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第26話 頓死

 信長の清洲城移転後まもなく、秘かに林秀貞・美作守兄弟が離反の意思を固めた。

 林家は元々清洲の北1里(約4km)の春日井郡沖村を本拠としていたが、那古野城南西2里(約8km)にある荒子の前田家を与力とするなど、那古野付近に勢力を持っていた。

 信長が那古野から退去したことでこれを見限り、かと言って新城主・信光に与する気にもならず、かねてから誘いを受けていた達成についたのだった。

 以後、林兄弟は達成を織田弾正忠家の当主とするべく、活動を始めることになる。


 しかし、捨てる神あれば拾う神ありである。

 以前ほど信任を得られなくなったことを恨み、佐久間一族が達成から離反して信長に帰参してきた。

 佐久間家は末盛城の南西2里(約8km)、那古野城の南3里(約12km)の愛知郡山崎から末盛城の南西1里(約4km)、那古野城の南1里半(約6km)の御器所一帯を勢力圏とする一族だ。


 信長に帰参の挨拶に来たのは、総領の佐久間大学助盛重と一族の佐久間右衛門尉信盛だった。


 御器所城主・盛重は古武士の風格を漂わせた、渋い面構えの男だった。

 歳は40を過ぎたところだろうか。


「こたびは帰参をお認めいただき、喜びに堪えませぬ。以後、忠節を尽くす所存にございまする。」


 声も渋い。

 武骨で誠実そうな人柄が滲み出ていた。


「うむ。よろしゅう頼む。」


 信長も盛重の佇まいに好感を抱いたようで、にこやかに応じた。


「お任せくだされ!我ら佐久間一族は鉄の如く結束が固うござる。一族をあげて、殿をお支えいたしまする。」


「・・・であるか。」


 俺と変わらぬ年齢の佐久間信盛が興奮した様子で発言したのに対し、信長はやや硬い表情で答えた。


(うーん・・・。兄弟とモメてる真っ最中の主君に対して、そんなに一族の仲の良さをアピールせんでも・・・。もうちょっと気を遣ってあげても良かったんじゃ!?佐久間信盛と言えば、信長の重臣として有名やけど、何か軽はずみで一言多い性格に感じるなぁ・・・。)


 俺は信長と信盛の相性について若干の危惧を覚えたが、会見は無事に終わった。

 佐久間一族は信長の与党として受け入れられ、重く用いられることになった。


(それにしても、信長・達成・信光らの領地や与党の領地が入り乱れて、グチャグチャやな。色んなとこで利害がぶつかってるし、そりゃモメるわけやわ。)


 ……………………………………………………………


 清洲城乗っ取りを契機に成立した新たな勢力図だったが、立て続けに起こった事件により、わずか数ヶ月で破綻してしまった。


 天文24年(1555年)6月26日。


 新しく守山城主となったばかりの織田信次は、若い近習たちを連れて庄内川へ漁に出かけていた。

 ここは竜泉寺の下、松川の渡しという場所で、守山城からは北東に1里(約4km)以上離れていた。

 信次らが城を離れてわざわざここまでやってきた理由は、流れが緩やかで絶好の漁場だったからだ。


 近習たちが川の中で忙しなく立ち働いていると、南西から一騎の若侍が駆けてくるのが見えた。

 若侍は川沿いに馬を走らせ、そのまま信次らの鼻先を何の会釈もなく通り過ぎて行こうとする。


 その様子を見ていた信次の近習たちは怒り出した。


「馬鹿者めが、ご城主の御前を騎馬のまま通りおって!」


 特に激昂した洲賀才蔵はそう言い放つや、弓に矢をつがえ、若侍に向けて放った。

 矢は狙いたがわず若侍に当たり、馬から射落とした。


「馬鹿な奴ばらじゃ!」


「どこのたわけ者か?」


 信次の近習らは笑い合いながら、川から上がっていく。

 城主の信次に対して下馬もせず、無視して通り過ぎるような無礼者は、虫けらのように殺されて当然といった様子だ。

 彼らの笑顔には何の罪悪感も見られなかった。


 ・・・射殺された若侍の顔を見るまでは。


 若侍の歳の頃は15,6歳。

 その顔は白粉(おしろい)を塗ったように白く、唇紅く、整いすぎるほど整った美貌だった。


 だが、信次たちが肝をつぶし、一斉に顔色が青ざめたのは、少年の美しさに驚いたからではなかった。

 自分たちが殺した相手が、信長・達成の弟にあたる織田秀孝と気づいたからだった。


「そ、そちらは、何ということをしてくれた・・・!こうしてはおれぬ、わ、わしは逃げるぞ!!」


 なかでも最も青ざめ、ブルブルと震えていた信次は、そう言うが早いか城にも帰らず、そのまま行方をくらましてしまった。


 このところの弾正忠家内部に広がる、一触即発の雰囲気については、信次もよく承知していた。

 だからこそ、いつ武力衝突が起きるかわからないピリピリとした状況下で、自分が口火を切ってしまったことを瞬時に理解したのだ。


 信次は命が惜しかった。

 助かるためには、一刻も早く逃げるしかない。

 そして、その判断は正しかった。


 秀孝の死は、その日のうちに四方へ伝わった。


 末盛城の織田達成は、弟の死の責任を問うという大義名分を掲げ、ただちに兵を率いて守山城へと進軍した。

 弟を殺された怒りはもちろんあったが、何より守山城を勢力下に置くことがねらいだった。


 だが、達成が守山へ着いたとき、城主・信次はすでに姿を消していた。

 達成は振り上げた拳を下ろす相手を失った。

 腹いせのように守山城下を焼き払い、はだか城にしてしまった。


 信次が逃げたあと、守山城内に残されたのは角田新五、高橋与四郎、喜多野下野守、坂井七郎左衛門、坂井喜左衛門・孫平次父子、岩崎城主・丹羽氏勝ら信次の家老たちだった。

 この中でリーダー格は角田新五と坂井喜左衛門の両名だ。


 彼らが恭順を申し出たため、達成は満足して兵を退いた。


 一方、信長は出遅れた。


 否、信長自身の動きは素早かった。

 知らせを聞くと、すぐさま馬上の人となり、そのまま3里(約12km)を駆けた。

 俺を含め、誰一人追いつけず、信長は単騎で守山まで至った。


 達成の進軍が早かったのであり、信長の機動はこれ以上ないくらい凄まじいものだったのだ。


 俺たちがバラバラと遅れて守山の入口、矢田川に着くと、信長は愛馬に水を飲ませて休息させているところだった。


 全然疲れた様子を見せない信長とその馬に比べ、俺たち家臣は散々なていたらくだ。

 山田治部左衛門という者をはじめとして、途中で乗馬が倒れる者が相次ぎ、引きずるように連れてこなければならなかった。

 毎日朝夕に馬の調練に余念がない信長に対し、倒れた馬は普段から厩に繋がれている時間が長く、準備不足が明らかだった。


 やがて、俺たちより先着していた犬飼内蔵という者が偵察から戻って来て、信次が逃亡し、城下が焼き討ちされ、城が達成方に降伏したことを報告した。


 信長は明らかに苛立っていた。

 理由は様々あるだろう。

 信次の不祥事と逃亡、達成に先を越されたこと、全然自分のスピードについてこれない部下たちのだらしなさ。

 だが、一番頭にきたのは、弟の軽率さだったらしい。


「我らの弟ともあろう者が供も連れず、下僕のごとく単騎で駆け回るとは、あきれた所業じゃ。とても許すことはできぬ。生きておれば、わしが手打ちにしてやるところじゃ!」


 この時代の武士は、名誉をことのほか重んじる。

 身分の高い者は、近くへ出かけるにも必ず供を連れなければ威厳を損なうとされていたのだ。

 それなのに、身分の低い者のように単騎でうろつき、むざむざ殺された弟に腹が立って仕方がない様子だった。


 だが・・・ちょっと待ってほしい。


(うん、言いたいことはわかるで!?けど・・・アンタもさっき、同じことしてましたやんっ!!)


 俺は心の中でツッコミを入れまくった。


(弟の頓死を聞くなり、供も連れず3里も駆け通したのはどこのどなたでしょう!?そう、織田信長さまです!)


 似たような心の声を発した者は大勢いたに違いない。

 清洲への帰り道、夏草を蹴飛ばしながら、俺はそんなことを考えながら馬の歩みを進めていた。


 数ヶ月後、さらなる激震が弾正忠家を襲った。


 同年11月26日、那古野城主・織田信光が殺された。

 下手人は近臣の坂井孫八郎という者だった。

 41歳、脂が乗った年齢であり、まだまだこれからだった。


 殺された理由はよくわからない。

 一説には坂井が信光の妻と不倫関係に陥り、そのもつれの結果とも言う。

 実力者の呆気ない頓死は祟りを連想させ、世間は信光がつい数ヶ月前に起請文まで出しながら織田信友らを裏切った神罰ではないかと噂した。


 信光の死は、弾正忠家を決定的に真っ二つに割るきっかけとなった。

 骨肉の争いが、始まろうとしていた。

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