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第15話 萱津・深田・松葉の戦い

 信長の苦難はなお続いた。

 笠寺の今川勢を排除できず、まだ当主としての地位を固められないまま、新たな危機が訪れようとしていた。


 ……………………………………………………………


「父上、しばらくは家臣たちに極力外出せぬよう伝えた方が良いかと。」


「なぜじゃ!?」


「本日未明から大和守家の軍が大勢出撃していきました。戦火がこの清洲まで及ぶかも知れません。」


 朝の挨拶もそこそこに、俺は父に家中の者たちの外出自粛を進言していた。


 出撃した大和守家の軍勢が戦う相手はおそらく信長だろう。

 俺は前世の記憶をたぐり、清洲の織田大和守家は信長に勝ったためしがなかったはずだと思い至ったのだった。

 となれば、今回の戦いも清洲軍が破れ、勢いに乗った信長軍が清洲城周辺まで侵攻してくる可能性が十分に考えられた。


 いきなりのことだったが、父は悩んだ末に俺の進言を受け入れた。

 俺の必死さを汲んで、万が一に備えてくれたのだった。


 ……………………………………………………………


 天文21年(1552年)8月15日、清洲城から発した軍は五条川を渡り、南下を開始した。

 坂井大膳、坂井甚介、河尻与一、織田三位ら織田大和守家の重臣たちが謀議をこらし、攻撃対象に選んだのは深田・松葉の両城だった。


 両城は信長の勢力下にあり、深田城主は信長の叔父にあたる織田信次、松葉城主は織田一族のひとり織田伊賀守だった。

 両城の間は10町(約1km)も離れておらず、清洲軍はこの両城をまとめて攻略しようと狙ったのだった。


 清洲軍はたちまち両城を降伏させ、その日のうちにそれぞれの城主から人質を取って占領してしまった。


 この両城は信長の居城・那古野城と旧本拠地・勝幡城や経済的に重要な津島をつなぐ連絡線上にあった。

 両城を押さえることで、坂井大膳らは信長領の連絡線をおびやかし、あわよくば信長領を東西に分断することを狙ったのだった。


 だが、これに対する信長の反応は早かった。


 清洲軍出撃と深田・松葉両城への攻撃の知らせを受けるや、ただちに叔父で守山城主の織田信光、弟で末盛城主の織田信勝に援軍を求める使いを送った。

 清洲の織田大和守家は信秀の代から幾度も敵対してきた相手だ。

 両者ともすぐ援軍を出すとの返事を寄越した。


 援軍の約束を取り付けると、信長軍は翌8月16日の暗いうちから那古野城を出発し、西に2里(約8km)ほどのところにある稲葉地まで兵を進めた。

 ここは庄内川の東岸にあり、深田・松葉両城へ進むためには庄内川と五条川を渡る必要があった。

 信長はここで叔父・信光の守山勢や弟・信勝の末盛勢と合流しようと考えていた。


 友軍を待つ間、信長は物見(偵察)を放って川向こうの敵勢の所在を調べた。


 その結果、川向こうには敵の大部隊は見当たらないとの情報が得られた。

 どうやら清洲軍は深田・松葉両城に守備兵を残し、主力は清洲方面へ引きあげた後のようだった。


 待つことしばし。


 友軍が到着する頃には、信長は情報を集め終わり、次の行動についても自分なりの結論を出していた。


 信光の率いる守山勢、柴田勝家が率いる末盛勢が到着すると、早速軍議(作戦会議)が開かれた。


「全軍北上し、清洲を攻むべし!」


 まず口火を切ったのは信長だった。

 敵が川向こうにはいないことを説明し、全軍で清洲へ進軍することを主張した。


「いや、深田・松葉の城にどれだけの兵がいるか見当もつかぬ。数百ずつを両城に差し向け、残りの全軍で萱津口へ向かおう。深田や松葉の兵に後ろを衝かれては、たまらぬ。」


 それに対し、深田・松葉両城へいくらか抑えの兵を向けることを主張したのは織田信光だった。


「それはようござる。もし城兵が少なければ、攻撃をかけさせましょうぞ!」


「・・・」


 柴田勝家が信光の案に賛成し、軍を3つに分けることに同意した。

 信長は清洲の本軍さえ叩けば、枝葉に過ぎぬ両城など放っておいても手に入ると思っていたが、黙っていた。


 「敵を騙すには、まず味方から」という。

 信長はもうしばらく「爪を隠す」ことにしたのだった。


 信長軍は庄内川と五条川を渡ると、軍を3つに分けた。

 2つの支隊は深田・松葉方面へ南下し、本隊は北上した。

 北上すると、清洲城の外堀のようになっている五条川に突き当たる。

 五条川の南岸を押さえ、川を渡れば清洲城は目の前だった。


 一方、信長軍の進撃に気づいた清洲軍も、城を出て五条川南岸の萱津村に陣を敷いた。

 萱津は清洲城の南30町(約3.3km)ほどの地点にあり、南から清洲へ向かう際には通らずにはいられない、重要拠点だった。


 大きく迂回し、西から清洲へ向けて延びる街道をつたって進軍していた信長軍は、ついに辰の刻(午前8時ごろ)に萱津の入り口で清洲軍と交戦した。


 清洲軍の先陣をつとめたのは家老のひとり、坂井甚介だった。

 かつて小豆坂の戦いにおいて亡き織田信秀から家臣のような扱いを受け、それ以来弾正忠家のことを嫌いぬいている男だ。

 押し寄せる信長軍に対し、陣頭に立って奮戦し、一歩も退かぬ構えをみせた。


 広々とした戦場での野戦ではなく、窮屈な「市街戦」を強いられた信長軍は苦戦していた。

 兵の数は信長らの方が多かったが、狭い戦場ではその利点を活かせなかったのだ。


 それでも、ようやく信光の家来・赤瀬清六が坂井甚介に斬りかかった。

 清六は元々信光の小姓だったが、たびたび手柄を立て、武名を知られた存在だった。

 しかし、甚介もすさまじく武勇をふるい、ついに清六を討ち取った。


 その後も、数時間に渡って激闘が続いた。

 信長軍からすれば、戦局を打開できないまま、時間だけが過ぎていった。

 焦りがじわじわと信長軍全体を包みはじめたころ、事態は意外なところから急転した。


 ……………………………………………………………


「それはまことか!?」


「はい。それがしのみならず、那古野弥五郎殿らも内応(寝返りのこと)いたしたいと。」


「でかした!」


 清洲軍を攻めあぐねていた信長は、心の底から喜びの声をあげた。

 目の前の男がもたらした話は、文字通り「福音(喜ばしい知らせ)」というべき内容だったのだ。


 男の名は簗田弥次右衛門という。

 まだ若く、眉目秀麗で、それでいていかにも抜け目なさそうな雰囲気を漂わせていた。

 守護・斯波家の家臣であり、清洲の北東にある九坪の小領主の一族だが、身分は低かった。


 彼は自分の立身出世を望み、弾正忠家に身を投じることで、己の運を開こうとした。

 もちろん、彼ひとりが味方しても、インパクトに欠けることは百も承知だ。

 そこで、秘かに大和守家の家臣幾人かと話をつけ、一緒に寝返る段取りを決め、このタイミングで信長の陣に駆け込んだのだった。


 ちなみに、那古野弥五郎は小豆坂の戦いで戦死した、あの那古屋弥五郎の息子だ。

 彼は父の葬儀に主君・織田信友による弔問がなかったことを恨み、秘かに不満を溜め込んでいた。

 簗田はそのことを知り、弥五郎と親交を深めていたのだった。


 弥五郎はまだ17,8歳の若者に過ぎないが、那古野家の兵力は3百に及ぶ。

 また、行動を共にする者たちの手勢も含めると、その総数は5百をくだらなかった。

 それだけの軍勢が敵軍から離れ、自分に味方しようという。


 信長の歓喜は、当然だった。

 簗田の忠節に満足し、褒美を与えようとした。


「そのほう、何を望む?」


「されば、それがしを簗田本家の当主にしていただきたく!本家をはじめ、他の一族は大和守様に与しておりますれば。」


「であるか。良かろう。」


 ……………………………………………………………


 突如、清洲軍の後方で那古野勢らが反乱を起こした。


 いきなり腹背に敵の攻撃を受けた清洲軍は、たまったものではなかった。

 先ほどまでの奮戦が嘘のように、あっけなく総崩れとなった。


 それでも退こうとしない坂井甚介は、ついに柴田勝家と中条家忠が協力して討ち取った。


「追えっ!!」


 戦闘で最も戦果があがるのは、敵を追撃するときだ。

 逃げる清洲軍を追いかけ、信長軍は五条川を渡って清洲城下に乱入した。

 たちまち城下町のあちこちに火が放たれ、清洲城ははだか城になってしまった。

 

 信長軍はさらに清洲城への攻撃を試みたが、城の守りが堅いうえに十分な攻城兵器もなく、すぐに諦めた。

 城内には守護の斯波家もおり、攻めることで万が一不幸な事件が起きる可能性があることも怖かった。


 だが、撤退しながらも敵の領内の稲などを刈り取り、嫌がらせをするなど、自分たちの勝利を見せつけた。


 また、深田・松葉両城に向かった支隊も、迎撃してきた城兵を打ち破り、両城の奪還に成功していた。

 すべての戦場で勝利を収め、終わってみれば信長軍の完全勝利だった。


 一方、大敗した清洲城内では坂井大膳らが青い顔を見合わせていた。

 負けたことや坂井甚介らの戦死もショックだが、守護の家臣や大和守家の家臣が幾人も裏切ったことが最も大きな衝撃だった。

 

 「武衛様は隙をみて清洲城を乗っ取るつもりではないか?」などという者までおり、清洲城内は疑心暗鬼に包まれつつあった。


 ……………………………………………………………


 戦の集結後、俺はいつものように情報収集に努めた。


 信長軍の勝因は、やはり那古野弥五郎らの内応だった。

 小豆坂で死んだ弥五郎の葬式での仕打ちを考えると、清洲軍の敗北は自業自得と言ってもよいだろう。


 そして、今回の戦いで最も名を高めたのは柴田勝家だった。

 末盛勢を率いただけでなく、敵将を討ち取ったのだから、これは当然の結果だろう。


 また、織田信光も弾正忠軍を事実上指揮した者とみなされ、武名を上げていた。


 しかし、大将である信長の名はほとんど聞かれなかった。

 相変わらず「大うつけ」として扱われ、まったく評価されていなかった。


 これはある意味、仕方がないのかもしれない。

 実績のないハタチそこそこの信長より、実績十分でアラフォーの信光やアラサーの勝家が注目はされやすいのだろう。


 信長がいつ「爪をあらわす」のか。

 俺の興味は尽きなかった。


 ……………………………………………………………


※萱津・深田・松葉の戦いの清洲軍の作戦図と戦闘経過図を追記しました。


☆萱津・深田・松葉の戦い(清洲軍の作戦)

挿絵(By みてみん)


☆萱津・深田・松葉の戦い戦闘経過図

挿絵(By みてみん)

「今話で登場した那古野弥五郎=小豆坂の戦いで討ち死にした那古屋弥五郎の息子」としました。


名字が微妙に違う(「那古野」と「那古屋」)など気になる点もありますが、押し切りました。


今後もちょくちょくこういう「アレンジ」が入りますので、楽しんでくださいね。

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