第23.5話 通字とか偏諱って何?
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第24弾です。
今回のテーマは、通字とか偏諱って何?です。
第24話に出てくる、通字と偏諱について書いています。
第24話を見る前にぜひご一読ください。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「通字とか偏諱って何?」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
うーん・・・シンプルにわからん。通字とか偏諱って何?
大田勇介
まず、通字からいこうか。これは結構簡単やな。先祖代々諱に受け継いでいる字のこと。
ヨシロー
ふーん?
マタスケ
まぁ、ピンとけーへんようやから、具体例を出すわ。信長の家でいくと、信長の父が信秀、祖父が信定。共通点わかる?
ヨシロー
みんな「信」の字が一緒やな。
マタスケ
そう。その「信」が信長の家の通字やねん。他に、足利家では「義」、徳川家では「家」なんかが有名やな。通字を使うってことは、その家の系譜に連なることを示してたんや。
ヨシロー
そうなんや。じゃあ、偏諱って何?
マタスケ
これは主君が家臣などに自分の諱の一字を与えることやな。
ヨシロー
それは何か意味があったん!?
マタスケ
主君から偏諱を賜わることは、大変名誉なこととされていた。主君側からすると、偏諱を与えることは信頼や親密さを示すことになり、家臣団の統制や序列化に役立った。
ヨシロー
例えば、どんなん?
マタスケ
今作の現時点の将軍・足利義輝とその父・義晴を例にとってみる。彼らは偏諱をたくさん行った人物として知られている。義晴は、斯波義統、今川義元、武田晴信(後の信玄)、尼子晴久らに偏諱を行った。一方、義輝は朝倉義景、尼子義久(晴久の嫡男)、武田義信(信玄の長男)、上杉輝虎(後の謙信)、毛利輝元、細川藤孝らに偏諱を行っている。
ヨシロー
みんな、もらった字を先頭の字にしてるな。そういう決まりなん?
マタスケ
そう!後ろの字にしたら失礼に当たったんや。大事ないただきものやから、みんなありがたく先頭の字にした。
ヨシロー
えーと・・・あげる字って決まってなかったん?細川って人、「藤」とか関係ない字もらってるやん!
マタスケ
いや、義輝の最初の名前は「義藤」やったから、ちゃんと偏諱を受けてるんよ。ちなみに、足利家の通字「義」の方が、固有名の「晴」・「藤」・「輝」などより格が上とされた。
ヨシロー
じゃあ、武田信玄や上杉謙信より斯波義統や今川義元の方が格上ってこと!?
マタスケ
あくまで家の格の話な。斯波や今川は足利家の一族やから、単に武田や上杉より家格が上やったって話や。与える偏諱に差をつけることで、将軍は秩序を保つ役割を持たせてた。
ヨシロー
けど、さっきので行くと、父親は「晴」の字もらってるのに、子供は「義」の字もらってるとこなかったか?
マタスケ
実は、義晴・義輝父子のときは将軍の力がめちゃくちゃ弱くて、たびたび京から逃げ出すくらいやった。少しでも存在感を見せるために、偏諱を濫発してた。偏諱をもらった大名は御礼の金品を献上したから、貧乏な将軍はそれ目当てで偏諱を繰り返した側面もある。せやから、それまで家格が低くて偏諱を与えてなかった家にも与えたり、より高い格の偏諱を与えたりするようになっていった。
ヨシロー
名前ひとつとっても、色んなことがわかるんやな。
マタスケ
ちなみに、第24話では信長の弟・信勝が「達成」に改名してるけど、通字の「信」を捨てて「達」の字を使ってることに注目したい。
ヨシロー
通字使わんかったら、先祖とのつながりがなくなるんちゃうかったっけ?
マタスケ
うん。だから、一緒に弾正忠の受領名を名乗って釣り合いを取ってる形やな。そうまでして「達」の字を使いたかったんは、織田一族でこの字を使ってたのが守護代だけやったから。元々は守護の斯波義達からの偏諱やからね。自分が織田弾正忠家の後継ぎであることだけやなく、清洲の織田大和守家と並ぶ存在であることをアピールする意図があったと考えられる。
ヨシロー
それって、かなり調子乗ってない?
マタスケ
せやな。織田一族のトップを目指すって、兄の信長だけじゃなく、織田一族全方位にアピってる感じやもんな。
ヨシロー
でも、それができたら、達成感ヤバいよな!
マタスケ
・・・あー、織田達成だけにな。
ナレーション
お後がよろしいようで。
現代ではほとんどなくなった、通字と偏諱の慣習。
実は、他の東アジア諸国では見られない、特異な日本の慣習でもあります。
中国を例に取ると、主君や親の字を使うなんて、もってのほかのことでした。
むしろ、既にあった地名や名称を恐れ多いからとの理由で変更することまでありました。
例えば、漢の初代・高祖(本名:劉邦)、第5代・文帝(本名:劉恒)、第7代・武帝(本名:劉徹)の場合。
「相邦→相国」(宰相の名称)、「恒山→常山」(中国の五岳のひとつ)、「徹侯→列侯」(諸侯を示す爵位)といった具合に変更されました。
国の重要な役職名や聖なる山の名前まで変えられてしまったのです。
国という言葉じたいも、これが広く使われるきっかけとなりました。
弊害も多かったので、皇帝のなかには絶対に普段使わない文字や新しく作った文字を本名にする人が増えたくらいです。
隣同士なのに、これだけ考え方が真逆なのも面白いですよね。