第33話 家族愛
明けましておめでとうございます。
読者のみなさまはこの年末年始、いかがお過ごしだったでしょうか。
筆者はいつもどおり怠惰な日々を過ごし、少しも著作に励めませんでした。。。
今年も正月ならではのごちそうやミカンを頬張りながら、サッカーや駅伝をダラダラ見るという、強固で大好きなルーティーンにはどうしても抗えない。。。
改めて振り返ってみて、昨年は大変な1年でしたね。
本年はきっと昨年より良い1年になるはずです。
筆者はそう願っております。
信長の苦境と奮闘で彩られた弘治2年(1556年)が暮れ、年が改まってまもなく、妻のせつが第一子となる男子を出産した。
母子ともに健康で、父や兄を失って以来久しぶりに太田家に家族が加わった。
前世では一人暮らしに慣れてしまっていたこともあり、結婚なんてまるで実感が湧かず、ましてや自分の子供のことなど考えたこともなかった。
平和な現代では父母以外の家族に恵まれず、殺伐とした戦国の世で温かい家族に恵まれるという自分の数奇さに我ながら驚く。
産後まもなく、少し弱った妻と1日中寝てばかりの無力で小さな我が子を見つめながら、この世界で力強く生きていかなければとの思いを強くする。
いまだに価値観の違いや慣れないことも多く、戦国人として振る舞えているのか正直よくわからない。
だが、いつの間にか、この時代から離れることなど考えもしなくなった自分に気づく。
目の前の家族とこの時代への愛着、俺がじんわりと感じているのは「幸せ」というものなのかもしれない。
さて、子供が生まれてひとつだけ困ったのが、生まれた子にどんな名前を付けたらいいのかわからなかったことだ。
幼名の付け方なんか、元・現代人の俺にわかるはずもない。
悩みに悩んだ挙げ句、父の和泉守がかつて名乗っていた「又七郎」の名をもらうことにした。
いずれ太田家の後継ぎとなる子だが、前当主にゆかりの名前を名乗らせれば立場がよりハッキリすると考えたのだ。
普段から主君・信長の家が骨肉の争いをしているのを目の当たりにしているので、自分の家が同じようにモメるのだけは嫌だったのだ。
引き合いに出してしまったが、つくづくこの時期の信長という人は家族愛に恵まれない。
ちょうど同じころにウチと同じように長男奇妙丸(後の織田信忠)が生まれていたが、それ以外に明るい材料がほとんどないのだ。
父の信秀、叔父の信光、舅の道三、兄の信時。
信長を認め、味方となってくれた身内は皆いなくなってしまった。
2歳年下の信成とは、昨年ついに流血の事態に陥った。
従兄弟の犬山城主・信清は、父の信秀生前から敵対関係にある。
そして、つい先日も新たな親族が裏切ろうとしていたことが判明していた。
……………………………………………………………
「ご注進!美濃勢が木曽川まで進出してまいりました!!」
弘治2年(1556年)11月、信長のもとに一色義龍の美濃勢が出陣したとの知らせが届いた。
斎藤道三が討ち死にした「長良川の戦い」以降、濃尾国境では美濃勢との小競り合いが頻発していた。
今回もこれまでと同様に、美濃勢との衝突が予想された。
両軍とも敵対心と戦意は高かったが、互いに積極的に侵略するだけの力はなかった。
信長は国内に敵を大勢抱えていたし、義龍も美濃を強固に支配できているとは言えなかったからだ。
義龍は父が追放した土岐家を奉じることはせず、独自の政権を志向し、いわば戦国大名化を図っていた。
日根野弘就や桑原直元(後の氏家卜全)、安藤守就ら6人の側近を「六人衆」として合議制を導入し、政策決定を明確にした。
彼ら6人に与えられた権限は強く、6人全員で決定し署名された命令書は義龍の花押や朱印がなくても有効とされるほどだった。
しかし、今は美濃の国主に収まっているとは言え、義龍の家は元々祖父の代に他国からやってきた他所者だ。
この点、尾張国内に深く根を下ろした信長の織田一族よりも権威に欠けていた。
義龍の威令が強く及ぶのは西美濃の平野部に限られ、遠藤一族らが根を張る北部、遠山一族が広く支配を固める東部など山岳地帯への支配力は限定的だった。
義龍は烏峰城(のちの金山城)に叔父の長井道利を配し、支配を強めようとしていたが、なかなか思うようにいかなかった。
勢い、義龍の対信長戦略は小規模な侵略や反信長分子への調略(寝返りや反乱を起こさせること)に限られ、積極的な策はなかなか取れなかった。
となれば、段々と芸が細かくなる。
今回の尾張出兵も、細かい策謀によりなされたものだった。
「して、美濃勢の動きがおかしいとな?」
「はっ。旗を立て並べ、盛んに気勢をあげておりまするが、一向に動く気配がありませぬ。」
「敵は気が抜けたようであるか。ふむ・・・。」
いつもと違い、攻めてくる様子が全然見られない敵。
これは何を意味してるのだろうか。
物見の報告を聞くと、信長はしばし黙考していた。
「さては、家中の裏切り・・・?」
全然攻める気がないのに出張ってきたということは、何かを待っているということだろう。
敵対勢力に目立った動きが報告されていない以上、信長は織田弾正忠家内に新たに内応する者が現れたと考えた。
そして、それは正しかった。
信長が美濃勢に一応備えることにして軍を北上させたあと、清洲城に近づいてきた一軍があった。
いまや信長にとって唯一の兄となった、信広の率いる軍だった。
「開門、開門!三郎五郎様(信広のこと)のお成りにござる。上総介様(信長のこと)の加勢に参られましたぞ!!」
先触れの者が城内に向かい、大声で呼ばわった。
いつもであれば、留守居役の佐脇藤右衛門が出てきて城内へ招き入れるところだ。
だが、今日は人っ子1人出てこない。
明らかにいつもと様子が違う。
「ぬぅ、謀叛が知れたか・・・?」
信広が悔しそうにつぶやく。
城内へ入り込むことができれば幸い、一気に佐脇らを血祭りにあげて清洲城を乗っ取るつもりだったのだ。
そうなれば、信長にかわって信広が一躍織田弾正忠家の当主と尾張守護代の地位を襲うことができる。
安祥城落城後、半ば忘れ去られた存在となっていた信広の、華麗な復活劇となるはずだった。
しかし、もはやその計略の成功はおぼつかない。
となれば、長居は無用だ。
信広は兵をまとめ、慌ただしく撤退していった。
以後、信広も信長と対立関係に入った。
もちろん、信広を焚きつけたのは、隣国・美濃の国主である一色義龍だった。
義龍にとって、父・道三が目をかけ、あまつさえ国を譲ろうとまでした信長は不倶戴天の敵だ。
信長を直接武力でたたくことが難しいため、織田弾正忠家の切り崩しを画策したのだ。
一方、信長は誰が裏切ったかはわからないながら、美濃勢への内応者の存在に気づき、清洲城の留守番を務める佐脇藤右衛門に自分の帰還まで誰も城内に入れないように言い含めていた。
それが功を奏し、城を守り通して信広や美濃勢を撤退に追い込むことができたのだった。
この事件を思い出し、俺は信長の家族愛の恵まれなさに同情を覚えるとともに、その異様なカンの鋭さと運の強さに戦慄した。
わずかな違和感に気づき、適切な対策を打てる信長という人物はやはり常人とは違う何かを持っている。
ただ、あまりに同族や家臣に離反され、信長の猜疑心が強まっている様子なのが気になる。
(まぁ、あれだけ裏切られまくったら、敏感にもなるよな。そりゃ、性格も歪むわ。)
7,8百人の信頼の置ける屈強な侍衆に囲まれ、合戦には滅法強かったが、敵から集中攻撃を受ける立場は少しも変わらない。
若き信長の苦境はなお続く。




