マンマンなのに、なぜ!?


 先ほどまでの雑談を眺めながら、俺は自問自答を繰り返し、ひとつの答えに行き着いた。

 その答えは、何か作戦上の都合ではないだろうかというものだ。


 試しに、聞いてみた。


「殿、潮はまだでございましょうか?」


 出撃の潮時はまだ来ないかと尋ねてみたのだ。

 信長は俺の目をじっと見て、おもむろに口を開いた。


「未だ、その時にあらず。」


「かしこまりました。では、出陣に備え、しばしの休息をいただきます。」


 信長は、我が意を得たり、といった風にかすかな微笑を浮かべた。

 やはり、信長は「何かを待っている」ようだ。


 それは一体なんなのか?


 俺が現代で読んだ本では、信長は義元を討ち取ることを狙い、今川本陣の位置をつかもうと懸命に情報収集をしていたと書かれていた。

 そういった情報を待っているのかもしれない。


 俺はそんなことを考えながら、仮眠をとった。

 すぐに鎧兜(よろいかぶと)をつけられるよう身近に置き、いつでも飛び出せるようにした。

 側近の安食伝兵衛や右近らにも出陣が近いことを告げ、同じく仮眠を取っておくように命じた。


 1刻(2時間)ほどは眠っただろうか。


 俺は城内の喧騒で目が覚めた。

 先に起きて様子を見に行った右近が帰ってきて、丸根砦や鷲津砦から新たな使者が何人も飛び込んできたことを報告した。

 俺は周囲の部下たちに命じた。


「いよいよだな。間もなく出陣となるだろう。みな、武具を着けよ!」


 その頃、信長は舞っていた。

 お気に入りの舞である、いつもの「敦盛」だった。


「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。ひとたび生を得て、滅せぬ者のあるべきか。」


 舞いながら、信長は何を思ったか。

 戦いに向かって高まる興奮か、それとも、誰にも見せたくない臆病な気持ちか。

 その静かな挙措からは、何もうかがうことができない。


 丸根・鷲津からは、両砦が敵の攻撃を受けていると伝えてきた。

 彼が待っていた戦機が訪れていた。

 いよいよ、頭の中で練ってきた作戦を実行に移すときが来たのだ。


「法螺貝を吹け!具足(鎧のこと)を寄越せ!!」


 舞い終わると、せわしなく命令した。

 小姓たちに手伝わせて鎧をつけ、立ったまま湯漬けをかき込んだ。

 あわただしく準備が終わると、兜をかぶり、そのまま出陣していった。


 一方、法螺貝の音を聞いた俺は、部下に号令した。


「出陣!」


「殿、いずこへ!?」


「熱田だ。熱田へ向かう!!」


 ……………………………………………………………


※桶狭間の戦いの今川軍作戦図を追記しました。


挿絵(By みてみん)

軍議を開き、意思決定を行う今川義元に対し、軍議も何もなく、いきなり駆け出す織田信長。


ふたりの総大将の違いを明確に描きたいな〜と考えて書きましたが、いかがだったでしょうか。


今話は今川軍の動きを中心に描写していきましたが、今川義元は大胆な一面をのぞかせつつ、慎重に作戦を展開しています。


なぜこれで負けてしまったのか、検証すればするほど筆者は不思議になります。


その原因などについて、次話以降で見ていきたいと思います。

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