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第23話 中市場の戦い

何だかよくわからないままに織田信長の家臣となった主人公。


大事件から6日後、復讐戦の幕が切って落とされます。

 守護・斯波義統ら一族を死に追いやった織田大和守家の軍は、逃げた斯波岩竜丸を追い求め、清洲城を出て南下し、那古野城下に迫りつつあった。


 これに対し、織田信長は末盛城の弟・織田信勝に援軍を頼み、その到着までしばらくの間にらみ合いとなった。

 清州軍の数が単純に信長の手勢よりも多かったこと、援軍を得て清州軍を破った後は清州城まで攻め寄せ、あわよくば城を奪ってしまおうと考えたからだ。

 信長の手勢だけでも野戦には勝てるかも知れないが、城攻めを行うには兵力が明らかに不足していた。


 天文23年(1554年)7月18日、俺は織田弾正忠家の軍に足軽衆の一員として加わり、戦場へと向かっていた。

 目指す戦場は、皮肉なことにこの世界での俺の生まれ故郷、安食だった。

 他には安孫子右京亮、藤江九蔵、木村重章、芝崎孫三、山田七郎五郎らが足軽衆として参戦していた。


 清州軍は那古野城の北から北西にかけて広く布陣しており、北西方面に清洲軍の本軍、北に別働軍がいた。

 俺たちが立ち向かったのは、敵の別働軍の方だった。


 弾正忠軍も二手に分かれ、信長の本軍は敵の本軍と対峙し、俺たち別働軍の総大将は、駆けつけた末盛勢を率いる柴田勝家が務めていた。


 敵が陣取る安食へ向かう道中、俺は柴田勝家との初対面について思い出していた。


 柴田勝家。

 信長や秀吉、家康らに比べると知名度は落ちるが、戦国時代の有名人だ。


 実物の勝家は、見上げるような大男だった。

 恐らく身長は6尺(約182cm)以上あるだろう。


 与力として付けられた俺たち斯波家臣に対し、挨拶とねぎらいのために姿を見せたとき、その存在感に驚いたものだ。

 よく見れば、それほどいかつい顔をしているわけではないのだが、何と言っても顔の下半分を覆うヒゲが威圧感を増している。


「大将を仰せつかった柴田権六郎にござる。こたびの武衛様のこと、まことに残念でござった。それがし、武衛様の御無念を晴らすため、微力ながら力を尽くす所存!」


(何か、声めっちゃデカイんやけど・・・。戦場で大きい声出すからか!?現代の芸人さんより声張ってはるわ。)


「わざわざ丁重なご挨拶をいただき、かたじけのうございまする。」


「まぁ、大船に乗った気でいてくだされ!我が軍の意気は大いに上がっており申す。そこへ御歴々も加わり、全軍束になってかかれば、いかなる敵も破れぬことはありますまい!共に死力を尽くしましょうぞ!!」


 応対した者にそう言った後、勝家は「不足のものはないか」など細々とした気遣いを見せ、引き返していった。

 見た目や声の大きさに「圧」を感じたが、いい人そうなイメージだった。

「圧」の強さで言えば、信長の方がはるかにキツい。


 実際、周りの斯波家臣たちは、一様に好感を抱いたようだった。

 だが、俺はちょっぴり苦手意識を持ってしまった。


(何か・・・現代で言ったら、バリバリの体育会系って感じなんよな・・・。正直、あんまり相性良くないタイプかも・・・?)


 前世で俺は公立高校の教師だった。

 そのとき、最も苦手な同僚がベテランの体育の先生だった。


 熱心な先生だったが、声が大きく、何かと自分の意見を主張し、周囲を巻き込み、最終的には意思を押し通していた。

「部活はすべてに優先する!」みたいに考えてる節があって、顧問を務める部活の生徒たちを自分色に染めていくようなところがあった。

 日々努力を重ね、一致団結し、根性さえあれば、何でも成し遂げられると本気で思っているようで、集団から離脱する者をなかなか許さなかった。


 体育系の部活に属さずに学生時代を過ごしてきた「文化系」の俺にとっては息苦しく、苦手な存在だったのだ。


 もちろん、その人と勝家はまったくの別人だ。

 少しばかり似たような雰囲気を感じただけに過ぎない。


 くだんの先生も、普段は話が面白く、気のいい人だった。

 仕事など、集団で何かをする場合、合わない人がいるというだけの話だ。


 こんなちょっとしたことで、心にさざなみが立つ。

 父と兄を失ったばかりで、色んな感情が抑えきれていないのか。


 それにしても。


「努力」、「チームワーク」、「根性」。


 ひとつひとつは素晴らしい要素だが、混ぜ方によっては大変危険なものが出来上がることを、俺は身に沁みて感じたものだった。


 しかし、軍隊にとっては最良の組み合わせだろう。


 体育会系の雰囲気を漂わした勝家の率いる軍は、わずかな時間で寄せ集めとは思えない連帯感を発揮しはじめていた。

 勝家直属の末盛勢が、与力の斯波家臣団が、信長が寄越した足軽衆が、ひとつの集団として力を見せはじめたことは、柴田勝家という将の優秀さを如実に示していた。


 安食に到着した勝家軍は、敵の矢をものともせずにかい潜り、村の前へ陣取る敵へと殺到した。

 先陣を切った信長の足軽衆が持つ長い槍の効果もてきめんで、たちまち短い槍の清洲軍を圧倒した。


 その有様を目の当たりにして、俺は信長の非凡さをハッキリと実感した。

 槍を構えて突き入るときの「衝撃力」が違うのだ。


 また、敵からしてみれば、自分たちのリーチ外から一方的に攻撃されるのだから、たまったものではないだろう。


 この時代の軍隊は一騎単位の集まりに過ぎず、組織的な動きに乏しい。

 それに対して信長の兵は普段からよく訓練されていることが見て取れ、数百人の部隊が組頭を中心にした「かたまり」で動いた。


 開けた戦場で正面きってぶつかる状況なら、信長軍の長槍部隊は無類の強さを誇るはずだ。


(組織力でも武器でも相手より優れてるんやから、そりゃ勝つわな。)


 敵は安食村の戦線を維持できず、北へズルズルと敗走していった。

 それでも、庄内川の手前、成願寺の前で踏みとどまり、抵抗の構えをみせた。


 その敵の様子を遠望し、再度の戦闘を覚悟した瞬間、突然敵陣が混乱しはじめた。

 成願寺の門が開き、突出してきた数十人の集団が不意に敵を襲ったのだ。

 敵は算を乱し、夏場で水量が減った庄内川を渡り、清洲城を目指して西へと落ちていく。


 成願寺から出てきた集団の先頭に立つ人物の顔を見て、俺は破顔した。


「伝兵衛!ご苦労だった。」


 亡き兄の側近、安食伝兵衛が片膝をついて迎えた。


「さすがは伝兵衛。成願寺に避難してくれたのだな。みんなは無事か?」


「はっ。御方様をはじめ、みな息災でございまする。」


 兄の妻・せつさんら安食村の館にいた太田家の関係者は全員無事に避難できたようだ。


「又介様。いや、殿。軍列にお加えくだされ。それがしも弔い合戦に馳せ参じとうございまする。」


「よし、共に仇討ちを果たそう。ついて参れ!!」


「はっ。」


 川を渡り、進軍するにつれて、あちこちからバラバラと数人から十数人単位で駆けつけてくる者たちで勝家軍は膨れあがった。

 彼らは斯波家の家臣であり、織田大和守家の軍勢に攻撃され、館を焼かれ、食糧や普段着にも苦労する憂き目を見ていた。

 いま、斯波義統の仇討ちを掲げて進軍する勝家軍を見て、参戦を望んだのだった。


 また、九坪からも人数が駆けつけた。

 九坪の簗田家は織田大和守に与していたが、一族で信長方の簗田弥次右衛門が働きかけて本家を追放し、信長方に馳せ参じたのだった。


 数を増した俺たち勝家軍は、真っ黒な塊となって清洲城に迫った。


「南だ、山王口へ回れ!」


 敵軍の幾らかは東門から城内に逃れた。

 しかし、俺たちの追撃が激しかったため、敵軍の一部は南側へと走るしかなかったのだ。


 山王口に近づくと、そこは既に敵軍でごった返していた。

 那古野城北西に展開していた敵の本軍も勝家軍の進撃を聞き、退却してきていたのだ。

 その中には、河尻左馬丞、織田三位ら敵軍の大物の姿もあった。


 山王口の手前、中市場で俺たちは清洲軍と最後の激闘を繰り広げた。

 ただ、それは一方的な展開となった。


 勢いに乗る俺たちは清洲軍を町口の大堀に追い込んだ。

 河尻ら清洲軍は2,3間(4〜6m)を隔てて戦おうとしたが、槍の長短まではどうにもならない。


 河尻左馬丞、織田三位、雑賀修理、原、八坂、高北、古沢七郎左衛門、浅野久蔵ら名だたる将30人余りを討ち取った。

 織田三位を討ち取ったのは、由宇喜一という17,8歳の若者だった。

 斯波家臣の彼は途中から槍だけ持った浴衣姿で駆けつけ、殊勲に輝いたのだ。


 俺は、味方が次々と敵将を倒していく様子を黙って眺めていた。

 つい一週間ほど前には、彼らは主君・斯波義統らを血祭りにし、勝鬨をあげていたのだ。

 それがいま、哀れな最期を遂げつつある。


 それと共に、ここ数日俺の身を包んでいた怒気や憎しみが、まるで風船から空気が抜けるように、急速にしぼんでいった。

 死にゆく彼らが、父や兄の死のきっかけとなったのは間違いない。

 だが、これが仇討ちの達成感なのだろうか?

 整理のつかない感情を抱えたまま、俺はすべての敵の最期を目に焼き付けていた。


 この戦いの結果、織田大和守家は主だった者だけで30人以上が討ち死にし、雑兵まで含めると数百人の損害を被った。

 そして、織田大和守家の重臣格は坂井大膳を残すのみとなった。


 城を落とすことはできなかったが、信長は上機嫌だった。

 織田大和守家は「主君殺し」の汚名を負ったばかりか、壊滅的な損害を受け、清洲城周辺を領するのみの弱小勢力に転落した。


 信長はさらなる敵勢力の分裂を誘うため、大和守家の与党の領地を自分に味方した者に与えた。

 大和守家の凋落を意識づけ、こちらに寝返ってくる者が出てくることを期待したのだ。


 具体的には、先年味方に寝返り、今回も本家を追放して九坪を信長方にもたらした簗田弥次右衛門が、簗田本家の当主及び九坪城主とされた。

 簗田弥次右衛門は出羽守の受領名を許され、簗田出羽守政綱と名乗りはじめた。


 一方、追い詰められた坂井大膳は、巻き返しのため新たな策を練る必要に迫られていた。

安食の戦いの結果、織田大和守家の主だった家臣たちは多く討ち死にし、パワーバランスが明らかに崩れました。


追い詰められた大和守家の家老・坂井大膳は、起死回生の一手を考えはじめます。


 ……………………………………………………………


今作では、「簗田弥次右衛門→簗田出羽守政綱」としています。


今後どう絡んでくるかは、乞うご期待ということで!

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