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第31話 相剋

情勢が目まぐるしく変わるなか、さらなる激震が走りました。


家老の裏切り、弟との対決。


まるで、信長にカタストロフの足音が近づいているかのようでした。

斎藤道三の死後、信長を取り巻く情勢が悪化するスピードは、驚くほどだ。

ついに信長の家老で那古野城代の林秀貞が、弟の林美作守とともに末盛城主・織田達成(旧名・信勝)についたとの風聞がしきりに聞こえてくるようになった。

どうやら、達成の重臣・柴田勝家と連絡を取り合い、信長のかわりに達成を当主の座に押し上げようと図っていると言う。


平手政秀の死後、秀貞は信長にとって唯一の家老だった。

それが離反したのだから、信長に与えた衝撃は大きかった。


まず、主に内政部門の責任者のような地位を担ってきた秀貞がいなくなることで、信長勢力の行政面での混乱が起きることが予想された。

何しろ、亡父・信秀の奉行衆(政策スタッフ)は末盛城の達成が引き継いでいたし、ただでさえ現在の信長にはその手の人材が不足気味だったのだ。


また、那古野城とその周辺が勢力圏から離れることで、信長の本拠地・清洲と重要拠点・熱田との連絡路が脅かされることになる。

熱田を失うことになれば、現在は達成に対して保持している経済的優位が損なわれかねない。


このように、林秀貞の離反は信長の勢力を崩壊させかねない、重大な事件として受け止められたのだった。


……………………………………………………………


「殿、裏切り者を放置すれば、これに倣う者が出て参りましょう!断じてこれを討つべきでございまする!!」


「・・・であるか。」


勇ましい主戦論を声高に述べたのは、佐久間右衛門尉信盛だ。


元々彼ら佐久間一族は末盛城主・織田達成に仕え、重んじられていた。

しかし、林秀貞兄弟が達成に接近するにつれて立場が微妙になり、信長に帰順していた。

林兄弟に対して含むところがあり、強硬論はそのあらわれだった。


佐久間信盛は信長の諮問に堪えうる貴重な近臣として、最近重用され始めていた。


現在の信長勢力の弱点はここにもあらわれている。

つまるところ、戦略・政略面で広い視野を持った人材が少ないのだ。

他の信長の近臣たちは信長と同世代の若者が多く、戦では勇敢だが、政策ブレーンとしてはからっきしだった。

村井貞勝ら吏僚はいるが、同じくブレーンとしての役割は期待できなかった。


結局、戦闘には実績を積み重ねつつあった信長も、政略面ではまだ十分な実力を形成するに至っていないのだ。


また、佐久間一族の惣領(家長)は盛重だが、彼は部隊指揮官としての能力を見込まれて独立部隊の指揮を委ねられていた。

部隊指揮官も信長がこなしている現状を考えれば、盛重の存在もまた貴重だ。

信長軍の中で、佐久間一族は欠かすことのできない重みを勝ち得つつあった。


「又介の存念を聞かせよ。」


佐久間信盛が下がったあと、信長から俺に対して諮問があった。

信盛の意見に対し、信長はあまりしっくりきていないのだろう。


林兄弟に対する強硬策は実弟・達成との全面衝突の危険性をはらんでいた。

周囲に敵が増えつつある情勢のなか、さらに敵を増やす行動はなるべくしたくないに違いない。

気性が激しくカッとなりやすいが、それに引きずられず冷静な判断を下せるのが信長という男だ。


「まずは佐渡守(林秀貞のこと)様の慰留(いりゅう)(なだめ、説得すること)に努められてはいかがでしょう?いきなり兵を向ければ、戦しか道はなくなります。今ならば、まだ互いに血を流しておりません。」


「秀貞に和を請え、と申すか。」


「はい。あまり下手(したて)に出る必要はございませんが、一旦は許すことで主君として度量の大きさを世間にお見せになられるのが良いかと。」


「だが、秀貞が承知せねば、もはや戦しかあるまい。」


「そうなれば、やむを得ません。主君への不忠を幾重にも働いたのですから、非は向こうにあります。」


「弟とも戦となるであろうな。」


「致し方ございません。ただ、野戦ならば勝機は十分にございます。勝ったのちは、弟ぎみをはじめとして皆を一度はお許しになるべきです。」


戦いの詳細は忘れたが、史実の展開では確か信長が勝ったはずだ。

勝ったからと言って相手をドンドン切り捨てていたら、そのうち味方する者がいなくなってしまう。

個人の信義より家の保全が優先される時代だからこそ、離反はしばしば起こりうる。

一度は許してやり、そのかわり次はないという線引きを厳格にする方が、支配する側として理にかなっていると思うのだ。


「裏切り者を一度は許せと?」


「唐の五帝のひとり、舜は幾度も家族に裏切られ、特に異母弟には何度も命を狙われました。だが、舜はその度に許し、父母には孝養を尽くし、弟を可愛がってやがては諸侯としました。結果、天下は舜の器の大きさを讃え、信を寄せ、主と仰ぎました。」


「ふむ。考えておこう。」


その後、異母兄である守山城主・織田信時を清洲へ呼び、さらに前後策を協議しているようだったが、出した結論は信長らしい大胆なものだった。


弘治2年(1556年)5月26日、信長は信時とともに2人だけで那古野城を訪れた。

林秀貞兄弟に対し、離反を思いとどまるように説得するためだった。


「兄上、これは天が与えた好機ですぞ!ただ一言命じるだけで、弾正忠(織田達成のこと)様の家督が成りまする。ご決断を!!」


那古野城の一室で信長らに詰め腹を切らせる(無理矢理切腹させる)よう進言したのは林美作守だった。

敵のトップがわざわざ無用心に軍勢を連れずにやって来たのだ。

美作守からすれば、鴨がネギを背負って来たように思えたに違いない。


だが、それに対する兄・秀貞の反応は煮え切らないものだった。


「3代に渡って御恩を受けた主君を、恥知らずにも騙しうちに殺せば、いかなる天罰があるやも知れぬ。どうせ近いうちに矛を向けるのじゃ。今は切腹させるに及ばぬ。」


秀貞は信定、信秀、信長と3代に渡って仕えてきたこともあり、主君を闇討ちすることによる外聞の悪さを気にしたのだ。

道理に外れた行いをすれば、天罰がくだるかもしれない。

この点、秀貞はこの時代の常識人と言えるだろう。


結局、信長は秀貞の慰留には失敗したが、命をまっとうして帰城した。


2日後、林兄弟は信長からの離反を鮮明にした。

那古野城は言うに及ばず、与力の荒子、米野、大脇の諸城も林兄弟に属して信長の手を離れた。


荒子は熱田の西50町(約5.5km)ほどのところにあり、ここが敵に回ることで、信長の本拠地・清洲と熱田の連絡は遮断されることになった。

また、米野・大脇の両城は那古野と清洲の間にあり、庄内川の東側は広く反信長勢力圏と化した。


信長は一気に苦境に立たされた。

だが、主君を裏切りながら体面を気にして命を奪えない優柔不断さは、秀貞の限界を示している。

非情さに欠け、中途半端な打撃を与えたに過ぎないのだ。

そして、そこに信長の付け入るスキがあるのだった。


とは言え、信長への逆風はさらに続いた。

ほぼ唯一の信長方となっていた、守山城主・織田信時が死んだ。

自然死ではなく、家老の角田新五によって詰め腹を切らされたのだ。


そのいきさつはこうだ。

元々守山城には前城主・織田信次の家老だった角田新五と坂井喜左衛門のふたりが重きを成しており、城主・信時は彼らに配慮する形で支配を展開していた。


しかし、喜左衛門の息子・孫平次の色香が信時の運命を狂わせた。

孫平次は信時の寵愛を受けるようになり、側近として重用され始めた。


面白くないのは角田新五である。

今までは重臣として重んじられ、忠勤を励んできたのに、最近は軽く扱われているように感じる。

不満を溜めた角田は、以前一度降伏した織田達成に通じ、信時を排除することを決意した。


角田は「城の塀や柵が壊れたから」と言って修繕工事を始め、その途中で土塀の破れから兵を侵入させ、信時を包囲して無理矢理切腹させた。

そして岩崎領主の丹羽氏勝らとともに城を固め、信長に旧主・織田信次の復帰を働きかけた。


信長も放浪の身の信次を哀れに思っていたのでこれを許し、守山城主に復帰させた。

信長としては守山城内の安定を優先し、あわよくば自陣営にとどまることを期待したのだが、おとなしい信次は角田に引きずられ、達成勢力に属してしまった。


守山城が達成方になったことで、その北東2里(約8km)にある信長の直轄領・篠木三郷への支配が及びにくくなった。


これを好機とみた達成方は、篠木三郷へ兵を出し、これを横領してしまった。

事実上、達成から信長への宣戦布告だった。


対する信長は8月22日、名塚に砦を築き、佐久間盛重を主将とした。

名塚は清洲からは東に50町(約5.5km)、庄内川の東岸に位置し、信長勢力圏の最前線となる。

名塚から1里(約4km)南に林兄弟が在城する那古野城が位置していたからだ。


もはや兄弟の衝突は避けられないものとなっていった。

「稲生の戦い」の機運が高まりつつあった。

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