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第147話 窮地

三木城を中心に東播磨一帯に大きな勢力を持つ別所家の離反により、西播磨で毛利軍や宇喜多軍に備えていた羽柴秀吉は一転して窮地に立たされました。


ほぼ掌中にしていた播磨一国の支配権だけでなく、本国との連絡線も脅かされる事態になったのです。

「嘘やろ!?」


 さすがの秀吉も、一言第一声を発したのちは黙り込んでしまった。

 思いもよらぬ事態の急展開に、すぐには思考が追いつかない。


「残念ながら・・・まことにございまする。それがし、夜陰にまぎれ、三木城を危うく逃れてこなたへ参りました。別所の返り忠(裏切り)、嘘偽りはございませぬ。」


 目の前には青ざめた顔の別所重宗が座っている。

 とっくの昔に根回しがされ、もはや反織田・親毛利派が多数となった三木城から命からがら逃亡し、その足で書写山にある秀吉の本陣へ駆け込んできたばかりだった。

 鬢がほつれ、ところどころ薄汚れた衣服をまとう重宗の生なましい姿を見れば、とても嘘をついているようには見えない。


 だが、人間という生き物は、おしなべて見たいと思う現実を無意識に追い求め、不都合な真実から目をそらす習性がある。

 別所家の離反は起こっては困る最悪の事態のひとつだ。

 西播磨で最大の勢力を持つ別所家が離反すれば、羽柴軍は本国との後方連絡線を断ち切られ、兵糧や武器などの物資が途絶えて軍の維持自体が困難になってしまう。

 秀吉ですら、すぐには現実を直視できず、狼狽を隠せなかった。


「それがしの力が及ばず、お詫びのしようもございませぬ。なぜかような仕儀とあいなったか、それがしも合点がいかず・・・。」


 常には陽気で余裕綽々の秀吉が取り乱す様子を見て、重宗は所在なげにうつむく。

 あれだけ別所家中で強力なリーダーシップを発揮していた重宗も、自身の急速な没落がまだ信じられないような様子だ。


「・・・うろたえてはなりませぬ!」


 不意に細くやや甲高い声が響いた。

 秀吉軍の参謀のような地位を占める、竹中半兵衛重治の声だった。


「このまま手をこまねいていても、何にもなりませぬぞ。別所が背いたとなれば、これへ続く者も出て参りましょう。まずは、それを探ることが肝要かと。」


「半兵衛殿の申される通りでございまする。毛利や宇喜多の動きも気がかりにござる。備前や安芸を探り、別所の離反に乗じて敵が来ぬか確かめるべきでございましょう。」


 半兵衛に同調し、黒田官兵衛も即時の対応を求めた。

 別所の離反だけでも大変な状況だが、播磨国内の他の勢力もそれに続く恐れがある。

 また、この機会に乗じて毛利や宇喜多が攻めてくれば、さらにどうしようもない事態になってしまう。

 2人が言う通り、まずは情勢の把握が必要だろう。


「そうやな。よし、官兵衛は早速播磨の国衆の動きを、半兵衛は西の動きを探れ。俺は上様に報告して、後詰めをお願いする。もし毛利が攻めてきたら、どのみち今の軍勢だけでは防ぎきれんしな。」


「はっ。」


「お任せを!」


 羽柴軍の首脳陣はわずかの間で立ち直り、機敏な活動を開始した。

 まずは播磨国内や西方について活発な情報収集をはじめ、数日で羽柴軍が置かれている状況が徐々に明らかとなった。


 やはり播磨の国衆たちの多くは織田の支配下から離れようとする動きを見せていた。

 その影響は官兵衛の主家である御着城の小寺家にも波及し、家中では親毛利派がにわかに勢いづき、当主の小寺政職へ働きかけを強めていた。

 政職の態度は煮えきらず、ただちに親毛利派に同調する気配もなかったが、その迷っている様子は小寺家の動向を不透明なものとしていた。


 一方、西方の動きは今のところ表面的に平穏を保っていた。

 せいぜい上月城など備前と播磨の国境地帯に数千規模の軍勢が展開するのみで、大規模な侵攻の気配はまだ見られない。

 水面下では出兵準備が進められているのかも知れないが、少なくとも大攻勢が開始されるとしても1ヶ月近くは先のことになるだろう。


 この間、秀吉は別所家謀叛を主君・織田信長のもとへ一報し、援軍を求めた。

 急を知った信長は、差し当たって東隣の摂津国を治める荒木村重へ出動を命じるとともに、主だった一族や重臣たちに出兵準備に入るよう使いを出した。


 外様ながら一国の主にまで出世しただけあって、荒木村重はあらかじめ出陣の支度を整えていた。

 速やかに出動した荒木勢によって、西播磨の海岸沿いの連絡路は確保され、差し当たって羽柴軍の崩壊は免れた。


 こうして天正6年(1578年)2月末の別所家離反を契機とした播磨国内の動乱は、モグラ叩きのような一進一退のせめぎ合いが1ヶ月近く続く情勢になった。

 織田家の支配圏が広がるにつれて織田軍が抱える戦線も広大なものとなり、軽々しく大軍を動かすことができなかった。

 結局、播磨国内に展開した織田軍は実質羽柴と荒木の軍勢のみとなり、播磨を制圧するだけの威力を持ち得なかったのだ。


 動員された嫡男・織田信忠をはじめとする大軍は京に集結した後、いったんは西へ向かったものの摂津国内にとどまり、4月はじめからここで軍事行動を起こした。

 その標的は大坂の石山本願寺だ。

 毛利軍の脅威が迫る前に石山本願寺を攻撃し、西へ進んだ後の補給路を襲われないようにしたのだ。


 織田軍は敵との野戦を求めたが、大坂からは全然出撃してくる気配がない。

 仕方なく大坂周辺の麦畑などを薙ぎ払い、一向宗側の兵糧を失わせる消極的な作戦を採用し、わずかな数日で引きあげざるを得なかった。


 次いで4月10日には軍勢の一部を割き、滝川一益、惟任光秀、丹羽長秀の軍を丹波へと進ませ、荒木氏綱の園部城を攻めさせた。

 織田軍は数に任せて猛攻を加え、首尾よく水の手を取った。

 どんな猛将も強兵も水なしには戦うことはできない。

 荒木氏綱は抗戦を諦め、降伏開城した。

 城には丹波担当の惟任光秀を残し、4月26日には滝川・丹羽両勢が京へと帰還した。


 ……………………………………………………………


「ついに来たか!」


「はっ、備前・美作両国に毛利、宇喜多らの兵が満ち満ち、続々と上月へ向かっておりまする。」


 4月中旬、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景、宇喜多直家の弟で名代の宇喜多忠家らの軍勢が播磨国へ侵攻を開始し、上月城を包囲すべく大亀山に本陣を構えた。

 その総数は3万に及び、公称7万と喧伝した。


「出陣や!急いで荒木殿にも知らせてくれ。あと、上様にも後詰めをお願いするんや!!」


 動向が定かでない播磨国衆が多く、秀吉が信頼のおける軍勢は手持ちの5千ほど。

 それに荒木の援軍を合わせても、やっと1万を超える程度に過ぎない。

 これでは毛利軍には到底対抗できない。

 毛利軍を追い払い、包囲に陥った上月城と尼子勝久・山中鹿介ら将兵を救うためには、京周辺に集結している織田の大軍に来てもらう必要がある。


「京から後詰めが着いたら、毛利と決戦や!」


(毛利の殿様まで出てきたのは、逆にラッキーかもな。これで勝てたら、播磨どころか一気に備前とか美作まで手に入るかもしれん。そうなったら、俺の手柄は誰よりも上になる。上様から於次丸様を養子にする許可をもらえるやろ。俺の地位も安泰ってやつや。)


 しかし、事態は秀吉の思い通りにはいかなかった。


 荒木勢と合流した後、秀吉らは上月城の東約1里(約4km)にある高倉山まで進んだが、そこから前進できなくなった。

 高倉山と上月城の間には熊見川(佐用川)が流れており、川と川が作り出した渓谷が天然の堀や土塁となって立ちはだかっていたためだ。

 また、川の対岸には上月城のすぐ西にある大亀山を中心に毛利軍がびっしりと展開しており、劣勢の羽柴・荒木勢では押し渡ることは難しかった。


(くそっ!まあ、本軍が来たら人数も敵より多くなるし、何とかなるやろ。)


 秀吉が待ち望む援軍は、なかなか来なかった。

 ちょうど信長が京から安土へ戻った直後に援軍要請の使者が京へ着き、安土まで行かねばならなかったという誤算もあった。

 さらに、信長は自ら軍を率いて播磨へ乗り込もうとの意思を見せたが、重臣たちが先に出撃することを申し出、4月29日から5月1日の間にようやく出陣となった。


 信長がいない織田軍の動きはいつもより鈍く、戦場に着いても積極的な姿勢を見せなかった。

 このため、織田軍の兵力が増えたとは言え、膠着状態は変わらなかった。

 その状態は約1ヶ月も続き、秀吉の焦燥は募っていった。

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