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第38話 上洛(前編)

岩倉城を落とし、尾張北部をほぼ手中にした信長の次の行動は、誰もが驚くものでした。


本拠を留守にし、向かった先は・・・京でした。

 岩倉城の落城後、尾張国内で織田信長に敵対する勢力は親今川の者たちのみとなった。

 強大な今川と戦うには入念な準備が必要だし、美濃の一色義龍にも備えなければならない。


 俺は相変わらず信長の側で史官兼弓衆として仕えながら、信長がどのような戦略を打ち出すのか注目していた。

 秋の気配が漂い出した永禄2年(1559年)8月下旬、急に信長が発表した次の行動は驚くべきものだった。


「京へ上り、公方様に拝謁する。明後日出立じゃ。ただちに支度にかかれ!」


 何と、小康状態を保っているとは言え、周囲に敵を抱えるこの状況下でわずか80名足らずの供だけを連れて京へ行こうと言うのだ。

 留守も心配だが、道中も危険だった。

 どこに信長に対して悪意を抱き、命を狙おうとしている者がいるか、わかったものではない。

 それに、命には関わらなくてもどんなトラブルが起こるか、知れたものではなかった。


「殿、危険にござる。おやめくだされ!」


「さよう!将軍家へのご挨拶ならば、しかるべき者を遣わせばよろしゅうございまする。ご再考を!!」


 当然、林秀貞、佐久間信盛、柴田勝家ら重臣たちからは反対意見が沸き起こった。

 留守や道中のリスクを考えれば、常識的な見解と言って良いだろう。

 それくらい信長の考えは突飛なものだったのだ。


 しかし、今回の随行者にも選ばれた10代の頃から近侍する近習や馬廻りたちの反応は、正反対のものだった。


「いやぁ、京へ参るとは心が浮き立ちまするな!!」


「なに、10日もあれば戻ってこれましょうぞ!出立が楽しみにござる。」


 そして、幸か不幸か、この俺太田又介も随行者に選ばれたひとりだった。


(親衛隊の立場である以上、選ばれたのは当然やけど、他の側近たちとは同じノリではいられんなぁ。この時代の京都を直に見られるのは魅力やけど、行って帰ってくるまでの緊張感ヤバそう・・・!)


 さて、言い出しっぺの信長は、重臣たちの反対をよそに行く気満々だった。

 一世一代の晴れ舞台と意気込み、自分だけでなく随行者ひとりひとりも派手に着飾らせるプランを打ち出した。

 何と、全員太刀は金銀で飾り立てたものを差すべし、と言うのだ。

 当然、身にまとう小袖なども鮮やかな色合いのものが求められることだろう。


(いやいや、そんな太刀なんて持ってないよ・・・。肩衣(かたぎぬ)とか(はかま)も要るかもしれんし、小袖とか何着持って行けばいいのやら。どうやって手配しよう・・・。)


 普段地味な装いをしている俺なので、そんな派手な刀や大量の一張羅(いっちょうら)が家にあるわけがない。

 俺は青くなりながら家に帰り、妻のせつや女中頭のりつさんと相談した。


「明後日、急きょ京に上ることになった。困ったことに、殿からは金銀で飾り立てた太刀を差すようにとのお達しが出た。それに見合う華麗な小袖なども揃えなければならない。どうしたものかなぁ・・・!?」


「明後日でございますか。それはまた急でごさいますね。」


 うろたえぎみの俺と違い、妻は冷静な口調だった。


「黄金づくりの太刀ならございますよ!山田の家で代々伝えてきたものでよろしければ。」


「ホンマに!?」


 思いがけない妻の言葉に、俺は思わず地の関西弁が出てしまう。

 聞けば、山田の父が討たれる直前、家宝の太刀が失われるのを惜しみ、家臣に言いつけてせつさんに届けさせたのだそうだ。


「小袖などもございます。後で袖を通してみてくださいませ。」


 今度はりつさんが声を上げる。


 俺が主君の側近として仕えていることを考え、ふたりは相談して少しずつ高価な着物を買い集めていたらしい。

 派手な装いを好まない俺のことを承知しつつ、いつか必要になるかも知れないと備えてくれていたそうだ。


 俺はこの時代のことに疎い自分を情けなく思うと同時に、素晴らしいフォローをしてくれた家族に心から感謝した。

 おかげで晴れ舞台で恥をかかずにすむ。


 ちなみに、せつは2人目を妊娠中だ。

 来年の春ごろには新しい家族が加わる。

 長男の又七郎もすくすくと育っているし、俺の私生活はとても恵まれていた。


 2日後、平素着慣れないキラキラした格好で俺は清洲城を出発した。

 腹心の右近と荷物持ちの小者3人を連れ、きらびやかな信長の行列に加わっていたのだ。


 妻やりつさんは「大変お似合いです!」と言ってくれたが、こんな派手な服装が似合ってないのは自分が一番わかっている。

 いたたまれない思いと付き合いながら、俺は馬を打たせていた。


 尾張から京へ向かうには、大きく2通りの行程がある。


 ひとつは北上して美濃の関ヶ原を通り、北近江に出た後は淡海乃海(おうみのうみ)(琵琶湖)の東側を南下し、その南端で西進して京に至る。


 もうひとつは西進して北伊勢を通り、南近江に出た後は淡海乃海に向かって西進、あとはひとつ目のルートと同じ道をたどって京に至る。


 いずれにしても、美濃から伊勢にかけて南北に連なる鈴鹿山脈を越えなければならない。


 圧倒的に楽なのは美濃を通るルートだ。

 ちょうど関ヶ原の辺りで山脈が切れたようになだらかになるので、峠越えの負担が少ない。

 だが、美濃は敵国・一色家の支配下にあるため、今はこのルートは使えない。


 仕方なく今回使ったのが伊勢ルートだった。

 木曽川を越え、伊勢国の員弁郡辺りを進むうちはまだ楽だった。

 しかし、山地に差しかかると途端に負担が増えた。

 全体的に道は細く険しく、場所によっては馬を降り、曳いて登らなければならなかった。

 紅葉にはまだ少し早いこの時期、たちどころに汗が噴き出し、俺は華麗なだけで暑苦しい衣装を呪った。


 近江国に入ってもしばらくは高地が続き、道は険しい。

 ようやく道がなだらかになってきたと思ったころ、俺たちの目に飛び込んできたのが、巨大な湖だった。


(琵琶湖だ!!やっぱデカイなぁ。それに、環境問題とかまだ関係ない時代やから、水もキレイそう。)


 陽光にきらめく湖面を遠目に見ながら、俺たちは京への街道を進む。

 それは道中の危険を一瞬忘れさせるほど、美しい光景だった。


 やがて有名な瀬田の唐橋を渡り、さらに歩みを進めていくと、大きな町が遠望できるようになった。

 さすがに、京は清洲や津島よりずっと大きい。

 ただ、町の入り口に近づくにつれ、この「千年の都」も戦乱とは無縁の存在ではいられないのがわかった。


 俺が現代で何度か行った京都とは違い、範囲はずっと狭い印象だ。

 幕府の政庁が置かれた室町通りが南北を貫くメインストリートとなり、大きく北の上京と南の下京に分かれて町が形成されていた。

 それぞれの町は深い堀と城壁に囲まれ、華やかな都と言うより堅固な城塞都市だった。


 俺たちは上京の町のなか、室町通りのひとつ裏の通り沿いに宿をとり、京に滞在することになった。


 早速翌日には信長が第13代将軍・足利義輝に拝謁した。

 俺は同席できなかったが、信長の機嫌の良さを見ると、手応えはかなりあったようだ。


 岩倉城を落とした自分こそが尾張の支配者であること、さらには美濃を治める資格を持つ者であることを将軍に認めてもらうことが、今回の上洛の目的だった。

 将軍から美濃はともかく、尾張での支配的立場を認めてもらえたということだろう。


 その後、信長は奈良や堺に足をのばし、その繁栄ぶりをつぶさに観察した。

 俺も同行を許され、殷賑を極める堺の港町や(いらか)が軒を連ねる宗教都市・奈良を見る機会に恵まれた。


 目立ったトラブルもなく、俺はいつしか当初の緊張感を失いつつあった。

 しかし、滞在予定の半分以上を消化したある夜、唐突に外地でのリスクを突きつけられる事件が起き、俺は冷水を浴びせられたような感じを味わうのだった。

今話は信長の初めての上洛の前編をお届けしました。


リアリストの信長ですが、時々リスクを度外視したような突飛な行動に出ることがあります。


初めての上洛も、常人では思いもつかぬタイミングで行われています。


ただ、何のメリットもなく動く人ではないので、将軍に尾張支配のお墨付きをもらう目的だったとしています。


ちなみに、行きのルートは『信長公記』に記されていませんが、帰りと同じルートとしました。


さすがの信長も、敵国のまっただ中を突っ切る愚をおかさないだろうと考えました。


次回は、「信長、刺客を一喝する」お話です。

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