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第16話 諫死

信長が周辺勢力と激闘を繰り返している頃、信長とその家老たちの溝が深まっていました。


1人は別の当主候補へ心を寄せはじめ・・・もう1人は思い詰め、ある悲劇的な行動に移ろうとしていました。

 ひとり座す夜は、己との対話のときである。

 身を包む静けさが、心にわき立つさざなみを徐々に鎮めていくからだ。


 多くの場合、それは明日を生きる活力となる。

 心の平安こそが、自分の平静さを保つ糧となるためだ。


 だが、この夜の平手政秀にとっては、そうではなかった。

 彼が己と対話を重ねるたびに、彼の心からはあらゆる感情や未練が抜き取られていく。

 それは、彼がこの世と別れを告げるときが迫っていることを示していた。


 死を前にして、彼が脳裏に思い浮かべたのは、息子や孫たちではなく、主君・信長のことだった。


 政秀は信長が13歳のときに正式に家老となったが、それまでも傅役(もりやく)(後見人、教育係)として幼少期から信長の世話をしてきた。

 ともに過ごした時間は息子たちとのそれと変わらず、肉親のような情を持つに至っていた。


 相性は決して良かったとは言えない。


 実直で和歌をたしなむなど風雅な政秀に対し、型破りで武張った信長は正反対の存在だった。

 それでも、信長は政秀に対しては親愛の情を見せたし、政秀も口やかましく意見をしつつ、信長に尽くし続けた。

 その点、最近信長から心を離しつつあるもう1人の家老・林秀貞とは異なっていた。


 また、政秀の長男・五郎右衛門は信長に馬を譲るよう求められ、応じなかったことを発端にして信長と折り合いが悪かった。

 これも政秀を悩ませる問題ではあったが、信長と政秀の間を切り裂くことはなかった。


 政秀が命を捨てようとまで思い詰めたのは、信長と外交政策で決定的に対立したからだった。


 最近の信長は、負け知らずで自信を深めていた。

 上総介(かずさのすけ)の受領名を名乗りはじめ、何者も恐れていなかった。


 だが、外交感覚に優れる政秀には信長が危うく見えた。


 信長は戦術的な勝利を積み重ねてはいるものの、戦略や政略の香りに乏しい。

 視野が狭く、身近な敵に気を取られ、東からゆっくりと迫りつつある大敵の存在にまるで気づいていないようだ。


 先年、三河国安祥城が今川軍に奪われた際、政秀は総大将として援軍を率いていた。

 その時、政秀は今川家の強大さを、今川軍を率いる太原雪斎の名将ぶりを、いやというほど見せつけられた。

 単純に自軍の倍の兵力を誇るだけでなく、その整然とした軍勢のたたずまいにつけいる隙を見つけられず、みすみす城が奪われるのを指をくわえて見ることしかできなかったのだ。


 以後、政秀は今川家と戦う不利を悟り、対今川和平派となった。

 今のところ今川家は反抗的な三河の国衆の統制に苦しみ、一時的に進軍が止まっているが、いずれは尾張になだれこんで来るのが目に見えていた。

 実際、昨年には鳴海城の山口父子の要請に応じて直ちに笠寺へ部隊を派遣し、尾張進出の足がかりを得ているのだ。


 しかし、政秀の進言はことごとく退けられた。

 自分の意見を通すためには、もはやこの手しかない。


 政秀は心を決め、短刀の柄を手に取った。

 そして、薄暗い室内でも鋭く光る刀身をのぞき込んだ。

 そこには疲れ果てた老人の顔が映し出されている。


 フッとその顔に笑みが浮かんだ。

 もう思い残すことはない。


 次の瞬間、政秀のしわ腹に短刀が吸い込まれた。


 天文22年(1553年)閏1月13日、平手政秀は自邸にて切腹して果てた。

 享年62だった。


 訃報はまもなく主君・信長のもとへも届けられた。


「申し上げます。今日未明、平手中務丞(なかつかさのじょう)様、腹かき切って果てられたよし!」


「爺が!?・・・であるか。」


 言葉少なだが、信長の表情には驚きと深い悲しみが交差していた。

 信長は、政秀の死が諫死(目上の相手に対する忠告を死でもって示すこと)であることをすぐに見抜いた。


 これまでも政秀は信長に対してたびたび諫言(目上の相手に対して忠告すること)を繰り返してきた。

 その内容は信長の素行という些細(ささい)なものから、外交政策まで多岐にわたっていた。


 信長はそのことが煩わしくもあり、また何を言われようと簡単に信念を曲げる男ではなかったから、結局は黙殺する結果となっていた。


 だが、政秀の言葉のひとつひとつに込められた、信長や織田弾正忠家への忠誠は疑いなく、信長にとって政秀が頼もしい存在であることには変わりなかったのだ。


 その政秀が死んだ。


 信長にとっては幼少期から身近な存在だっただけに、喪失感は大きかった。

 その心の穴を埋めるかのように、信長は政秀のために寺を建立することにし、早速着手させた。

 その年のうちに小牧山の南、小木村に建てられたその寺は「政秀寺(せいしゅうじ)」と名付けられた。


 また、信長と折り合いの悪かった政秀の長男をはじめとして、平手一族が迫害を受けることもなく、所領は安堵(あんど)(主君による保証)された。

 ただ、政秀が占めていた家老の座を引き継ぐことはなかった。

 専制君主である信長にとって、不要の存在となったからだ。


 そして、政秀が命をかけて訴えた外交政策の転換は、果たされることがなかった。

 信長は自分の方針に疑いを持っていなかったし、いくら忠臣が死をもって迫ったとしても、信念を変える男ではなかった。


 平手政秀の諫死は目的を果たしたとは言えず、結果的にただ歴史書に名をとどめるのみとなってしまった。

平手政秀の死、その理由はいまいちハッキリしませんが、今作では通説と違う理由をあげてみました。


込めた想いの詳細は分かりませんが、信長の心の琴線には何かしら響いたものがあったようです。

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