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第150話 猛攻

信長の指示により上月城の救援と別所攻めの両立を諦めた秀吉は、すぐさま方針の転換を行いました。


高倉山の陣を払った織田軍は、急速に東へと進み、東播磨の海沿いにある神吉・志方両城へ攻めかかったのでした。

 播磨国印南郡にある神吉城は、嘉古川(加古川)の右岸にそびえる赤松分家の神吉家が本拠とする城だ。

 城の北方約1里(約4km)のところには志方城があり、こちらは代々赤松家の重臣として忠勤に励んだ櫛橋家の本拠だった。


 俺は両城の西に位置する山に陣取った丹羽長秀勢の一員として、久しぶりに戦場の土を踏んでいた。

 もっとも、かつてのように戦闘要員としての役割は期待されず、すでに老齢に差し掛かった者として第一線からは外れ、兵糧などの物資を運ぶ小荷駄部隊としての参加となった。

 たまたま高倉山への物資補給のための部隊のひとりとして西進していたところ、急きょ目的地が変更になったかたちだった。


 突然織田の大軍の圧力を引き受けることになったこの両城だが、実際に街道を往来したり近くに布陣してみるとその重要性がよくわかった。


 まず第一に、両城は秀吉が拠点とする姫路城や書写山と別所家の本拠・三木城のちょうど中間に位置し、別所勢力圏の最西端を形成していた。

 ここを奪うことができれば、別所軍を印南郡から叩き出すことができる。

 つまり、嘉古川西岸の支配権を織田の手に奪い返すことができるのだ。


 それに加えて重要なことは、特に神吉城を落とすことで織田軍の中間基地である嘉古川城から御着城を経て姫路城や書写山をつなぐ街道の安全を取り戻すことができることだった。

 何しろ、神吉城は街道のすぐ北に位置し、ほとんど街道沿いに建っていると言ってもいいくらいの緊要の地だ。

 また、城兵の数は2千と号しており、実際はそれほどの数はいないかもしれないが近隣のどの城よりも大きな兵力を擁していることは間違いない。

 これまで別所方の襲撃を警戒しつつ苦労しながら西播磨への物資輸送を行っていただけに、神吉城攻略の重要性は誰の目にも明らかだった。


 陣地から10町(約1.1km)ほど離れた神吉城を遠望すると、俺の目にはその威容がよく見えた。

 城は舌のように嘉古川へ向かって東へ突き出した台地の上に築かれており、最も小高い場所には西の丸と本丸があり、北に二の丸、東に東の丸が配され、なかなか広大な城域を持っていた。

 東側には嘉古川が流れ、残りの三方には空堀が掘られて容易に攻め込めない地形となっている。

 平野部の丘陵上にある城にしてはかなりの防御力を誇り、まず堅城と言って差し支えないだろう。


(こちらの軍勢の総数は3万を超すとは言うものの、そう簡単には攻略できそうにないな。平地が多いから軍勢を展開するのは難しくないけど、苦戦はするやろ。何しろ、戦意が上がらんのか、上月城の救援は全然うまくいかず、織田軍は精彩を欠いているともっぱらの噂や。)


 しかし、天正6年(1578年)6月27日に始まった神吉城攻めは目の醒めるような猛攻となった。

 但馬方面へ進軍した羽柴勢、志方城への押さえとなった北畠信意(織田信雄)、戦場の西で不測の事態に備えた丹羽長秀を除く織田軍は、嘉古川で攻め口がふさがれた東を除く北・西・南の三方から城へと攻め寄せた。


 まず、北には城の北東にそびえる山を背中に当てて織田信忠、神戸信孝、林秀貞、細川藤孝、佐久間信盛らが前後左右何段にも陣を組み合わせ、戦線を形成した。

 彼らは二の丸の攻撃を受け持ったが、最も西側に展開する佐久間勢は北から西の丸への攻撃を担当した。


 南から西の丸への攻撃は、荒木村重の手勢が受け持つことになった。

 また、その東側には滝川一益、惟任光秀、西美濃三人衆、蜂屋頼隆、筒井順慶、武藤舜秀ら諸勢が展開し、本丸や東の丸の南側を攻め立てた。


 城の三方は幅広い空堀が取り巻いていたが、織田の大軍によってたちまち二の丸や東の丸の外郭は打ち破られた。

 これらは低い位置にあるために攻撃が比較的に容易ではあったのだが、それにしても恐ろしいばかりの攻撃力だ。

 城兵が空堀へ侵入してきた織田兵を的確に倒そうとしている間に、その期待された防御力をはるかに上回る織田軍が押し寄せ、数の暴力であっという間に防衛体制が崩壊したのだった。


 攻城戦の舞台は、高低差のある本丸と西の丸、二の丸や東の丸の一部へと移った。

 こちらにめぐらされた空堀も、真っ黒になって押し寄せる織田兵をさえぎることはできず、織田軍は数刻(数時間)に渡って攻め立てた。

 堀の向こうに建つ塀を突き崩し、突破口を開けて本丸内へ攻め込もうとしたのだ。

 貴賤は関係なく、信長の三男・神戸信孝も足軽に混じって城壁に肉薄し、激戦を繰り広げていた。


 しかし、さすがに戦線を整理し、使える防衛戦力を効果的に運用できるようになった城側の必死の抵抗により、突破口を開くことはできなかった。

 おそらく、敵はあらかじめ外郭が攻め破られたときの第二戦線を本丸と西の丸を中心とする小高い一角に設定し、軍勢の密度を高めるプランを想定していたのだろう。

 想定していた時期からはるかに早いことは誤算だろうが、予定の行動らしい整然とした部隊移動が行われていた印象だった。


 翌日以降も織田軍の猛攻は続いた。


 思ったより城内に配備されている鉄砲の数が多いため、竹把(銃弾よけの竹を束ねたもの)を先頭に立てて城壁へと詰め寄り、大量の草でもって堀を埋めようとした。

 後方には土を盛り上げて築山をつくり、その上に2基の櫓を組んで大筒と呼ばれる火縄銃よりも射程や威力を高めた大鉄砲(大砲)を据え、城の塀や矢蔵を砲撃した。

 さらに滝川勢ではわざわざ連れてきた坑夫に城へ向かって坑道を掘らせ、最終的に火薬を仕掛けて爆発させることで城壁を下部から吹き飛ばすという、大掛かりな攻撃の準備も始まった。


 また、北から長野信包(信長の弟)の軍勢を南の攻め口へ回し、加えて俺たち丹羽勢も麾下の若狭衆とともに南から東の丸への攻撃を担うことになった。

 予想に反して初日から驚くほどの戦果を上げたこと、毛利軍が東進してくる気配はなく、他にどこからも神吉城を救援する軍勢が来ないことを見極めての判断だった。

 織田軍の首脳陣は、早期の神吉城攻略に手応えをつかんだようだった。


 ここまでの猛攻が続いたのは、信長が派遣してきた検使の存在が大きかった。

 彼らは信長の目であり、耳であった。

 彼らによって消極的と判断されれば、後で信長にどのように処分されるかわからない。

 逆に目覚ましい活躍をすれば、信長から高評価を受けることにつながる。

 諸将の必死さが織田軍の猛攻となってあらわれたのだ。


 6月29日には信長からの命令が届き、兵庫~明石~高砂間の連絡路を守り、毛利水軍の襲来に備えるためにいくつも拠点を整備することになった。

 その責任者には万見重元が任じられ、津田信澄(信長の甥)と山城衆が添えられた。

 また、主将の織田信忠は林秀貞、市橋長利、浅井政澄、塚本小大膳、梁田広正らの諸勢を抽出し、敵の野口城、高砂城、魚住城などの兵庫~明石~高砂間の諸城へ差し向け、その攻略を命じた。


 神吉城の運命が定まったことは、当然城兵たちも感じていたようだ。

 実際、何度も降伏の申し出が織田軍に対してあったが、そのたびにはねつけられる結果となっていた。

 検使を通じて信長からは神吉城を攻め落とすようにとの厳命が下っており、戦況が順調なのもあいまって、降伏は受け入れられなかったのだ。


 結局、織田軍の攻撃は日夜続き、ついに7月15日の夜には東の丸が完全に制圧された。

 次いで16日には本丸に織田軍が攻め入り、激戦のなかで城主の神吉則実が討ち取られ、天守に火が放たれた。

 城主が討ち死にしても、残された城兵は抵抗を続け、それは天守が焼け落ちて城兵の半ば以上が戦死や焼死するまで続いた。


 一方、西の丸を守る神吉藤太夫は攻め寄せた佐久間・荒木勢へ降伏し、組織的な抵抗は終息した。

 藤太夫の降伏は佐久間・荒木両者の斡旋の結果、信長の許しを得た。

 ただ、1つだけ条件がつけられていた。


 解放された神吉藤太夫はそのまま志方城へと向かい、入城した。

 その直後、織田の大軍が志方城を囲み、攻撃を開始した。


 神吉城よりはるかに規模が小さい志方城では、その運命は明らかだった。

 やがて志方城から人質が城外へ出され、織田軍に届けられた。

 櫛橋家は神吉藤太夫の説得を受け、織田への降伏を決意したのだ。


 こうして、三木城の支城として防備が固められていた神吉城や志方城などは1ヶ月足らずでことごとく織田の手に落ちた。

 しかし、本番はこれからだった。

 休む間もなく織田軍は東進を開始し、続々と三木城周辺へ進出して要所々々に陣や付城を築き始めた。

 東播磨最大の敵、別所家との本格的な戦いが始まろうとしていた。

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