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第30話 澠池

織田信光に続いて斎藤道三の死により、信長の後ろ盾はいなくなりました。


これまでかろうじて平静を保っていた信長の周囲が騒がしくなり始めます。

 美濃から無事に引きあげてきた俺たち信長軍だったが、清洲城が近づくに連れ、遠くに幾筋もの煙が立ち昇っているのが見えた。

 火事があったのは間違いなさそうだったが、いったいどこで何があったのだろうか。


 俺がぼんやり考えていると、物見が駆けてきて膝をつき、信長に報告した。


「織田伊勢守様の軍勢が攻め寄せ、下の郷あたりが焼かれましてございまする!」


 下の郷は清洲城の北、半里(約2km)のところにある村だ。

 留守をいいことに、ずいぶんと攻め込まれたものだった。


「ぬうっ、許せん!全軍北へ向かうぞ。目にもの見せてくれるわ!!」


 本拠地の近郊まで攻められ、何もしなければ舐められてしまう。

 信長は腹立ちを露わにし、ただちに岩倉城へ向けて北へ進路をとった。

 そして報復として岩倉近郊の村々を焼き討ちし、その日のうちに引きあげた。


 美濃で一戦交えて、さすがの信長軍も消耗が激しかった。

 休息もなしに新手の敵との連戦は避けたかったのだ。


 だが、織田伊勢守信安は、これまでの沈黙が嘘のように積極的だった。

 今度は清洲の北30町(約3.3km)以上離れた、下津の正眼寺という寺を要塞化しようとしているとの噂が流れた。

 下津は清洲に守護所が置かれる前、尾張の中心だったところだ。

 伊勢守家側は、尾張の覇権を取り戻そうとしているのだろう。

 美濃の一色義龍と秘かに手を結んだとの風聞も流れてきていた。


「清洲の町人たちを駆り集め、正眼寺の周囲の藪を切り払い、丸裸にせよ!」


 傷ついた軍勢をいくらか休ませる必要があるため、信長は町人たちをかき集めて竹槍を持たせ、兵に偽装して軍の後方に配置した。

 一方で、正規軍は足軽衆が主力となり、騎馬武者の数は80騎足らずしかいなかった。


(伊勢守家もハッキリ敵に回ったかぁ・・・。直属の兵隊が7,8百人しかいないのに、強力な味方もいなくなり、周りは敵ばかりになりつつある。だんだんと「詰んで」きてる気がするなぁ。このままでは、いずれ戦力をすり減らしてしまう。信長はどう切り抜けていくつもりなんやろ・・・?)


 従軍しながら、俺は状況の悪化に思いを巡らせ、暗然とした気持ちになった。

 どう見ても、対外関係は悪くなる一方だ。

 信長の直轄領に目立った動揺がないのが救いだが。


 俺たちの進軍に対し、織田伊勢守軍は3千と号する軍勢を集め、たん原野というところに迎撃に出てきた。

 数だけで言えば、こちらの倍以上の大軍だ。


 だが、敵軍を一望した信長の顔には、余裕すら感じられた。


「敵は数こそ多いが、戦意は低いと見えるぞ!適当にあしらってやろうぞ!!」


 信長は後方の町人たちにさかんに気勢をあげさせつつ、配下の足軽衆を鼓舞しつつ攻撃を開始した。

 それに対し、敵軍の動きは鈍く、どこか戸惑いのようなものが見えた。

 飛んでくる矢はまばらだし、明らかに腰が引けている様子の兵が目につく。


 考えてみれば、今や百戦錬磨の信長軍に対し、伊勢守軍はあまり戦闘経験がない。

 こちらに対する恐れがあるのかもしれないし、軍としてのまとまりにかけ、戦意が低いのかもしれない。

 思ったより信長軍の数が多いことも、戸惑いに拍車をかけているのだろう。

 ハッキリ言って、ハリボテの軍隊なんだが・・・。


 数は多いがチグハグな敵軍を圧倒し、戦況は最初から信長軍有利に傾いた。

 短時間の戦闘の後に伊勢守軍はしだいに崩れ、ダラダラと後退していく。


「追うに及ばず!」


 追撃に移ろうとする自軍を押しとどめ、信長は引きあげの命令を出した。

 何しろ、町人を駆り出して兵に見せかけているくらいだ。

 自軍に余力がなく、ギリギリの状態であることは、誰よりも信長自身が一番よく知っている。

 無駄な消耗を避けて帰還し、兵に休息を与えることを優先したのだった。


 ……………………………………………………………


 兵は休ませても、信長は休まない。


「のう、又介よ。こたびの会談、武衛様におかれては、どのように振舞っていただくべきであろうか。」


 清洲城に帰還した翌日、信長が俺に諮問(しもん)(意見を聞くこと)してきたのは、三河で行われることになった、三河守護・吉良義安と尾張守護・斯波義銀の会談についてだった。


 これについては、今年、弘治2年(1556年)に入ってから打診があり、今月(4月)上旬に話がまとまった。

 月末には三河の上野原という場所で両守護の会談が行われることになったのだ。


 問題は、この会談が駿河・遠江・三河の大部分を事実上支配する今川義元により企画されたものであることだった。

 義元は会談を主宰することで、周辺諸国に存在感を見せつけることを狙っていた。

 また、会談の中で、自分の操り人形と化していた三河守護・吉良義安を尾張守護より上位の存在に演出することで、尾張に対する影響力を強めようとしていた。

 さらに、独立心旺盛な小領主の反発に悩まされ、なかなか支配が安定しない三河国の平定にもつなげたい考えがあった。


 信長もその狙いには気づいている。


 下手に主導権を奪われるくらいなら会談を拒否しても良いのだが、信長にも無視できないメリットがあるため、受けることにしたのだった。

 尾張守護を補佐して会談に臨むとなれば、事実上守護代として認められることになるからだ。


 ただ、不安は若い斯波義銀が上手く会談を乗り切れるかだ。

 信長の心配はその一点に集中していた。


 意見を聞かれた以上、俺から何かしらの答えを提案しなければならない。


「武衛様は確かにお若く、ご心配はもっともです。ただ、殿が澠池(べんち)の会において(ちょう)王を守った、藺相如(りんしょうじょ)のように振る舞えば、問題はありますまい。」


「藺相如・・・とな?」


 俺の答えに対し、信長はピンとこなかったらしい。


 藺相如は中国の戦国時代、趙国の名宰相だ。

 彼は澠池という所で開かれた強国・(しん)との会談に臨む趙王に同行し、趙を属国にしようと企む秦の様々な要求をはねかえし、対等の関係を守り通したことで知られる。


「藺相如は主君にかわり、趙を属国にするため相手が次々に出してきた要求をはねつけ、逆に要求し返すなど堂々と渡り合い、ついに対等の地位を維持しました。武衛様がお困りなら、殿がかわりに相手を引き受けられてはいかが?」


「ふむ。対面の作法がどうのと申すより、その方が面白かろうな。」


「ただ、最善の一手は、無為にしかず、かと。」


「無為?」


「はい。何もしない、ということです。こちらからは何もせず、ただただ無言を貫く。挨拶もせず、言葉を交わさない。ただ顔を合わせるだけで何もしなければ、そこに上下の関係など存在のしようがありません。」


「なるほど、それは良い!それで行こうぞ!!」


 信長が膝をうち、会談の戦略が決まった。


 意外なことに、信長は斯波家を最大限に尊重していた。

 清洲城の本丸を斯波義銀に進呈し、自分は北櫓に住んだ。

 守護の裁判権など諸権利を侵すことなく、保護していたのだ。

 だからこそ、会談でもなるべく義銀の面目を潰さないように振る舞いたかったのだった。


 数日後、予定通り三河国の上野原で会談が行われた。

 両者の陣は、せいぜい1町5段(約160m)も離れておらず、両守護は床几(しょうぎ)に腰かけ、向かい合った。


 両者は一度立ち上がり、10歩ほど歩み寄ったが、特に言葉を交わすこともなく、元の席へ戻った。

 結局、言葉はおろか、挨拶らしい挨拶もなかった。


 この会談で、信長は尾張守護代格を持つ存在となったことを周囲に知らしめることに成功した。

 他方、今川義元は三河守護を尾張守護に優越する存在へ押し上げることができなかった。

 外交成果を考えると、最も大きな果実を手にしたのは信長だったと言えるだろう。


 しかし、外交により尾張を従わせる策を挫かれた今川義元は、直接的な武力による三河の完全支配と尾張支配へと舵を切ることを決意していた。

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