第40.5話 【桶狭間】今川軍の戦略目標ってどんなん?
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第41弾です。
今回のテーマは、【桶狭間】今川軍の戦略目標ってどんなん?です。
尾張に侵攻した今川軍の作戦について取り上げました。
ぜひご一読ください。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「【桶狭間】今川軍の戦略目標ってどんなん?」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
またエラく難しい話やな。今回は何を見ていくん?
大田勇介
『信長公記』では4万5千を動員したとされる今川軍が、何を目標として尾張へ出兵したか見ていく。
ヨシロー
その前に、前回4万5千人ってのが怪しいって言ってなかったっけ?
マタスケ
そう。4万5千を動員しようと思ったら、150万石〜225万石の領土がないとアカン。
ヨシロー
うん?どういうこと!?
マタスケ
1万石につき、200〜300人が動員できるとされてるから、4万5千人の軍隊を作ろうと思ったら、それぐらいの国力がなければアカンってこと。
ヨシロー
じゃ、実際の今川の領土はどれくらいなん?
マタスケ
少し後の時代になるけど、豊臣秀吉が天下統一をした後、全国的に検地(徴税や軍役を課すため土地の生産高を調査すること。)行った際の記録とされる『慶長三年蔵納目録』によれば、今川家が治めていた駿河・遠江・三河の石高を合わせても、70万石に及ばない。
ヨシロー
全然足りんやん!
マタスケ
つまり、多めに見積もって1万石に対し300人を動員できると換算しても、今川軍の動員兵力は2万をやっと超えるくらいと考えられる。実際は三河から動員できる兵力ははるかに少なかったはずやし、駿河や遠江を空っぽにするわけにもいかんから、戦闘員の数は1万を大きく超えることはなかったやろうな。
ヨシロー
4分の1以下やん!何でこんなに数に開きがあるんや?
マタスケ
今も昔も軍隊は自分たちの数をわざと多めに誇張して喧伝するもんや。実際は1万くらいしかいないのに、4万5千いるぞ!って相手をビビらすために言ってたんちゃうかな。もっとも、今回の今川軍のように遠くから遠征してきた軍の場合、半分くらいは従者などの非戦闘員やったと考えられる。つまり、それらを含めたら総勢2万人は超えてたと思われる。2倍くらいサバ読むのはザラにあるから。
ヨシロー
たしか信長軍は2千やったから・・・戦闘員だけで5倍くらいはおったってことか?
マタスケ
『信長公記』には信長軍が2千と書かれてるけど、これは信長が最終的に野戦に投入した本軍の兵数やから、各地の守備兵や本軍以外の部隊を合わせると、総勢4千~5千くらいやったと思われる。
ヨシロー
今川軍の半分くらいか。最初とはずいぶん印象が違うなぁ。今川軍の余裕勝ちって雰囲気でもなくなってきたような。
マタスケ
そやな。以上を前提として今川軍の戦略目標について見ていく。検証する主な説として次の3つをあげた。
①信長軍は眼中になく、最終的に上洛し天下を狙う。
②信長軍と決戦し、尾張国を征服する。
③鳴海・大高両城の周囲に築かれた織田軍の付け城を打ち破り、両城の包囲を解く。
ヨシロー
①はとんでもなく勇ましい話やな。最終目標は京都ってことやろ?
マタスケ
そう。①は一昔前は当たり前のように受け入れられてた説やねんけど、現在ではほぼ否定されている。本当に今川軍が総勢4万5千もいれば、戦闘員の数は2万を超えるやろうし、京都まで押し上るのは可能かもしれん。けど、実際はそんな数はいなかった。三河や尾張の支配にも苦労している今川家が、いきなり京へ上るなんて話は荒唐無稽と言っていいやろな。
ヨシロー
じゃ、②か。今川軍は信長軍の倍はいるんやろ?せっかく遠くからやって来たんやし、戦わんとたくさん兵隊連れてきた意味ないやん!
マタスケ
確かに、①に比べて②はかなり可能性は高い。ヨシローが言うように、基本的に戦争は数が多い方が有利や。すぐに尾張一国を征服する気はなかったかもしれんけど、今川軍は信長との決戦を想定はしてたと思う。ただ、最優先の戦略目標ではなかったやろな。
ヨシロー
何でや!?
マタスケ
よく思い出してほしい。今川軍は鳴海・大高両城が織田軍に封鎖され、状況が苦しくなったから出動してきた。そう考えれば、今川軍が最優先すべきは鳴海・大高両城を救援することや。となれば、両城を囲むように建っている織田軍の砦を破ることこそ、今川軍の戦略目標となる。
ヨシロー
なるほどな。つまり、「信長、ようケンカ売ってきやがったな!買うたるからお前のウチまで来てやったで~!けど、ウチの城が腹ペコでまいってしもてるから、先にそっちをどうにかするわ!こっちから直接どつき合いする気はないけど、お前がヤル気なんやったら、相手になったんで!!」ってな感じやな。
マタスケ
ハハハ・・・。関西弁やし、ずいぶん品の無い今川義元やけど、言いたいことはそんな感じやわ。
ヨシロー
名前が義元やねんから、別にかまへんやろ!?
マタスケ
・・・それ、ヨシモト違いやわ!!
ナレーション
お後がよろしいようで。
桶狭間の戦いの織田・今川両軍の兵力については、『桶狭間の真実』(太田満明著 ベスト新書)が最も現実に近いのではないかと考え、採用しました。
ただ、同書では信長は当初から今川の本軍の撃破を狙っていたとしています。
具体的には、信長はとにかく酷薄な人物で、丸根・鷲津などの砦の守備兵をエサにし、彼らを「捨て石」にして今川義元の本軍を手薄にした。
そして、今川本軍を捕捉するとすぐさま攻撃をしかけ、狙い通り勝利を得たばかりか、思いがけず今川義元の首を取ってしまったというものです。
これに対し、筆者は、信長が当初から今川本軍の撃破を狙っていたとは考えにくいとの見解で桶狭間の戦いを描くつもりです。
詳しくは、第42話以降をご期待ください。
また、信長という人物が、最初から丸根・鷲津両砦を見殺しにする作戦をとるほど冷酷な人物とは、どうしても思えないです。
村木砦の戦いで、信長が戦死者の死を悼む場面があります。
これは単なるパフォーマンスではなく、兄弟や重臣すら裏切るなか、自分に命を捧げてくれた者たちへの素直な感謝のあらわれと見るべきだと筆者は考えます。
さらに、信長の敵は今川だけではなく、桶狭間の戦い以後も戦いは続きます。
信頼できる貴重な戦力を使い捨てにできるほど、信長は余裕がなかったはずです。
丸根砦の佐久間盛重は、信長がこの当時最も重用した部隊指揮官のひとりでした。
これは稲生の戦いの際、特に盛重に名塚砦を任せたことなどから明らかです。
さらに、鷲津砦の織田秀敏や飯尾定宗父子は、信長を裏切る織田一族も多いなか、信長を支え続けた織田一族の武将です。
彼らも信長にとって、裏切る恐れのない貴重な味方だったはずです。
単純に失った兵の頭数を短期間で揃えることはできても、失った信頼できる将兵の代わりをすぐに得ることはできません。
今川軍と野戦に持ち込むため、食いつかせるエサとして各砦を利用したところまでは筆者も同意見ですが、初めから彼らの死を織り込み済みだったとまでは思えません。
詳しくは第41.5話で書きたいと思います。




