第20話 村木の戦い(後編)
大胆な作戦を立案した信長は、思いもかけぬ悪条件に見舞われます。
だが、そんな困難もなんのその、鮮やかな決断をくだして強引に道を切り開いてしまいます。
「このような大風では無理にございます。沖はもっと波が高うございましょう。渡海はできませぬ!」
船頭や舵取たちが必死の形相で訴えた。
天文23年(1554年)1月22日。
予定では小河城へ向け、熱田から船を出す日であった。
だが、この日は朝からあいにく予想外の大風に見舞われていた。
吹きつける風は大波を生じ、熱田の湊に次々と打ち寄せた。
そのたびに繋がれた船は大きく揺れ、人など乗せたら振り落とされそうだった。
こんな天候で出航すれば、命の保障などできるはずもない。
だからこそ、船乗りたちは涙ながらに延期を訴えたのだ。
しかし、相手は信長だ。
頑として言うことを聞かない。
「昔、渡辺・福島の湊で源義経と梶原景時が、逆櫓(退却に備えて逆方向に漕ぐ櫓のこと)をつけるか否かで争った時の風も、このくらいだったはずじゃ。是非とも渡海いたす!船を出せ!!」
などと言い、遂には強引に出港してしまった。
船乗りたちが出航を躊躇う大風だ。
ビックリするような速度が出て、20里(約80km)ほどの行程をわずか半刻(1時間)で押し渡るという驚異的な記録を叩き出し、何とか無事に小河へと着岸した。
さすがに憔悴しきった軍勢に休息を与えるため、その日はそのまま野営させた。
ただ、信長自身はすぐに小河城へ向かい、城主・水野信元と会って周辺の状況について聞き取り、その日は小河城に泊まった。
1月24日、船酔いや船旅の疲れも癒えた信長軍は、夜明けとともに出撃し、村木砦の攻撃に向かった。
村木砦の北側は入江が深く入り込み、天然の要害となっていたため攻めようがなく、守備兵はいなかった。
門は東西に開いており、東が大手(表門)、西が搦手(裏門)だった。
南側は防御力を高めるため、向こう側がハッキリ見えないほど幅広い空堀(水の入っていない堀)を甕のような形に深く掘り下げ、堅固な構えとなっていた。
信長軍は3つに分かれ、それぞれ東、西、南の三方向から攻め寄せた。
東の大手を担当したのは、地元の水野信元の軍。
西の搦手を担当したのは、信長の叔父・守山城主である信光の軍。
最も攻めづらい南を引き受けたのが、信長の軍だった。
総大将はふつう、戦場で身を危険にさらさないものだが、信長は勇敢だった。
「敵砦の狭間(弓などで敵を攻撃するために城壁にあけられた穴)3つの攻撃は、わしが鉄砲で引き受けた!」
と言いつつ、堀の際まで進み、自ら敵砦へ向けて鉄砲を射った。
横には鉄砲の装填をするための人がつき、信長は何発射ったかわからないほどだった。
大将がこんな具合だったから、部下が奮い立たないはずがない。
我先にと堀へ突入し、登り、突き落とされてはまた這い上がった。
損害をかえりみない突撃により、負傷者や死者は数知れず。
信長の本陣は野戦病院と化し、やがて死体安置所へと変わっていった。
他方、西側では信光軍が砦へ肉薄し、遂には六鹿という者が外丸へ一番乗りを果たした。
東側でも水野軍が攻め立てていた。
対する守備兵の奮戦もめざましいものだったが、辰の刻(午前8時ごろ)から申の下刻(午後5時ごろ)まで三方から休みなく攻め立てたため、負傷者や死者が続出した。
しだいに兵が少なくなり、ついには降参した。
信長はこれを許し、砦を水野信元に譲って後始末を任せた。
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信長が本陣に戻ると、そこには惨状が広がっていた。
過去の戦いではなかった、おびただしい損害の実態がそこにあった。
信長は、部下たちの奮戦を讃え、負傷者に親しく声をかけてねぎらった。
そして、死者が安置されている一角へ足を向けた。
「こやつもか、あやつも死んだか・・・!」
つぶやく信長の目から、途切れることなく涙がこぼれた。
この数年苦楽を共にし、毎日のように顔を合わせてきた連中だった。
世間から白い目で見られてきた信長を支え、戦場にも常に付き従ってくれた。
だが、彼らとはもはや共に日々を過ごすことはできない。
共に戦場を駆けることもできない。
その現実が、悲しみとなって信長の全身を包んだ。
立ち尽くす信長に、誰も声をかける者はいなかった。
死んだ部下たちと、彼らを死に追いやった主君による、物言わぬ対話のときが静かに流れていた。
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翌朝、信長軍は敵方に寝返った寺本城に攻め寄せ、城下を焼き払った。
これにより、信長は作戦目標を達成した。
小河城の喉元を押さえるような位置にあった村木砦を攻め落とし、同盟者・水野一族を足枷から解放した。
そして、寺本城をも攻撃することで、織田弾正忠家の勢威を見せつけた。
その神出鬼没な機動は、山口父子ら今川方の度肝を抜くのに十分だった。
帰路についた信長は、1月26日に那古野城へ帰り着き、安藤守就の陣へ挨拶へ出向いた。
留守を守ってくれたことへの謝辞を述べ、村木の戦いの一部始終を語った。
翌日、美濃勢は帰国した。
斎藤利政は、守就らの報告を聞くと、大きなため息をついた。
「恐るべき男じゃ・・・隣国には居てほしくない者じゃな・・・。」
大風をついて船出した勇敢さ、決断力、村木砦攻めに見せた苛烈さなどを聞くにつけ、利政は戦慄を覚えたのだった。
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※村木砦の戦いの行軍図と戦闘経過図を追記しました。
☆行軍図(熱田~小河城)
☆行軍図(村木砦~熱田)
☆村木砦の戦い戦闘経過図
一般の知名度は低いですが、「村木の戦い」には信長の魅力が詰まっている感じがします。
斎藤道三(利政)が信長のことを恐るべき男と評価した理由がよくわかります。
次回は久しぶりに主人公が登場します。
何話も登場してなかったから、ボチボチ誰が主人公か分からなくなるところでした(笑)
ようやく主人公と信長の人生が交差し始めます!!
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この村木の戦いの際、信長らが乗った船は20里(80km)を一刻(1時間)ほどで押し渡ったと『信長公記』に明記されてます。
47ノットという汽船並みの速度が出たことになるんですが、ホンマかいな!?って感じです。
しかし、『信長公記』を尊重し、今作ではそのまま取り入れました。




